プロテイン治療!
なんてあったら、それこそ、ヤバいでしょ。
「プロテインを飲んだら、発達障害の症状が治ります」なんて(笑)
治そうとしている親御さん達がプロテインを用意するのは、子どもの神経を育てたいから。
神経の大元であるアミノ酸が十分満たされるアイディア、方法の一つとして、プロテインを選択しているだけ。
プロテインも、サプリも、薬じゃないんだし、より良い神経発達のための条件の一つ。
「食事のメニューをどうするか」「おやつをどうするか」と同じ話。
どうも、「治療」と「子育て」を混同している人がいるようです。
治そうと頑張っている子ども達、親御さん達、支援者達は、治療をしようとしているわけでも、治療によって治そうとしているわけでもありません。
だって、神経発達に遅れがある子ども達ですよ。
発達に遅れがあるのなら、取り戻せば良いだけ。
そのアイディアとして、発達のヌケを育てなおしたり、身体アプローチをしたり、栄養面から後押ししているのです。
これらは治療でなく、すべて神経発達を促すための子育て。
「脳の機能障害」から脱せられない人が、いつまで経っても治療だと勘違いをする。
自閉症の特性があって、ADHDの特性があって、LD、知的障害の特性がある。
それはすべて生まれつきで、脳の機能障害。
だから、金魚体操も、プロテインも、身体アプローチも、一色単に「そんなんで、生まれつきの脳の機能が変わるわけない。症状がなくなって、治るわけがない」と見誤るのです。
定期的に出てくる「エビデンスガー」もそうです。
治った人が、治療によって治ったと思っている。
だから、親御さんや支援者を捕まえて「医療では~」「医学会では~」「お医者さんが~」「医師法が~」と的外れなことを言い続ける。
「私、お医者さんではありません」
「一般の主婦です」「支援者です」
なんて言っても、ピンとこないのは、「発達障害=医療、治療」という頭が切り替えられないせいです。
どこの世の中に、胎児期から2歳前後の発達を、「エビデンスが必要だ」「専門家、専門機関じゃないとやってはいけない」という人がいるのでしょうか。
赤ちゃんの発達って、専門機関で行うもの?
どの子も、みんな、お母さんのお腹の中と家庭、自然の中で発達させていくでしょ。
「その寝返りの仕方に、エビデンスがない」「寝返りが完了としたという科学的根拠は?」と赤ちゃんに言うのですか(笑)
どれくらいの回数、強度、距離をズリバイしたらクリアになり、次のハイハイへ移行するか、なんてデータの取りようがないし、個々によって違うもの。
だから、「エビデンス」「エビデンス」というけれども、最初から胎児が、赤ちゃんが、幼児が、どのような流れで発達していくかは、エビデンスとは別次元のお話なのです。
治るには、エピソードで十分。
というか、エビソード以外出てくるわけはないのです。
だって、子育てだから、自然なヒトの発達だから。
胎児期の発達は、誰が行うのですか?
お医者さんじゃないですよね。
そして環境も医療機関、専門機関ではない。
胎児期の発達の主は、胎児自身であり、母体が育つ環境。
同じように、出生後だって、赤ちゃん自ら刺激を感じ、刺激に反応し、自分の神経を育てていく。
育つ環境は、普通の家庭であり、親子、家族の関係性の中で。
私達は、最初から治療しようなんて思っていない。
特性を治療によって、「治そう」なんてしていない。
いろんな理由から、特に胎児期から言語を獲得する前の2歳前後の発達の中にヌケや遅れが出ている。
だったら、そこに戻って、今から育て直そうよ、子どもが育てる神経を後押ししようよ、ということ。
育ってない神経、未発達の神経を育てたい。
そして、そういった神経が育っていけば、その人の持つ自然治癒力と発達する力によって、心身共にバランスが取れてくる。
症状が症状として表れる前に、症状が出ていたとしても、神経発達と新たな神経回路の接続が状態を変化させる。
未発達の神経が育てば、症状が消え、治っていくのは、自然な流れだといえます。
神経が未発達の部分を、治療しますか?育てますか?
