2019年6月4日火曜日

子どもの「心地良い」が感じられない理由

発達の主体は、子どもさん自身。
ですから、「どれくらいやったらいいですか?」「どのくらいの加減でやればいいですか?」というご質問には、子どもさんが「満足するまで」「心地良く感じている加減で」とお答えするしかできません。


このような説明をしますと、ほとんどの親御さん達は、「子どもの様子をしっかり見ようと思います!」「子どもに合わせてやってみようと思います!」と返ってきます。
そうやって、子どもの反応、様子に目や耳を傾けることで、子どもの、子どもの内側にある発達の声を聞くようになります。
聞こえてきたメッセージに対し、親御さんも発達の後押しで返していく。
このようなやりとりが、試行錯誤を生み、より良い発達、伸びやかな発達へと繋がっていくのです。


「子どもの反応、様子を見る」というのは、ただ単に、その反応、動きのみを見ているわけではありません。
生き物の観察のように、「しっかり見て、それを記録する」というよりも、親子の対話だといえます。
本当に見るのは、発達の動き、息吹、息づかいであり、言葉ではなく、発達を介した会話なのです。


時々、「しっかり見たけれども、何が良いか、心地良いか、がわからない」とおっしゃる方もいます。
多分、こういった親御さんは、誰よりも、しっかり子どもさんのことを見ているのだと思います。
子どもさんの表情、身体の反応、動き、言葉の変化までも、しっかり見ている。
そのちょっとした変化、反応も、見落とさないくらいに。
逆に言うと、それくらい見ているからこそ、「わからない」のだと思います。


「わからない」とおっしゃる親御さんの多くは、見てはいるけれども、対話していないのです。
別の言い方をすれば、ご自身がどう感じたか、どうメッセージを受け取ったか、を見ていない。
とにかく、子どもの反応、子どもの動き、子どもの表情を、という具合に、子ども、子ども、子どもとなっている。
そうなると、対話にはなっていきません。
対話にならないから、試行錯誤に発展していけないのです。
発達の後押しとは、キャッチボールでもあるので、子どもからのメッセージを受け取るだけではなく、ご自身の感覚、感じたものを返す必要もあるはずです。


発達援助が育み合いだとしたら、親御さんご自身も、その発達援助、後押しをやってみて、どう感じたか、なにが伝わってきたか、という感覚も大事になります。
その感覚があるからこそ、より良い方向へと試行錯誤が生まれてきます。


たとえば、金魚体操でも、同じ揺れるのなら、同じ身体の弛みを目指すのなら、人が必ずしもしなくてもよいといえます。
揺れるマシーンを使い、本人が気の済むまで揺れていればいい。
でも、それだと単に刺激を得ているだけ。


発達とは、心地良いからこそ、生じるもの。
本人が心地良いと感じることが一番。
でも、発達を後押ししている者、育み合いをしている相手も、心地良く感じれることが大事だと思います。
何故なら、その心地良さは、後押し、育み合いを通して、子ども自身にも伝わっていくから。
そういった発達援助をしている者の心地良さが、子ども自身の心地良さをさらに大きくすることもあります。
そういった発達援助をしている者の心地良さが伝わってくることで、子ども自身も「自分の心地良さ」を感じることもあります。


子どもさんの反応を見ても、心地良さがわからないとしたら、それは援助する側の感覚が抜け落ちているからかもしれません。
「今のやり方、私自身も心地良かった」
そういった「心地良かった」という感覚は繋がり合い、子どもの「心地良い」を感じる一歩だといえます。


自分自身が、心地良いも悪いもなく、ただ単に援助しているだけでは、子どもの「心地良い」は見えてこないでしょう。
また対話は起きず、育み合いも生じない。
案外、子どもさんが心地良く感じられていないのは、その刺激、やり方が悪い、合っていないのではなく、やっている側の人間が、単に身体を動かしているだけ、感情が伴っていないため、と感じることは少なくないのです。
子育ても、発達援助も、タスクではありません。
親子の対話であり、育み合いだと、私は考えています。

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