習い事ができるようになったら、卒業!
私の援助を卒業した子と、久しぶりにお会いする機会がありました。
子どもの1年、2年はとても大きなもの。
見違える程、たくましく成長した姿から、会わなくなってからの時間に流れた本人の頑張りを感じました。
このご家族と初めてお会いしたときから、私はこう言っていました。
「〇〇くんは、社会や地域の中で育ち、成長していく子。だから、地域の資源が利用できる、社会の中でより良く成長できる段階までお手伝いします」と。
当初の親御さんの希望、依頼内容とは異なりましたが、本人と接し、本人の気持ち、可能性を確認したあと、「地域の習い事に通えるくらいまで育ったら、卒業」と決め、それに向けて発達援助を行いました。
実際に本人と関わらせてもらったのは半年もありませんが、本人も、親御さんも、私も、発達のヌケ、課題の根っこをしっかり捕まえられたという実感が得られてからというもの、加速度的に成長のスピードが高まっていきました。
まさに発達はドカン!
本人が自分の変化、自信を感じ始めたタイミングを見て、地域のイベントに参加。
いろんな子ども向けのイベントに参加するうちに、友達ができ、これをきっかけに興味が広がる。
興味が出たものに関して、個人でやっている教室があり、そこに見学→通うようになりました。
今では、苦手だった運動に関する習い事もやっているそうです。
一般の習い事に通えるようになったとき、親御さんは本当に喜ばれていました。
まさかこんな日がくるとは思わなかった、と言います。
学校では教科学習の時間10分。
親御さんが「勉強は…」と言うと、「この子達には自立できる力を養うことが大事」と、身辺面と体力面、一人で過ごせる余暇ばかりのカリキュラム。
だから、同世代の子どもと同じような姿は想像できなかった、と言っていました。
私は、「最後のところは、社会が治す」と信じています。
それは、社会に出て、働き始めると、どんどん治っていく若者たちを見てきたから。
支援者に「まだダメだ、まだダメだ」と止められていた人が、その手を振り切り、社会に飛びだしていくと、一気に治っていきました。
社会には治す力がある。
いや、「社会にこそ、治す力があるのだ」と、そういった若者たちの姿から思うようになりました。
支援者、専門家に治せる部分は、社会と比べれば、ごく限られた部分です。
私の仕事は、発達障害の人達を飼い殺しにすることではなく、発達援助なのですから、社会に飛び立つ、その手前までが役割になります。
子どもで言えば、学校の勉強ができるようになる、地域にある資源を活用できるようになる、放課後、家庭や地域で自由に遊ぶことができるようになる、まで。
これらの一つでも可能になったなら、そこは、それぞれが担っていけば良いのだと思います。
だって、子ども達の目指す先は、社会だから。
社会で暮らすこと、自分の資質を役立てていくことが、子ども、家族、社会の願いです。
だからこそ、社会に出ていけるように後押しするのが支援者の役目であり、責任になります。
社会、地域に出ていける力を育もうとしない、社会、地域で利用できるものがあるのに、そこまで支援者が手を出そうとする。
放課後、友達と遊びに行けるのに、一般の習い事に通えるのに、学習塾や家庭教師を利用できるのに、学校卒業するまで児童デイ。
社会に出ていくことが自立ではないのでしょうか。
支援者の手の中で、問題を起こさず、おとなしく立っていられるのが自立なのでしょうか。
