【No.1097】外部刺激と継続性

夏が始まる前にお会いしたご家族から、「この夏を思いっきり親子で楽しみました!」という報告をいただきました。
海も、山も、川も、公園も、キャンプも、とにかく外で遊び切ったそうです。
そうすると、2学期が始まり、「あれだけ集中できなかった授業に落ち着いて臨めるようになった」「あれだけ何度教えても難しかった算数が、テストで100点をとれるようになってきた」という変化が見られるようになったそうです。


小学校1年生、2年生で、「授業が理解できない」「テストの点数が取れない」というのは、ほとんどの場合、学力の問題ではありません。
小学校3年生になると概念の問題が出てくるので、また別の話になってしまうのですが、基本的に低学年の授業が分からないというのは、勉強のやり方とか、勉強時間の足りなさとか、教え方の善し悪しとかではなく、学ぶだけの準備が整っていないのです。
つまり、小学校低学年の学力=6歳の子の発達課題をクリアしてるかどうか、身体の問題です。


ですから、低学年の子が勉強できないからといって、勉強時間を増やしてもあまり効果は期待できません。
勉強時間を増やせば、暗記はできるかもしれませんが、授業の内容を"理解する"は伸びていきません。
ここを勘違いされると、とにかく勉強時間を増やし、で、子どもは算数の計算や国語の問題などをパターンで覚えてしまう→一応、小1、小2はクリア→小3になって概念と理解が求められる段階になってから、ガクッと成績が落ち、支援級という流れができてしまいます。


夏休み、自然の中で全身を使って思いっきり遊んだお子さんが、身体&運動面だけではなく、学習面に大きな変化が出るのは当然だといえます。
子ども達は、就学までに思いっきり遊び切ることを通して、学習の準備を整えていきます。
それができなかった子が、小学校低学年から授業についていけなくなる。
だからこそ、発達援助では遊び切れるために、身体と動きを育てる、ヌケを育て直すのです。
それはすべて就学の準備、学習の準備に繋がり、その先には高等教育、社会への準備と繋がっています。


実は、これが今日、言いたいことではありません。
今日、ブログを書こうと思ったのは、次のことを伝えたくてです。
夏休み、思いっきり遊んだお子さんが、この秋に大きく成長するのは、みなさん、ご存じのこと。
でも、思いっきり遊んだから、「発達した」「新たな神経ネットワークが生じた」というのは違うと思います。
私も助言の一つとして、「この夏、思いっきり遊んでくださいね」とは言ってきましたが、それ自体が発達に繋がるとは考えていません。


家族の、親子の物語としては、「夏に思いっきり遊んだ。そうしたら、2学期から良い変化が見られた。大きな成長が見られた。ハッピー」という感じで完結できます。
しかし私は支援者ですので、もう少し別の角度から見る必要があります。
私が見る角度は、神経からの角度です。


神経からしたら、ある一時期、普段よりも強い刺激、普段と異なる刺激を受けたからといって、すぐに神経を伸ばそうとするでしょうか。
一時的に必要となった神経同士で、新たなネットワークを構築しようとするでしょうか。
私が神経の立場(?)だったら、そうはしないと思います。
やはり、人類は飢餓の時期が長く、一時的な刺激にすぐに対応するだけの余裕さは持ち併せていないはずです。
きっと神経ネットワークは、何度も何度も刺激が通過し、「ああ、これは生きていくために必要な動き、連携なんだな」と感じたところから構築が始まると思います。
赤ちゃん時代は、生まれ出た環境にいち早く適応するために、迅速な神経ネットワーク作りが起きていますが、その時期を超えた人でしたら、頻繁に使われる、継続して刺激されることに焦点が絞られると考えられます。


何が言いたいかと申しますと、夏休み、海で遊んだことが発達につながったわけではないということです。
じゃあ、どうして運動、身体、学力の面で伸びたのか、変化があったのかといえば、一時的な刺激が日常生活に影響を及ぼしたからだと思います。
たとえば海に行けば、砂浜を歩くときに、普段以上に足の指を意識して使います。
足の親指の発達にヌケがあった子は、普段の生活では感じられない刺激がふんだんに入ってきます。
そして自然と、一時的であったとしても、足の親指が使えるようになる。
その効果は、海から上がった瞬間、帰りの車に乗った瞬間に消えるわけではありません。
子どもの身体には、その余韻、雰囲気、感覚が残るものです。
すると、帰ったあとも、家の中でいつもと違った感じで足の指が使えている。
また感覚が残っているから、子どもも本能的にそこを刺激しようと、足の指を使った遊びを家の中でもし始める。
その結果、海で遊んだことをきっかけに、家での動きが変わり、日常生活の中で継続されるもんだから、「そうか、これは必要なネットワークだ」と、新たな神経ネットワークが構築される、というイメージです。


神経発達症の子ども達は、神経が少ない子でも、神経が伸びない子でもありません。
繋がるべきネットワークが構築できていない子だといえます。
「発達の"ヌケ"」という言葉は、見事にそれを表現していると思います。
ヌケは"無い"ではなく、繋がるべき部分が抜けている、というイメージです。
ですから支援者は、神経からの視点を持っていなければなりません。
「ああ、夏休み、思いっきり遊んだ子が、良く伸びるな。だから、夏休み、外で思いっきり遊びましょう、とアドバイスしよう」では薄っぺらすぎます。


身体からのアプローチが有効。
だったらなぜ、有効なのか、どこの部分で効果があり、効果がないのか。
そういった部分まで深く理解できていることが求められると思います。
どうも、綺麗な物語で終わろうとしている支援者が多い気がします。
綺麗な物語、素晴らしい夏の思い出は、家族だけのもの。
そこに支援者という他人が立ち入るべきではないと思います。
支援者はあくまで外部刺激です。
本人、家族の外側から刺激を与え、変化を生じさせるのが役割になります。
その変化も、一時的な変化ではなく、継続的な変化になって初めて意味をなします。


私が冒頭のご家族から報告を頂いて嬉しかったのは、お子さんが勉強できるようになったことではありません。
私からの刺激が、親御さんの考えと行動に影響を及ぼし、結果的に夏休みを自然体験、親子の遊びで継続して過ごされたことです。
神経ネットワークと同様に、継続することで親御さん自身も変わっていく。
大久保を呼んだ。
だから、週末思いっきり頑張った。
でも、次の週からいつも通り、では、お子さんの神経発達は進んでいきません。


「親が変わって子が変わる」
「子が変わって親が変わる」
親御さんが子どもと一緒に遊ぶようになって、子どもさんが変わっていく。
子どもが変わっていく姿を見て、親も「もっと頑張ろう」「この方向性の子育ては間違っていない」と自信が芽生え、また変化が起きる。
そういったポジティブなサイクルをどう作っていくか。
そこで出てくるのが、私達、外部刺激である支援者だと思います。
外部刺激に徹することと、神経発達を理解することは重なり合います。
ですから、エピソードで終わってはならないのです。
なぜ、夏休み、思いっきり遊んだ子が伸びるのか、それが説明できる必要があるのです。




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