【No.1098】子どもの「発達段階」「資質」「流れ」「ニーズ」を見る

今日、久しぶりにブログを開いてみたら、アクセス数が普段の何倍にもなっていました。
何かまずい発言でもしたかなと思っていたら、そうです、たぶん、9月13日に行われる花風社さん主催の講演会に参加される方達が見に来られたのでしょう。
当然、私は「なんだチミは!?」状態ですから(笑)


ここ数日間、当地での家庭訪問が続いていました。
改めて、今の親御さん達、考え方が変わったな~と思いました。
「自閉症は脳の機能障害です」
「障害なので、治りません」
「自閉症は視覚支援です」
で、「はい、わかりました」とはなりません。
おかしいと思ったら、別の道、方法、情報を探そうとします。
「当地で暮らしていれば、あの先生と仲良くなって、将来、あそこの施設でお世話になって」などとは考えず、この子がより良く育つ方法がないだろうか、と意識が向きます。
田舎のメジャー支援者より、グーグル先生です。


以前は、支援者より「様子を見ましょう」と言われれば、「はい、様子を見ます」となっていた親御さんが多かったと思います。
それは様子を見ることの重要さを感じていたというよりも、「専門家が言ったから=従順でいることの利益」を考えてのことでしょう。
当時は選択肢がなかったから、ローカル支援者に気にいられることが親御さんの気持ちの大部分を占めていたのかもしれません。
でも、時代なのか、専門家から「様子を見ましょう」と言われても、「具体的にどこを?」「いつまで見てればいいんですか?」「それよりも変わる方法はないんですか?」と言う親御さんが増えました。
そこで専門家がビシッとと具体的なことを言えなければ、「じゃあ、いいです」と言って、グーグル先生へと向かいます。
世代間でいろんなことが言われますが、10年前、20年前の親御さんより、今の親御さん達の方がずっとたくましくて主体性があると感じます。


当然、私に対する相談の中にも、「具体的にどこを見ればいいんですか?」「子どもをちゃんと見るの"ちゃんと"を教えてください」という依頼もあります。
子育てをするのにも、発達援助をするのにも、まずは子どもをきちんと見ることが重要です。
そういった言葉を耳にしたことがあると思います。
ただ「子どもを見る」というのには、複数の意味合いがあるのです。


まずは、子どもの『発達段階を見る』という意味です。
小学生になれば、教科学習が始まります。
だから、1年生になったら1年生の勉強を、2年生になったら2年生の勉強を、と思いがちです。
でも、その子がちゃんと勉強ができる準備が整っているか、を見る必要があります。
鉛筆を持つだけの指が育っているか。
黒板を見るだけの目が育っているか。
授業を受け続けるための姿勢が育っているか。
抽象的な概念が理解できるだけの脳が育っているか。
一斉指示が分かるだけの耳が育っているか。
いろんな発達段階を見ることが重要です。
他にも発達のヌケはどこか、遅れているところはどこか、反対に同年齢よりも育っているところはどこか、などの発達を見ることも大切です。
「子どものことをちゃんと見ましょうね」の見ましょうねには、発達段階を見る、という意味があります。


次に『キャラクターとしての子どもを見る』というのもあります。
持って生まれた資質と言える部分でしょうか。
何が好きで、どんなことに熱中するのか。
幼い頃の名も無い遊びはどんな感じだったか。
行動が先か、考えることが先か。
そういった子どものキャラクターを踏まえることが、教え方、促し方、生活の組み立て方に影響を及ぼします。
情報が頭の中でいっぱいになってしまっている親御さんの中には、全部、自閉症、発達障害で説明しようとする人もいます。
どちらかといえば、発達障害は部分であり、核はその子の資質です。
その子の人間の部分が見えなくなっている親御さんに対して、「ちゃんと子どもさんを見ていますか?」と尋ねることがあります。


キャラクターの次は、『子どもの流れを見る』です。
流れとは、つまり、生育歴であり、受精から現在まで続く物語です。
いきなり目の前に自閉症の我が子、発達障害の我が子が現れたわけではありません。
いずれも、受精した瞬間からの流れの中で生じたことで、バラエティに富む発達の表現型の一つにすぎません。
時々、今の状態、発達段階はわかるんだけれども、子どもの育ってきた流れから見れば、どうなのかなと思うことがあります。
問題行動だって、突然、出てきたわけではなく、その前に積み重ねがあったわけです。
そういった生きてきた流れの中で、今の子どもさんはどういった状態なのか。
その発達の流れの中で、今の成長具合は早いのか、そのままのペースなのか、遅れ始めているのか。
その辺りも重要な見るポイントになります。


最後に、これは支援者の中から聞かれる言葉ですが、「親御さん、ちゃんと子どものこと、見ているかな」というものです。
これは発達段階や資質、流れなどを見ているかどうかの話ではありません。
親子の不一致感を指している言葉になります。
子どもさん自身は、今、ここを育てたがっているのに、親御さんが別のことを育てようとしている。
子どもは根っこから育つことを、根本解決を望んでいるのに、親御さんが支援をやっちゃっている。
子どもが今どうなのかよりも、習ってきたこと、ある支援者から言われたことを忠実に行おうとしている。
親御さんの勢いがすごくて、展開するスピードが早くて、想いが強くて、子どもの状態、発達、気持ちが追い付けていない、処理しきれていないというのもあります。
そういった親子の不一致を見て、「親御さん、ちゃんと子どものこと、見ているのかな」というのです。
私も時々感じますが、親御さんが育てたいところと、子どもさんが育てたいところが違うことがあります。
親御さんが問題だと思っているところでも、本人が問題だと思っていないということもあります。
まあ、そもそも他人が問題意識を持つことと、それが問題だと押しつけることは違うのですが。


一昔前まで支援者が言っていた「様子を見ましょう」は、「(具体的なアイディアは持っていないし、今、私がもう状態は変わりませんよ、一生このままですよというのは言いたくないし、できれば別の人が言ってほしい。それに親御さんを傷つけることになるので)様子を見ましょう」という感じでした。
でも、今の「様子を見ましょう」は、子ども達がより良く育っていくための「様子を見ましょう」になります。
ですから、とても具体的。
親御さんに家庭生活の中で見てもらいたいのは、子どもさんの「発達段階」「資質」「流れ」「本人のニーズ」です。
どれか一つだけ重点的に見ているだけではより良い子育てにはつながりません。
子どもを立体的に、そして神経発達に関連するところをすべて、です。
13日の栗本さんとの対談の中で、そんなお話もできればと思っております。




===========================

9月13日(日)zoom講座『医者が教えてくれない育ちのアセスメント』の参加は、まだ間に合います→詳細・お申し込み方法はこちら
開催まであと5日!


コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題