支援者の中に、一部の親御さんの中にも、子ども達を社会から遠ざけている人達がいます。
社会に出ていってほしいはずなのに、社会資源、地域資源を活用しない、そこで学び、経験させようとしない、それを利用できるくらいまでに育てようともしない。
いつになったら支援が終わるの!?っていう支援者が多すぎる。
いつになったらお腹の中から子どもを出してあげるの!?っていう親が多すぎる。
「自立を支援する」と言っている支援者が、子どもが小学生になり、中学生になり、高校になり、大学生になっているのに、一向に支援から離れようとしない。
さらに、成人後の支援まで始めようとする。
まったくもって理解不能です。
私は仕事をしていて、いつも思います。
できるだけ早く、社会に送りだそう、と。
子どもなら、柔軟な頭と身体、より自然な心を持っている時期に、社会、地域の中でたくさんのことを感じて経験してほしい、と願います。
だって、私が援助できることは限られているから。
社会、地域の中の方が、バリエーション豊かな刺激、自然で自立につながる刺激にあふれているから。
そして何よりも、彼らの進む先、飛び立つ先、人生の舞台は、社会だから。
別の子ですが、身体の軸が育っていなく、ぐちゃっとした子がいました。
すると、療育機関で「軸を育てましょう」と取り組みが始まった。
何をするかと思えば、トランポリン。
わざわざ時間と労力と税金をかけて、トランポリン。
私は発達のヌケは育て直しますが、「軸だったら」「この子の身体を育てるんだったら」と、家庭でできる遊び、活動や、利用できる地域資源を連想します。
申し訳ないけれども、軸が育っていないからトランポリン跳ばせとけばいい、というぐらいの発想しかない療育機関だったら、地域で一般の人、子ども達に教えている習い事の先生、人達の方がよっぽど豊かなアイディアと引き出しを持っていると思います。
だから、基本的に、地域の資源、人達が担えない部分が私の担当、役割と考えています。
私と遊ぶより、友達と遊んだ方が何百倍も刺激が多いし、楽しい。
私が教えるよりも、習い事の先生、地域の人達が教えてくれることの方が何千倍も豊かな学びになる。
支援者の役割は、家庭と地域の橋渡し。
橋を渡るまでが支援者の役割。
いや、橋を自分で渡っていけるようになるまで、橋の前に立つまでが役割かもしれません。
近頃、というか、特別支援が始まってからずっと、橋を一緒に渡っていこうとする支援者、橋の前に立ち、渡らせようようとしない支援者が減らず、困ったものです。
子どもの1年、2年はとても大きなもの。
見違える程、たくましく成長した姿から、会わなくなってからの時間に流れた本人の頑張りを感じました。
このご家族と初めてお会いしたときから、私はこう言っていました。
「〇〇くんは、社会や地域の中で育ち、成長していく子。だから、地域の資源が利用できる、社会の中でより良く成長できる段階までお手伝いします」と。
当初の親御さんの希望、依頼内容とは異なりましたが、本人と接し、本人の気持ち、可能性を確認したあと、「地域の習い事に通えるくらいまで育ったら、卒業」と決め、それに向けて発達援助を行いました。
実際に本人と関わらせてもらったのは半年もありませんが、本人も、親御さんも、私も、発達のヌケ、課題の根っこをしっかり捕まえられたという実感が得られてからというもの、加速度的に成長のスピードが高まっていきました。
まさに発達はドカン!
