『断薬の決意』(花風社)を読んで
福岡出張の報告書を郵便局に出しに行こうとしたら、ちょうど配達員さんが届けてくれました。
著者の藤家さんは、九州にお住まいの方ですので、九州に送ろうとしたら、九州から贈り物がきた感じがして面白かったです。
でも、レターパックを開け、本の題名、帯から、そして手に持った感じから、著者の方と出版に携わった方達の真剣な想い、なんだか手を通して迫ってくるような気迫を感じました。
私が講演会等でお会いした藤家さんは、すでに治っていましたし、お会いする度に輝きや前向きに進もうとするエネルギーが増しているような印象を受けていました。
ですから、同世代ということもあり、「自閉症の」ですとか、「当事者の」ですとか、そういったことを感じたことはなく、勝手にではありますが、同じ風景を見ながら育ってきた同世代の一人というような気持ちでおります。
しかし、藤家さんが執筆される本は、今のお姿からは想像できないような歴史を、そしてその辛さ、苦労のほんの一部を垣間見させてくれます。
今回の新刊のテーマは、精神科薬です。
個人的なつながりの中で、断薬に向けて励まれていることは知っていました。
ただ、それでも、本に書かれている様子、藤家さんが体験した内面の感覚と副作用の記述には、相当なインパクトがありました。
藤家さんがもがき苦しみながらも、薬に頼り、生活していたとき、私は施設職員として働いていました。
働いている中で、新薬が出てきて、その移り変わりも、実際に服薬の援助も行っていました。
本の中に出てきた精神科薬は、私が利用者さん達に飲ませていたものばかりです。
だからこそ、なおのこと、衝撃を受けるのです。
私が働いていたのは、知的障害も、自閉症の症状もとても重い方達ばかり。
しかも、強度行動障害の方たちへの支援も行っていました。
藤家さんは、自分の身に起きたこと、内面で生じたこと、感じたことを詳細に言葉や文字で伝えることができます。
だからこそ、今回、私達は、服薬が及ぼす変化、影響を実感に近い状態で想像することができました。
では、一方で、そういった伝える方法を持っていない方は、まだ伝えられるだけの年齢に達していない子ども達は、どうだろうかと思うのです。
彼らの内面の変化、彼らの訴えに耳を傾けることができているだろうか。
内面で生じたことに対する苦しさの表れに対し、「それが障害だから」と一方的な解釈をしていないだろうか。
気になっていた行動が収まり、「薬のお蔭」「薬は必要な支援」などとポジティブな解釈はしていないだろうか。
問題行動が収まったのではなく、もしかしたら、気持ちが悪いだけ、何か行動を起こすだけの力がでないくらいぐったりしているだけかもしれないのに…。
私の経験からは、断薬は信じられないこと。
長年服用している方ほど、ちょっとでも服薬のタイミングがずれたり、一回でも忘れようもんなら、激しい苦痛、行動をしていたのを見てきたからです。
当然、「薬を減らす」などとは、主治医から受け入れてもらえるわけはなかったのです。
薬は増えても、減ることはない、というのが私の認識でした。
藤家さんの薬の量を減らしていく様子を拝見していると、想像した以上の辛さ、苦痛が生じることがわかりました。
主治医の先生の理解と協力、家族や友人の支え、そして何よりも、一度決心したことをやりぬこうとする藤家さんの心と、それに耐えるだけの身体があったからこそ、断薬に向かって進むことができたのだと思います。
その一つでも欠けていたら、また異なる文章になっていたと思います。
だからこそ、率直に思います。
知的障害を持つ人、多くの発達のヌケを抱えている人は、一度飲み始めた精神科薬を止めることは難しい、と。
まず、その内なる変化、内なる声に、誰も耳を貸してはくれないでしょう。
たとえ、親御さんが本人の苦しみ、訴えを感じることができても、「もし、やめて、心身の安定が崩れたら」という想いを完全に払しょくすることは不可能だと思います。
ましてや、藤家さんがやられていたような体験を、最後までサポートし、やりきるまで支えきれる家族はそうそういません。
子どもの頃から、長期にわたって服薬を続けてきた人は、断薬後の喜びよりも、今、服薬を止めることの、減らすことのこの瞬間の苦しさに耐えることは難しい。
私達は、必要のない精神科薬を飲むことはできません。
ましてや、薬の出方、副作用は、一人ひとり異なりますので、どう頑張っても、理解することはできません。
だからこそ、藤家さんが記されたことから、想像を膨らますことが必要なのだと思います。
飲んだことのない薬だからこそ、一生懸命想像することが大事。
親御さんだったら、我が子の体内に人工的なものを入れるかどうかの判断をしなければなりません。
決して、服薬する、しないに正解はないと思います。
でも、正解はないかもしれませんが、服薬する前にできることはあるかもしれません。
そのできることは何か?
