支援者に手柄などあるわけがない
数年に渡って、一人の若者を鳥かごの中に押し込めようとしていたのにも関わらず、本人が仕事を始めると、「あなたは自立できる人だと思っていた」と言ってしまう、あまちゃん県の支援者。
散々、人権侵害してきたし、同県のギョーカイ人達がひどいことを行ってきたのを見聞きしていたのにも関わらず、そこで本人のことを守ろうともしなかった、「それはおかしい!」と同県のギョーカイに抗議をすることもしなかった。
本当に、この若者のことを信じ、自立できるような人だと思っていたのだったら、必死に守るし、一緒に闘うはず。
言葉なんて、あとからでも、なんとでも言えます。
100万歩譲って、本当に可能性を信じていたとしても、ボーと見ているだけだったら、それは同県のギョーカイと同じ。
身近に、自分を助けてくれる人、応援してくれる人、そして何よりも一緒に理不尽と闘ってくれる人がいなかった、その孤独感、喪失感を想像したことがあるのか、と言いたい。
行動が伴って初めて、言葉に信用が生まれるもの。
本来なら、「申し訳なかった」と謝り、自分の見る目の無さ、ウデの悪さ、行動に移せなかった卑怯者の心を悔やむのが、ヒトとして、ひと様を支援する者として自然な姿。
自らの過ちに気が付くからこそ、今までの己の支援、同県のギョーカイのあり方から、切り離すことができる。
そして、より良い支援、支援のあり方へと変わっていくチャンスを得る。
本人が変わったのに、支援する側が変わらない、というのはあり得ないこと。
結局、こういった支援者の変わり身、手の平返しは、あわよくば自分の手柄にしたい、という想いの表れです。
あまちゃん県に限らず、こういった類の話は、よくあることです。
だって、私だって、何度も経験しているから。
あれだけ「この子が、一般就労を目指すって(笑)」「IQが上がるわけないでしょ」「感覚過敏は治らないの、それが障害だから」と言っていたのにもかかわらず、治ったり、一般就労したりすると、「うちの支援が良かったから」「うちの学校の教育が良かったから」と言う。
しかも、それを対外的にも言ってしまう。
学校見学のときの実績として、講演会のネタとして。
「てらっこ塾??そんなのやめちまえ」と言っていたのにね。
ギョーカイというのは、一般就労した人、自立した人、治った人の話を欲しているんですね。
だって、自分たちの関係者にはいないから。
みんな、年がら年中、「生きづらい」と言い、その生きづらさの一つすら解決したことがないんですもん。
挙句の果てに、「治らないのは障害だから」「生きづらいのは社会のせいだ」とまで言ってしまう。
だからこそ、少しでも接点のある人が、一般就労したり、治ったりすると、それを外に向かって言ってしまうのです。
というか、言わないと、結局、治せず、対処療法と青いお祭りしかしてないことがバレチャウからね。
支援者が大きく勘違いしているのは、自分たちが手柄を得られると思っていることです。
支援して、その人が自立したり、就職したりしても、支援者の手柄にはなりません。
動いたのは、本人であり、家族だから。
コネと力関係でねじ込む福祉的就労やグループホーム入所は、そりゃあ、支援者の手柄といえるかもしれません。
でも、自立や就労、特に治るに関しては、本人が治したから治ったのです。
昨日のブログと通じますが、本人と家族がしっかりと土台を育んだから、発達のヌケを育て直したから治るのですし、そこから本当の意味での自立や就労が始まります。
支援者なんていうのは、万能な能力を持っているわけではありません。
一般の人より、経験と情報を持っているくらいなもの。
その限られたものの中から、本人と家族が主体的に利用するのが自然な関係性。
私も仕事で、見たてや育み方の提案、技術転移を行いますが、それだって情報提供しているにすぎません。
関わった家族の方達から治った報告を頂くことがありますが、それだって本人が治そうと動き、家族が育み、後押しをした結果です。
治したのは、本人と家族であり、私はただ情報提供をしただけ。
だからね、支援者が「手柄」なんていう言葉を考えた時点で終わっているのです。
支援者は、本人と家族に利用してもらうもの。
主は、絶対に支援者側になりません。
支援者側に主体が来ないのだったら、そこに手柄などあるわけがないのです。
治ったのは、本人の頑張りの結果。
自立できたのは、家族の育みと後押しの結果。
支援者とは、その姿を見て喜ぶのが仕事。
「一般就労できたのは、私の支援のおかげよ」というようなヤツは、支援者の風上にも置けない人だといえますね。
その考え方自体、ギョーカイ臭が漂っています。
