【No.1299】100年計画の愚民化政策ではなく、100年後が幸せになる生き方を

ロシアの認識では「アイヌ民族は我が国の先住民」となっています。
ということは、ウクライナ侵攻と同じように、「我が国の住民を保護するために」と言って北海道に侵攻しないともいえません。
過去の歴史を見れば分かるように、戦争は起きるものではなく、(一部の人間が)起こすもの。
現在、日本が行っているロシアに対する経済制裁も、国際常識的には軍事攻撃になりますので、今、私達は戦時中なのです。


今朝のネットニュースでは、77年前の敗戦を機にソ連軍が北海道全島の占領を検討していたことが明らかにされました。
当時、トルーマン大統領によって拒否された要求ではありましたが、それ以降、ソ連は、ロシアはこの計画を諦めたのでしょうか。
戦後のGHQ統治計画では、「日本民族をもう二度と自分たちの脅威にならないように」ということで様々な工作が行われましたが、それは今もなお、続いています。
彼らは100年単位で計画を立て、実行します。
日本人の愚民化政策の完成まで、あと23年。
2045年は、今の子ども達が社会の中心です。


私は親御さんに「まず変わりましょう」と伝えることが多くあります。
その理由はいくつかあるのですが、やっぱり現在の発達障害は、社会の問題だと考えているからです。
大人たちが造り上げてきた社会、環境の害をそのまま子ども達が受け、育ちに影響を及ぼしている。
ひと言でいってしまえば、こんな不健康な生活を続けていれば、次の世代に影響が出ないほうが不思議といえるでしょう。
とにかく「今だけ、カネだけ、自分だけ」で好き勝手生きてきた人間たちが、次の世代を担っていく子ども達に何の問題も無く、健康に生まれ育つことを願うほうがおこがましい。


そしてもう一つ大きな理由があって、これはてらっこ塾を起業する前の体験が影響しているといえます。
学生時代から施設職員、特別支援学校教諭と進んでいく中で、発達障害を親のせいにするのはご法度でした。
あくまで発達障害児は、たまたま生まれてくるのであって、なにか原因があるわけではないということになっていました。
さらに、むしろ親御さんはかわいそうな存在なのだから、なるべく気持ちが上がるような接し方、声がけをすること、心の支えという接待をするように教えられてきました。


今でもよく覚えているのですが、当地には「親こそが頑張らなければならない」という有名な先生がいて、一部の熱狂的なファンを持ちつつ、多くの親御さん達、支援者たち、同僚の教諭たち、教育行政、もちろんギョーカイの福祉関係者からボロカスに言われ続け、この地を去っていったことがありました。
学生時代からお世話になっている先生でして、私はそもそも特別支援教育自体に懐疑的でしたので、学校にただ預けているだけでは自立する力なんか育たないと思い、この先生の指導や講演会を聞いていました。
だから、こういった正しいことを、敢えて耳の痛くなるような話を正々堂々と言えることは、この地域の親御さん達、支援者たちにとって必要なことだと思っていたので、とても残念で悔しい想いをしたのです。


親御さん達の中には、「あの先生が良い悪い」「あの学校が良い悪い」「あの支援者はいいけど、あの支援者はダメ」などという話題がよく出ています。
私もこの地に20年以上住んでおりますので、そう言いたくなる気持ちもわからないわけではありません。
しかし、学校や支援が悪いから、子どもの問題行動が治らないわけでも、自立できないわけでもないのです。
結局、誰かのせいにしているあなたの問題だと思うのです。


そもそも学校は発達障害を治す場所ではなく、学ぶ場所です。
その学ぶための準備は、家庭教育のほかにあり得ません。
就学前の園生活においては、部分的に発達を促してくれることはありますが、それでも発達障害の根っこを育てなおしていくには、家庭という環境、親御さんの力が必要です。
だって、胎児期から2歳前後までに生じた発達の遅れは、家庭で起きているから。
そこに立ち返り、そこを改善しなければ、根本から治っていかないのは当然です。
ですから、当地を去っていった先生が言っていたように、「親が頑張らなければ、子どもは変わっていかない」のです。


ワクチンの危険性を察知できなかった時点で、動物としての直感が死んでいると思っています。
もっと深いところで言えば、液体を体内に入れただけで、危険から身を守ることができるという考え自体が愚かだといえます。
どうしてそんなにも安易な考えなのでしょうか。
どうして自分の免疫、身体、奇跡の結晶である700万年続いてきた人体を信じることができないのでしょうか。
そうやって外にばかり目がいっているから、表面的な教育、支援、アプローチに向かってしまうのです。
だから、我が子ではなく"自分が"耳障りの良いものを取り入れてしまう。
変わるべきなのは社会でも、学校でも、支援でも、病院でも、特別支援のギョーカイでもなく、自分自身。


目の前にいる子だけを治すのなら、そんなに難しい話ではありません。
どこに発達障害の根本があるかがわかれば、それに対応したアプローチ、改善をしていけば良いだけですから。
しかし、「ハイハイを抜かしたから、ハイハイをやり直そう」といった単純な話ではないのです。
大事なのは「どうしてハイハイを抜かしたか?」
そこがわからなければ、子どもが成長し親になったとき、同じ課題が次の世代の子にも生じてしまいます。
しかも、世代をまたぐごとに症状や遺伝的な要素、その課題が強くなるといわれているのです。
だから、三代続けて「治る」を確認していく必要がある。
親御さんの中には元発達障害児、治った人が多いですが、実際、我が子にその傾向が出ていますね、しかも親世代よりも濃く。


親御さんは我が子を治した。
だけれども、我が子が親になったとき、孫の発達障害はさらに重いことが予想されるのです。
だからこそ、上辺だけのアプローチで「治った治った」と喜んでいる場合じゃない。
親自身が自分の課題と、どうして我が子に発達の遅れが生じたのかについて真剣に向き合い、考え、そこを治していくことで、三代にわたる発達障害を終わらせることができる、それは自分の親(祖父母)ができなかったこと。
せっかく気づき、目覚めた方達ですから、私たちの世代でこの問題を終わらせることをしようじゃありませんか。
我が子だけではなく、その次の世代、その次の世代の子ども達の幸せ、より良い未来を願って。
それこそ、100年間にわたる統治計画ではなく、100年後の幸せを目指した生き方を。





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