胎児も、赤ちゃんも、未発達な部分があって、それを育てていくじゃありませんか。
未発達だからといって、薬を飲ませたり、治療したりしないでしょ。
未発達な神経は治療対象ではなく、育む対象だから。
そうやって人類は、700万年もの間、育み、命のバトンを渡してきたのです。
親が、支援者が、いつまで経っても、発達障害が治療対象だと考えている限り、治りはしないし、障害は残ったまま。
むしろ、未発達をそのままにして積み上げていくもんだから、歪み、凸凹は大きくなるばかり。
子は親を選べない。
親が選べるのなら、痛ましい虐待を受けた子ども達は、その親を選んだということになるから。
そんなわけはないに決まっています。
多くの子ども達と出会ってきましたが、誰ひとりとして治療してほしいなんて望んではいません。
ただ、みんなと同じように、伸びやかな発達、成長がしたいだけ。
その願いが聞けるのは、親御さんだけ。
ですから私は、親御さんに子育てをしていただきたい。
子育てこそが、子どもの願いであり、その流れの中に「発達」と「治る」があるから。
「プロテインを飲んだら、発達障害の症状が治ります」なんて(笑)
治そうとしている親御さん達がプロテインを用意するのは、子どもの神経を育てたいから。
神経の大元であるアミノ酸が十分満たされるアイディア、方法の一つとして、プロテインを選択しているだけ。
プロテインも、サプリも、薬じゃないんだし、より良い神経発達のための条件の一つ。
「食事のメニューをどうするか」「おやつをどうするか」と同じ話。
どうも、「治療」と「子育て」を混同している人がいるようです。
治そうと頑張っている子ども達、親御さん達、支援者達は、治療をしようとしているわけでも、治療によって治そうとしているわけでもありません。
だって、神経発達に遅れがある子ども達ですよ。
発達に遅れがあるのなら、取り戻せば良いだけ。
そのアイディアとして、発達のヌケを育てなおしたり、身体アプローチをしたり、栄養面から後押ししているのです。
これらは治療でなく、すべて神経発達を促すための子育て。
「脳の機能障害」から脱せられない人が、いつまで経っても治療だと勘違いをする。
自閉症の特性があって、ADHDの特性があって、LD、知的障害の特性がある。
それはすべて生まれつきで、脳の機能障害。
だから、金魚体操も、プロテインも、身体アプローチも、一色単に「そんなんで、生まれつきの脳の機能が変わるわけない。症状がなくなって、治るわけがない」と見誤るのです。
定期的に出てくる「エビデンスガー」もそうです。
治った人が、治療によって治ったと思っている。
だから、親御さんや支援者を捕まえて「医療では~」「医学会では~」「お医者さんが~」「医師法が~」と的外れなことを言い続ける。
「私、お医者さんではありません」
「一般の主婦です」「支援者です」
なんて言っても、ピンとこないのは、「発達障害=医療、治療」という頭が切り替えられないせいです。
どこの世の中に、胎児期から2歳前後の発達を、「エビデンスが必要だ」「専門家、専門機関じゃないとやってはいけない」という人がいるのでしょうか。
赤ちゃんの発達って、専門機関で行うもの?
どの子も、みんな、お母さんのお腹の中と家庭、自然の中で発達させていくでしょ。
「その寝返りの仕方に、エビデンスがない」「寝返りが完了としたという科学的根拠は?」と赤ちゃんに言うのですか(笑)
どれくらいの回数、強度、距離をズリバイしたらクリアになり、次のハイハイへ移行するか、なんてデータの取りようがないし、個々によって違うもの。
だから、「エビデンス」「エビデンス」というけれども、最初から胎児が、赤ちゃんが、幼児が、どのような流れで発達していくかは、エビデンスとは別次元のお話なのです。
治るには、エピソードで十分。
というか、エビソード以外出てくるわけはないのです。
だって、子育てだから、自然なヒトの発達だから。
胎児期の発達は、誰が行うのですか?
お医者さんじゃないですよね。
そして環境も医療機関、専門機関ではない。
胎児期の発達の主は、胎児自身であり、母体が育つ環境。
同じように、出生後だって、赤ちゃん自ら刺激を感じ、刺激に反応し、自分の神経を育てていく。
育つ環境は、普通の家庭であり、親子、家族の関係性の中で。
私達は、最初から治療しようなんて思っていない。
特性を治療によって、「治そう」なんてしていない。
いろんな理由から、特に胎児期から言語を獲得する前の2歳前後の発達の中にヌケや遅れが出ている。
だったら、そこに戻って、今から育て直そうよ、子どもが育てる神経を後押ししようよ、ということ。
育ってない神経、未発達の神経を育てたい。
そして、そういった神経が育っていけば、その人の持つ自然治癒力と発達する力によって、心身共にバランスが取れてくる。
症状が症状として表れる前に、症状が出ていたとしても、神経発達と新たな神経回路の接続が状態を変化させる。
未発達の神経が育てば、症状が消え、治っていくのは、自然な流れだといえます。
神経が未発達の部分を、治療しますか?育てますか?
胎児も、赤ちゃんも、未発達な部分があって、それを育てていくじゃありませんか。
未発達だからといって、薬を飲ませたり、治療したりしないでしょ。
未発達な神経は治療対象ではなく、育む対象だから。
そうやって人類は、700万年もの間、育み、命のバトンを渡してきたのです。
親が、支援者が、いつまで経っても、発達障害が治療対象だと考えている限り、治りはしないし、障害は残ったまま。
むしろ、未発達をそのままにして積み上げていくもんだから、歪み、凸凹は大きくなるばかり。
子は親を選べない。
親が選べるのなら、痛ましい虐待を受けた子ども達は、その親を選んだということになるから。
そんなわけはないに決まっています。
多くの子ども達と出会ってきましたが、誰ひとりとして治療してほしいなんて望んではいません。
ただ、みんなと同じように、伸びやかな発達、成長がしたいだけ。
その願いが聞けるのは、親御さんだけ。
ですから私は、親御さんに子育てをしていただきたい。
子育てこそが、子どもの願いであり、その流れの中に「発達」と「治る」があるから。
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