散々、人権侵害してきたし、同県のギョーカイ人達がひどいことを行ってきたのを見聞きしていたのにも関わらず、そこで本人のことを守ろうともしなかった、「それはおかしい!」と同県のギョーカイに抗議をすることもしなかった。
本当に、この若者のことを信じ、自立できるような人だと思っていたのだったら、必死に守るし、一緒に闘うはず。
言葉なんて、あとからでも、なんとでも言えます。
100万歩譲って、本当に可能性を信じていたとしても、ボーと見ているだけだったら、それは同県のギョーカイと同じ。
身近に、自分を助けてくれる人、応援してくれる人、そして何よりも一緒に理不尽と闘ってくれる人がいなかった、その孤独感、喪失感を想像したことがあるのか、と言いたい。
行動が伴って初めて、言葉に信用が生まれるもの。
本来なら、「申し訳なかった」と謝り、自分の見る目の無さ、ウデの悪さ、行動に移せなかった卑怯者の心を悔やむのが、ヒトとして、ひと様を支援する者として自然な姿。
自らの過ちに気が付くからこそ、今までの己の支援、同県のギョーカイのあり方から、切り離すことができる。
そして、より良い支援、支援のあり方へと変わっていくチャンスを得る。
本人が変わったのに、支援する側が変わらない、というのはあり得ないこと。
結局、こういった支援者の変わり身、手の平返しは、あわよくば自分の手柄にしたい、という想いの表れです。
あまちゃん県に限らず、こういった類の話は、よくあることです。
だって、私だって、何度も経験しているから。
あれだけ「この子が、一般就労を目指すって(笑)」「IQが上がるわけないでしょ」「感覚過敏は治らないの、それが障害だから」と言っていたのにもかかわらず、治ったり、一般就労したりすると、「うちの支援が良かったから」「うちの学校の教育が良かったから」と言う。
しかも、それを対外的にも言ってしまう。
学校見学のときの実績として、講演会のネタとして。
「てらっこ塾??そんなのやめちまえ」と言っていたのにね。
ギョーカイというのは、一般就労した人、自立した人、治った人の話を欲しているんですね。
だって、自分たちの関係者にはいないから。
みんな、年がら年中、「生きづらい」と言い、その生きづらさの一つすら解決したことがないんですもん。
挙句の果てに、「治らないのは障害だから」「生きづらいのは社会のせいだ」とまで言ってしまう。
だからこそ、少しでも接点のある人が、一般就労したり、治ったりすると、それを外に向かって言ってしまうのです。
というか、言わないと、結局、治せず、対処療法と青いお祭りしかしてないことがバレチャウからね。
支援者が大きく勘違いしているのは、自分たちが手柄を得られると思っていることです。
支援して、その人が自立したり、就職したりしても、支援者の手柄にはなりません。
動いたのは、本人であり、家族だから。
コネと力関係でねじ込む福祉的就労やグループホーム入所は、そりゃあ、支援者の手柄といえるかもしれません。
でも、自立や就労、特に治るに関しては、本人が治したから治ったのです。
昨日のブログと通じますが、本人と家族がしっかりと土台を育んだから、発達のヌケを育て直したから治るのですし、そこから本当の意味での自立や就労が始まります。
支援者なんていうのは、万能な能力を持っているわけではありません。
一般の人より、経験と情報を持っているくらいなもの。
その限られたものの中から、本人と家族が主体的に利用するのが自然な関係性。
私も仕事で、見たてや育み方の提案、技術転移を行いますが、それだって情報提供しているにすぎません。
関わった家族の方達から治った報告を頂くことがありますが、それだって本人が治そうと動き、家族が育み、後押しをした結果です。
治したのは、本人と家族であり、私はただ情報提供をしただけ。
だからね、支援者が「手柄」なんていう言葉を考えた時点で終わっているのです。
支援者は、本人と家族に利用してもらうもの。
主は、絶対に支援者側になりません。
支援者側に主体が来ないのだったら、そこに手柄などあるわけがないのです。
治ったのは、本人の頑張りの結果。
自立できたのは、家族の育みと後押しの結果。
支援者とは、その姿を見て喜ぶのが仕事。
「一般就労できたのは、私の支援のおかげよ」というようなヤツは、支援者の風上にも置けない人だといえますね。
その考え方自体、ギョーカイ臭が漂っています。
この度は相談に乗っていただきありがとうございました。
返信削除ギョーカイの顔色を伺ったり死んだふりをせずに、相談に乗っていただいた、大久保さんたちには本当に感謝しています。
地元の相談機関は通える所は全部通いました。お子さん、特に就学前、小学生の支援であれば治るという認識の支援者・先生たちも当地では増えてきているようですけど、成人になると、