私達は、藤家さんの執筆された『断薬の決意』という書籍を通して、その“できること”を考えることができる。
服薬から断薬の物語、内面の変化がわかるものは、ほとんどありません。
読むことができ、良かったです。
著者の藤家さんは、九州にお住まいの方ですので、九州に送ろうとしたら、九州から贈り物がきた感じがして面白かったです。
でも、レターパックを開け、本の題名、帯から、そして手に持った感じから、著者の方と出版に携わった方達の真剣な想い、なんだか手を通して迫ってくるような気迫を感じました。
私が講演会等でお会いした藤家さんは、すでに治っていましたし、お会いする度に輝きや前向きに進もうとするエネルギーが増しているような印象を受けていました。
ですから、同世代ということもあり、「自閉症の」ですとか、「当事者の」ですとか、そういったことを感じたことはなく、勝手にではありますが、同じ風景を見ながら育ってきた同世代の一人というような気持ちでおります。
しかし、藤家さんが執筆される本は、今のお姿からは想像できないような歴史を、そしてその辛さ、苦労のほんの一部を垣間見させてくれます。
今回の新刊のテーマは、精神科薬です。
個人的なつながりの中で、断薬に向けて励まれていることは知っていました。
ただ、それでも、本に書かれている様子、藤家さんが体験した内面の感覚と副作用の記述には、相当なインパクトがありました。
藤家さんがもがき苦しみながらも、薬に頼り、生活していたとき、私は施設職員として働いていました。
働いている中で、新薬が出てきて、その移り変わりも、実際に服薬の援助も行っていました。
本の中に出てきた精神科薬は、私が利用者さん達に飲ませていたものばかりです。
だからこそ、なおのこと、衝撃を受けるのです。
私が働いていたのは、知的障害も、自閉症の症状もとても重い方達ばかり。
しかも、強度行動障害の方たちへの支援も行っていました。
藤家さんは、自分の身に起きたこと、内面で生じたこと、感じたことを詳細に言葉や文字で伝えることができます。
だからこそ、今回、私達は、服薬が及ぼす変化、影響を実感に近い状態で想像することができました。
では、一方で、そういった伝える方法を持っていない方は、まだ伝えられるだけの年齢に達していない子ども達は、どうだろうかと思うのです。
彼らの内面の変化、彼らの訴えに耳を傾けることができているだろうか。
内面で生じたことに対する苦しさの表れに対し、「それが障害だから」と一方的な解釈をしていないだろうか。
気になっていた行動が収まり、「薬のお蔭」「薬は必要な支援」などとポジティブな解釈はしていないだろうか。
問題行動が収まったのではなく、もしかしたら、気持ちが悪いだけ、何か行動を起こすだけの力がでないくらいぐったりしているだけかもしれないのに…。
私の経験からは、断薬は信じられないこと。
長年服用している方ほど、ちょっとでも服薬のタイミングがずれたり、一回でも忘れようもんなら、激しい苦痛、行動をしていたのを見てきたからです。
当然、「薬を減らす」などとは、主治医から受け入れてもらえるわけはなかったのです。
薬は増えても、減ることはない、というのが私の認識でした。
藤家さんの薬の量を減らしていく様子を拝見していると、想像した以上の辛さ、苦痛が生じることがわかりました。
主治医の先生の理解と協力、家族や友人の支え、そして何よりも、一度決心したことをやりぬこうとする藤家さんの心と、それに耐えるだけの身体があったからこそ、断薬に向かって進むことができたのだと思います。
その一つでも欠けていたら、また異なる文章になっていたと思います。
だからこそ、率直に思います。
知的障害を持つ人、多くの発達のヌケを抱えている人は、一度飲み始めた精神科薬を止めることは難しい、と。
まず、その内なる変化、内なる声に、誰も耳を貸してはくれないでしょう。
たとえ、親御さんが本人の苦しみ、訴えを感じることができても、「もし、やめて、心身の安定が崩れたら」という想いを完全に払しょくすることは不可能だと思います。
ましてや、藤家さんがやられていたような体験を、最後までサポートし、やりきるまで支えきれる家族はそうそういません。
子どもの頃から、長期にわたって服薬を続けてきた人は、断薬後の喜びよりも、今、服薬を止めることの、減らすことのこの瞬間の苦しさに耐えることは難しい。
私達は、必要のない精神科薬を飲むことはできません。
ましてや、薬の出方、副作用は、一人ひとり異なりますので、どう頑張っても、理解することはできません。
だからこそ、藤家さんが記されたことから、想像を膨らますことが必要なのだと思います。
飲んだことのない薬だからこそ、一生懸命想像することが大事。
親御さんだったら、我が子の体内に人工的なものを入れるかどうかの判断をしなければなりません。
決して、服薬する、しないに正解はないと思います。
でも、正解はないかもしれませんが、服薬する前にできることはあるかもしれません。
そのできることは何か?
私達は、藤家さんの執筆された『断薬の決意』という書籍を通して、その“できること”を考えることができる。
服薬から断薬の物語、内面の変化がわかるものは、ほとんどありません。
読むことができ、良かったです。
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