【No.1102】どの本にも書かれている「家庭のような自然な環境を作る」という配慮事項

多くの支援者と同じように、私も最初から身体アプローチを中心に据えていたわけではありません。
私が学生時代には、既に日本におけるTEACCHの先進地域として突っ走っていた当地です。
TEACCHは、何度もトレーニングを受け、いくつかのレベルの認定証を貰っています。
ソーシャルストーリーも、コミック会話も、PECSも、同じような認定証を貰っていますので、その認定証をもとに支援者の指導はできませんが、私自身が実践するにはお墨付きがあるわけです。


それくらい勉強してきた私ですから、標準療法に関する書籍や論文はある程度、読んできました。
そこで面白いのが、環境設定に関する記述です。
いろんな療法、アプローチがあり、診断やアセスメントの種類がありますが、共通して主張されていることがあります。
それは、「家庭のような自然な環境を作ること」です。
今、私が家庭支援を中心に行っていますので、改めて見ると、笑ってしまいますし、私の仕事の方向性は間違っていないのだと思います。


「診察室は、子どもたちにとって慣れない場所なので、検査者の準備と環境設定、提示の仕方が重要になる」
「診察室では、普段、見せない姿が出ることがあるので、注意して観察する必要がある」
「子ども達が家庭のように自然な姿、動きが出るように、療育部屋は家にあるようなものを配置する」
だったら、家でアセスメントすればいいじゃん。
だったら、家で療育すればいいじゃん。
そうは思いませんか??


自閉症の子ども達は、場所によって見せる姿が異なる、と言われています。
ですから、診察室で見せる姿と家で見せる姿が異なっていてもいいはずです。
というか、幼い子どもなら、いつもと違う場所に行けば、テンションが変わるのが普通です。
でも、診察した医師に、「いや、家だと〇〇ができるんです」と訴えても、「それは違う」と全否定されるなんて話はよく聞く話です。
片方では、自閉症の子ども達は場所によって能力が異なると言いつつ、家でのアセスメントは行っていないし、情報としても医師の所見と対等には扱ってくれない。
始まりは家庭生活の中で困ったことが起きていての診察になるのですから、本来なら家に専門家がいってアセスメントするべきだと思います。


療育に関しても、どうして、わざわざ施設に出向いて受けなければならないのでしょう。
幼い子にとっては、移動も負担になります。
親子共々、電車を乗り継ぎ、ヘトヘトになって療育機関に向かう。
幼稚園や保育園の時間を削って。
夕食や掃除など家事の時間を削って。
兄弟との時間を削って。
それでいて、トランポリン??バランスボール??やっているのかやらされているのかわからないカードゲーム??
家のトランポリンのほうが、思う存分、跳び続けられると思いますが…。
バランスボールで揺れているのなら、近所の公園に行ってブランコに乗っていたほうが早いと思いますが…。


施設側も「家庭のような雰囲気づくり」を謳っていて、やっていることも家でできることばかり。
結局、診断も、療育も、家でできることをわざわざ来てもらってやっているんですね。
それじゃなきゃ、お金にならないし。
あと、どの専門書を読んでも、根底に流れているのは、専門家たちの「専門家じゃなきゃできない」「家では、つまり、親は無理」という傲慢さだと感じます。
TEACCHでいえば、初期の頃は専門施設に来てもらって、そこでアセスメントをやり、指導の仕方を見極め、その後、支援者が家に行き、親御さんにレクチャーするという流れがあったのですが、いつの間にか、特に日本ではそんなことをやっているところはありませんね。


診断も、検査も、療育も、いろんな考え方、流派がありますが、みなさん、「家庭的な雰囲気」を環境づくりのポイントとして挙げています。
わざわざ家庭的な雰囲気を作らなくても、家庭ならその必要はありません。
そして、子どもからしたら、どこの誰かも知らないおじさん、おばさんにあれこれされるよりも、親御さんからアプローチされたほうが受け入れやすいに決まっています。
「最初の数回は、無理にセッションを行おうとせず、子どもとのラポートを築くように努める」なんてことも言っているくらいですから、だいたい1年くらいの付き合いにあるおじ&おばさんと信頼関係を築く必要はないでしょう。
というか、その時間、保育園や幼稚園、公園や家で過ごしていたほうが、よっぽど発達、成長に繋がります。


こうして見ると、既に診断、検査、療育は、産業の一つになっているんですね。
同じ効果があるのなら、家庭で、それも親御さんができたほうが良いに決まっています。
それなのに、そこをやろうとしない。
相変わらず、人工的な空間に親子を呼び、そこでなんか特別なことをやっている感を出しているだけ。
本来、ペアレントメンターが、そういった役割を果たすべきですが、結局、支援の勧誘、専門家の下請け機関にしかなっていません。
標準療法も、創始者の考え、アプローチは素晴らしいのですが、どうも太平洋を渡る間に、人為的な変異が起きてしまうんですね。


家庭で、子育ての中で、親子の関わりの中で、子ども達の課題が解決し、よりよく育っていくのが理想だとは思いませんか。
というか、それが自然な話だと思います。
発達に遅れがあるのは病気ではないので、どう考えても、子育ての話なのです。
その子育てを、より良いものになるように、それこそ、親御さん自身も成長していけるように後押しするのが、専門家の本来の役割だと思います。


この前も、年端もいかない子に、「ここに通う回数を増やした方が良い」なんていう支援者がいました。
療育の前に、子どもの健康だろ、安心できる時間と環境だろ、親子の愛着形成だろ、と私は思います。
本当に子どもの発達を考えている人は、頻繁に診察室、検査室、療育施設に呼ばないものです。
むしろ、減らしていき、負担が軽くなるように努めるものです。
支援者である前に、親子の時間、家庭での時間、家族での育みを一番に考える人でありたいと私は思っています。




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