「治らないのが当たり前」
という認識の所がほとんどでしたね。花風社さんの協力で今年から皆さんの見える所に出現するようになってから叩かれたくないからかいきなり態度を変えた方も中にはおりましたけど今までのそれを見て何もしてない所を見ていると果たして本当に治る方針にシフトしたかは疑問です。
ところで、私が十年以上前にお世話になっていた支援級の先生はもっと良心的でした。
当時は治る為の知見はまだなかった時代で、発達障害で治るはまだ一般的ではなかった時代でしたが、卒業前に、
「何もしてやれなくてごめんね。」
と謝ったのが印象的でした。その先生たちは大人になってからも困らないようにそして薬をなるべく飲まずに生活ができるように身体がラクになるためのアイディアを教えてくれました。
せめてその支援者たちもお手柄とか保身ではなくて、今後圏のお子さんたちと向き合う時はお子さんの成長と身体がラクになる方法を暖かく見守ってほしいものです。
おみるはんさんへ
削除一人の人間として、人間同士として真摯に向き合えば、おのずと「少しでもラクになってほしい」「どうにか良くなる方法はないものだろうか」「できることなら、治してあげたい、治ってほしい」という感情が溢れ出てくるものです。
だからこそ、「何もしてやれなくてごめんね」という言葉が出てきたのだと思います。
その先生は、本気で「良くなってほしい」と思っていたはずです。
ここにコメント頂いたのは、同県にも、心ある支援者、先生がいることを伝えたかったからだと思います。
当然、そういった人達、治したいと思う人達がいるのもわかりますし、私以外の人も感じているはずです。
どこにでも、どうしようもない人はいるものです。
しかし、あまちゃん県の場合、一番の問題は、そういった良心的な人達、本気で治りたい人、治したい人が表に出てこないのが問題なのです。
本来は、そういった良心的な支援者、先生の中から、あまちゃん県のギョーカイに対して、「それは違う」「やっていることは人権侵害だ」という声が出ないといけないのです。
全国各地、心ある支援者、志を持った支援者はいるものです。
でも、その人達が、その地域のギョーカイの顔色を伺ったり、妨害されて黙っていたりするようではいけません。
私は、行動に起こせない人間は何もしていないのと同じだと考えています。
ある意味、間違いに気が付いているのに、行動しないとしたら、それは臆病者であり、卑怯者であるともいえるのです。
あまちゃん県の支援者に言いたいのは、一人の若者に闘わせていいのか、自分たちは見てむぬふりをするのか、ということです。
特に、「何もしてやれなくてごめんね」というような言葉が出てくるような人達には頑張ってほしいのです。
自分たちで、自分達の地域の子ども達、家族を幸せにしないで、どうするんだ!!と言いたいです。
あまちゃん県に、良心的な支援者、先生、治したい人達も、たくさんいるでしょう。
それは、敢えて言わなくても、察しが付く部分です。
でも、問題の本質は、そういった人達の顔や声が見えてこないこと。
見えてこないからこそ、「あまちゃん県のギョーカイはヒドイ」という話になるのです。
大久保さんコメントありがとうございます。
返信削除支援者や学校の先生もですけど声を全然あげない、圏のお子さん・きょうだいがいらっしゃる人たち、当事者にも責任があるかと思います。あまちゃん県がなぜ声をあげるのをいやがる人が多いのかと言いますけど、辿っていくと実は歴史上の背景も深く関係しているのでは?と思います。高校レベルの歴史(日本史)の知識があればわかるかと思いますけど、あまちゃん県は今から1000年ほど前に2度にわたって昔の中央(朝廷)の支配下に置かれました。いわゆる植民地ですね。どうもその影響からか知りませんけど、「目立つのは害だ」「人とちがう意見はダメ」と捉えている人が発達障害の世界関係なしに非常に多いような気がします。
でもそんなのは理由になりませんね。
(大谷翔平君みたいにひたむきにただ自分の事をやってしっかり結果という形で証明している人もいますもんね、あまちゃん県には)
ギョーカイの方針がイヤだけど、周囲の人間関係を気にして、何もしないのは結局あなた方も大嫌いなギョーカイと同類ということになりますな。意見を言わないというのは、結局大嫌いなギョーカイの意見に同意してるのと同じ事ですからね。
私は地元の発達関係、ほとんど縁が切れました。
でも、ごくごく少数ですけど、
「これからも付き合っていきたい」
という人もいました。花風社つながりで北は北海道、南は沖縄と新しい縁もできました。この方達はギョーカイにいた頃と違って、本音を話すことができるのでヒジョーに楽ですよ(^^)これからも大切にしていきたい縁ですね。