2019年3月12日火曜日

リードするのは親でも、支援者でもなく、子ども自身

プロテインを飲ませたいのは親御さんであり、飲むのはお子さん。
このことを忘れてはいけませんね。
もし、お子さんがプロティンを飲まないのでしたら、親ができることは二つだけ。
どうしたら、心地良く飲んでくれるか、試行錯誤することと、プロティンが飲める身体に育てること。
たとえ、本人に必要な栄養素だとしても、嫌がるのを無視して無理やり飲ませるのなら、私はそれも一つの虐待だと思います。


子どもは、自分に必要な発達刺激がわかります。
自ら能動的に、また時間を忘れるように熱中する遊び、活動というのは、“今”その子にとって必要な刺激であり、今まさに発達課題をクリアしようとしている瞬間なのです。
同じように、自分に必要な食べ物もわかります。
言葉がまだはっきり出ていないような子でも、「これが食べたい」「もっとほしい」と主張することがあります。
「一時期、〇〇ばっかり食べていた」なんていうお話も、いろんなご家族からお聞きします。


子どもが欲する食べ物、栄養素は、本能レベルで自分に必要だと気がついているのだと思います。
ですから、発達に関して言えば、子どもの声に耳を傾けるべきだと思います。
親がリードするのではなく、子どものリードに親がついていく、または横について伴走する感じです。
もちろん、学習や躾、心身を育むことに関して言えば、親がリードする方が良いこともありますが、発達はあくまで子の前に出ない、子の気づき、本能、伸びる力を信じてついていくことだと思います。


私は訪問型の仕事をしていますので、すぐに感じます、親子の距離感が。
子どもが前にいるか、親が前にいるか。
親が子どもにちゃんとついていけているか、子どものペースを無視して、親が前を走っていないか。
理想的な親子、「ああ、この調子で行けば、ドカンという発達が来るな」「治って、ちゃんと自立していくね」と感じる親子というのは、子が前を一生懸命走り、それ後ろからついていって後押ししている親御さん。
あくまで、発達のリードは子どもさんで、「私は、我が子の伸びる力を信じます」という姿勢があるご家庭では治っていくし、子どもさんが成長とと共に自ら手と足で治し、自立していくように感じます。


犬の曲芸みたいな療法とは、「ここまで来たら、ご褒美をやるぞ」「これができたら、お菓子をあげるぞ」、そんな大人がリードし、それに子がついていくという流れです。
これでは芸は身につくかもしれませんが、発達のヌケが埋まっていくことも、治っていくこともないでしょう。
そして何よりも、自らの足で立とうとする意思と力が身につきません。
療育を受けた子ども達が一向に自立しないのは、こういった大人、支援者が常にリードする育て方をされ続けたから。
芸をする動物が自立して野生に戻らないのと同じ。
芸を身に付けさせるには、意思はいらない、むしろ邪魔なので、その余白を作らないように常にリードする者と、それについていくだけの者という関係性を作るのです。


神経発達に栄養は重要な要素になります。
しかし、その重要な栄養も、吸収できるだけの内臓、口に入れ、咀嚼し、飲みこめるだけの力、育ちが必要です。
また、「この食べ物は安全だ」「食べてみたいな」と感じられる嗅覚も。
そういった発達、育ちはできているのか。
ちゃんと食べ、吸収できる身体に育っているのか。
もし、まだ育っていない部分があるのなら、そこを育てていこう。
そのように思えることが、子どもの発達を後押しすることであり、意思を尊重することだと思います。


その食べ物を食べるのは誰か?
その遊びをするのは誰か?
発達のヌケを埋め、育てていくのは誰か?
この答えは、すべて目の前にいる“子ども”自身。
ですから、発達に関して言えば、先頭を走るのは、常に子どもなのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