本人が自分の変化、自信を感じ始めたタイミングを見て、地域のイベントに参加。
いろんな子ども向けのイベントに参加するうちに、友達ができ、これをきっかけに興味が広がる。
興味が出たものに関して、個人でやっている教室があり、そこに見学→通うようになりました。
今では、苦手だった運動に関する習い事もやっているそうです。
一般の習い事に通えるようになったとき、親御さんは本当に喜ばれていました。
まさかこんな日がくるとは思わなかった、と言います。
学校では教科学習の時間10分。
親御さんが「勉強は…」と言うと、「この子達には自立できる力を養うことが大事」と、身辺面と体力面、一人で過ごせる余暇ばかりのカリキュラム。
だから、同世代の子どもと同じような姿は想像できなかった、と言っていました。
私は、「最後のところは、社会が治す」と信じています。
それは、社会に出て、働き始めると、どんどん治っていく若者たちを見てきたから。
支援者に「まだダメだ、まだダメだ」と止められていた人が、その手を振り切り、社会に飛びだしていくと、一気に治っていきました。
社会には治す力がある。
いや、「社会にこそ、治す力があるのだ」と、そういった若者たちの姿から思うようになりました。
支援者、専門家に治せる部分は、社会と比べれば、ごく限られた部分です。
私の仕事は、発達障害の人達を飼い殺しにすることではなく、発達援助なのですから、社会に飛び立つ、その手前までが役割になります。
子どもで言えば、学校の勉強ができるようになる、地域にある資源を活用できるようになる、放課後、家庭や地域で自由に遊ぶことができるようになる、まで。
これらの一つでも可能になったなら、そこは、それぞれが担っていけば良いのだと思います。
だって、子ども達の目指す先は、社会だから。
社会で暮らすこと、自分の資質を役立てていくことが、子ども、家族、社会の願いです。
だからこそ、社会に出ていけるように後押しするのが支援者の役目であり、責任になります。
社会、地域に出ていける力を育もうとしない、社会、地域で利用できるものがあるのに、そこまで支援者が手を出そうとする。
放課後、友達と遊びに行けるのに、一般の習い事に通えるのに、学習塾や家庭教師を利用できるのに、学校卒業するまで児童デイ。
社会に出ていくことが自立ではないのでしょうか。
支援者の手の中で、問題を起こさず、おとなしく立っていられるのが自立なのでしょうか。
支援者の中に、一部の親御さんの中にも、子ども達を社会から遠ざけている人達がいます。
社会に出ていってほしいはずなのに、社会資源、地域資源を活用しない、そこで学び、経験させようとしない、それを利用できるくらいまでに育てようともしない。
いつになったら支援が終わるの!?っていう支援者が多すぎる。
いつになったらお腹の中から子どもを出してあげるの!?っていう親が多すぎる。
「自立を支援する」と言っている支援者が、子どもが小学生になり、中学生になり、高校になり、大学生になっているのに、一向に支援から離れようとしない。
さらに、成人後の支援まで始めようとする。
まったくもって理解不能です。
私は仕事をしていて、いつも思います。
できるだけ早く、社会に送りだそう、と。
子どもなら、柔軟な頭と身体、より自然な心を持っている時期に、社会、地域の中でたくさんのことを感じて経験してほしい、と願います。
だって、私が援助できることは限られているから。
社会、地域の中の方が、バリエーション豊かな刺激、自然で自立につながる刺激にあふれているから。
そして何よりも、彼らの進む先、飛び立つ先、人生の舞台は、社会だから。
別の子ですが、身体の軸が育っていなく、ぐちゃっとした子がいました。
すると、療育機関で「軸を育てましょう」と取り組みが始まった。
何をするかと思えば、トランポリン。
わざわざ時間と労力と税金をかけて、トランポリン。
私は発達のヌケは育て直しますが、「軸だったら」「この子の身体を育てるんだったら」と、家庭でできる遊び、活動や、利用できる地域資源を連想します。
申し訳ないけれども、軸が育っていないからトランポリン跳ばせとけばいい、というぐらいの発想しかない療育機関だったら、地域で一般の人、子ども達に教えている習い事の先生、人達の方がよっぽど豊かなアイディアと引き出しを持っていると思います。
だから、基本的に、地域の資源、人達が担えない部分が私の担当、役割と考えています。
私と遊ぶより、友達と遊んだ方が何百倍も刺激が多いし、楽しい。
私が教えるよりも、習い事の先生、地域の人達が教えてくれることの方が何千倍も豊かな学びになる。
支援者の役割は、家庭と地域の橋渡し。
橋を渡るまでが支援者の役割。
いや、橋を自分で渡っていけるようになるまで、橋の前に立つまでが役割かもしれません。
近頃、というか、特別支援が始まってからずっと、橋を一緒に渡っていこうとする支援者、橋の前に立ち、渡らせようようとしない支援者が減らず、困ったものです。
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