2019年3月28日木曜日

向上心を発揮する場があるのか

久しぶりに当地のデパートに行きました。
すると、店員さんは私語ばかり。
お客さんが近くに来ても、お構いなくペチャクチャ。
私には、売る気もなければ、仕事人としての意欲も、プライドもないように映りました。
もう一つあった老舗のデパートは今年の一月で閉店。
「数少ない地元のデパートだから、開けときゃお客は来るだろう」みたいな雰囲気は、閉店したところと同じ雰囲気を感じます。


「デパートで買うのがステータス」世代がいなくなれば、潰れるのは必至。
何だか、「療育受けるのがステータス」に似ていますね。
特に治すわけでもなく、何年経っても同じ支援に、誰が来ても同じアドバイス。
「開けときゃ来るでしょう」という態度の支援者と「療育受けるのがステータス」の親御さん達が、地元の支援機関を支えてます、みたいな。


以前、相談に乗っていた若者が、「公務員は、年齢が上がると、給料も上がるから就きたい」と言ったのを、私が叱ったことを思い出しました。
確かに公務員は、年齢給みたいなものがあるから、年齢、勤続年数が上がれば、給料も上がります。
でも、その給料の上りは、ただの年数の上がりではない。
働いた時間の中での技能向上、経験や責任が増えたことが給料にも反映されている、というような話をさせてもらいました。


こういったのはうわべの情報だけで判断してしまうこともあるでしょうし、身近な大人たちがそんな話を子どもにしていたのが影響しているのだと思います。
結構、働いている大人たちの中にも、プロとしての向上心に欠けるような人が少なくないように感じます。
独立するまで、2つの職場を経験しましたが、給料をもらいに出社しているみたいな空気感がとても嫌だったですね。
父親は「働いてからも勉強。生涯勉強」と言っていましたし、実際、その姿を見て育ちましたので、それが当たり前だと思って働いていますし、それができない人を見ると、ドン引きします。


特に私は自営業ですから、技術向上と知識の更新は当たり前ですし、それが事業としての命に直結すると考えています。
もし自営業の私が、一年前と同じレベルの助言、発達援助しかできないとしたら、即刻廃業になります。
公的な補助は貰っていない100%利用してくれた方のお金だけで事業を行っていますので、利用者がいなくなれば終わりです。
常に利用してくれる人に対して、相手の希望よりも上の返しができなければ、自営業はできません。


よく「奇を衒って“治る”なんて言ってやがる」と揶揄されましたが、奇を衒うだけでは事業が続けれるわけはありません。
もし私が詐欺やインチキをやろうもんなら、即刻、通報されますし、第一、お客さんが来なくなります。
今月で6年目も終わり、来月からは7年目に突入しますが、逆に奇を衒う作戦で「治る」と言い、6年も公的な補助もなく、事業を続けられたとしたら、それこそ、すごいこと、才能があるといえるでしょう。
私の奇を衒った作戦が功をなしたのなら、そちらの方の才能を活かした商売をしますね。


人間と動物の違い、境目は、向上心の有無だと考えています。
動物は獲物を捕るために全力を尽くしますが、獲ってしまえば、変わらず獲り続けられるのなら、技能向上は目指しません。
でも、人間は、想像力を働かせ、試行錯誤を繰り返しながら、そして事前に知識や技能を得て準備することで、自分自身を高めようとします。
結果のみに注目するのが動物であり、プロセスも含むのが人間。


「見えないものは、ない」という本人の想像性と、形を教え込もうとする療育が合わさると、プロセス、向上心の大切さに気づけないまま、大人になる人が少なくないように日々、感じています。
若者たちと話していても、どうも職業観が狭すぎるというか、幼い。
「お給料をもらうため」「生活するため」「自立するため」
どれもすべて合っています。
でも、それだけだったら、必ずしも一般就労で、フルタイムで働かなくてもいい。
というか、働かなくても、できちゃうのが現在の日本の福祉制度。
しかも、ギョーカイは、発達障害の人達に、診断がついていない人に診断名をもらうように勧めてまでも、結果的にお金が貰えて、生活でき、自立できる(もれなく支援者付き)道へと導いていく。


こういった現状と若者たちの相談を通して、私は思います。
子ども時代から学ぶこと、自分自身を成長させること、向上心を持つことの大切さを伝えていくべきだと。
そのためには、想像力が育っていくような援助をしていくのと同時に、見えない部分をはっきり教えていくことを心掛けています。
そして、子どもにとって重要な環境でもある親御さんが、向上心を持って、自分自身が学び、成長していく姿を見せることが重要です。
そういった意味で、実際に試行錯誤して治していくことだけでなく、その試行錯誤する親御さんの姿自体も、子どもにとっては良い影響と成長に繋がるのだと思います。


親御さん達も、支援する我々も、子どもが治ることが目的ではないのはわかっていると思います。
あくまで、より良い人生を歩んでほしい、自由な生活を謳歌してほしい、その子の資質を活かして生きていってほしいというのが願いであり、そちらが目的だといえます。
そういった軸がブレなければ、「一般就労して二次障害になるくらいなら、福祉を利用すればいい。お金ももらえるし、親がいなくなっても生活できるから」という支援者の甘言に惑わされないはずです。


今まで、どれくらい多くの人達が、その甘言に引きづられていったのか。
確かに、彼らはお金ももらえているし、生活もできている。
でも、向上心を発揮する必要のない仕事、生活、人生の中に、人間としての喜び、生きている実感があるのでしょうか。
私語を続けるデパートの店員。
大型バスに乗せられ通勤している成人した人達。
そこに向上心を発揮する場があるのか、と思うのです。

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