『一般の教科書』と『特別支援学校・知的障害者用教科書』
教科書が貰えない問題に対して、多くの反響がありました。
ブログのアクセス数も多かったですし、SNSやメール等で感想や経験されたこと、各地域の実態などを教えてくださった方たちがいました。
ほとんどの方達の反応は、「あり得ない!」という驚き、怒り、呆れでした。
昨日のブログで、私は意味が通るからと思い、「教科書」と記していました。
でも、よく考えたら、「教科書」という表現だけでは、普通級の一般的な教科書だと捉える方がいると思いました。
特に、まだ就学前の子ども達の親御さんは。
実は、教科書には、一般の教科書(私達が使い、イメージする教科書)と、特別支援学校・知的障害者用教科書(通称☆本:ホシボン)があるのです。
というか、多くの人は知らないですよね。
私だって、大学の講義で存在は知りましたが、実物は見たことがありません。
学生時代は、支援学校で補助をし、施設職員時代では子ども達を学校に送り、支援学校教員として働き、そして今、家庭支援事業を行っている。
でも、一度たりとも、見たことがないのです。
そして使った、使っているという声も聞かない。
私が実物を見たのは、盲学校の拡大教科書と点字の教科書のみ。
でも、それだって、普通の教科書を拡大したり、点字にしたりしていたものですから。
ですから、私にとっては、ツチノコみたいなもの(←昭和)
ということで、教科書には、普通の教科書を分かりやすくした特別支援学校・知的障害者用教科書があるのです。
しかも、その特別な教科書は、☆の数によって難易度が異なっており、「☆」「☆☆」「☆☆☆」という具合に小学生版は3段階、つまり、3種類の教科書があります。
ちなみに、中学生版は「☆☆☆☆」の1種類。
私も、この事業を始めて、「教科書をくれない、やらない」「自分で買えと言われる」という相談を受けるようになってから調べ、びっくりしたのが正直なところ。
だって、こんなに丁寧に種類を分けて作られている教科書があるのです。
普通級の子は、選択肢がないのに。
だから、初めに思ったのが、どうしてこんなに配慮されて作られた教科書があるのに使わないんだ、しかもその存在すら見えてこないんだ、という疑問と憤りです。
改めて教科書を使わない、渡されもしない、というのは、どういうことなのか考えてみます。
まず、どの子にも教科書が渡されます。
で、違いがあるとすれば、一般の教科書か、特別な教科書かの違い。
だから、教科書自体がないはずはない。
1冊も貰っていないのに、「教科書を買われるなら、ご家庭で」というのはおかしい。
紛失か、転校か、特別な教科書をもらったうえで、一般の教科書も欲しい場合に限る。
そして、教科書を使わない授業、指導には妥当性があります。
でも、その場合、特別な理由が必要(学校教育法附則第9条)。
まずは、一般の教科書を検討。
で、子どもの実態に合わなければ、学年を下げて一般の教科書を使用する。
それも難しいなら、特別な教科書を検討。
しかも、3段階=3種類の中から合うものを探す。
しかし、それでも難しいなら、学校教育法施行規則第139条により、一般図書を教科書として使用できることになります。
でも、一部の内容しか載っていない図書はダメで、たとえば問題集などは認められていません。
つまり、問題集を買ってきて、そのプリントをやらせるだけではダメ、教科書の代わりは認めませんよ、ということ。
さらにさらに、代替にする一般図書だって、文部科学省の教科書課が「一般図書一覧」を提示しているのです。
シンプルに言ってしまえば、教科書を使わないという判断は、「お子さんには、一般の教科書はもちろんのこと、特別支援学校・知的障害者用教科書、しかも3段階、すべて適切ではない、難しい」ということ。
これって、すごく重い判断だと言えませんかね。
しかも、この重大性は、判断した教員も、親御さんも理解しているのでしょうか、説明や検討は十分にされていると言えるのでしょうか。
当地でも、私が疑問を投げかけると、「えっ、支援級は教科書使わないのが普通って言われました」なんて反応が返ってくることがあるのです。
普通って何だよ、と思います。
普通じゃなくて、異常なんです。
学校で、教科書を使わないなら、何をしているのでしょうか。
学校で勉強しているというプリントを見せてもらうと、書店で見かける問題集のコピー。
問題集をやるなら、学校に行く意味はないでしょ。
家で、問題集買ってきてやらせるのと何が違うの?
衝立、スケジュールのあるなし??
こうなってくると、学校は通う練習、思い出作りになります。
実際、教科書貰えず、教科学習なしの学校生活を送った親御さんは、そのように言っていました。
だから、私は腹をくくって、この子が自立できるために必要なことは何でも教えるし、地域の人に協力して育ててもらう、といって、見事、一般就労しました。
小学校4年生の学力の重要性から、私は教科書を改めて見直しました。
本当に大事なこと、基礎基本となることが丁寧に記されています。
だから、教科書を使わないという選択ができる教員というのは、よっぽど腕に自信があるか、よっぽどの怠けものか、でしょう。
特別支援は、どうして教員の数が多いのか、普通級よりも余裕を持たせているのか。
それは教員をラクにするためでも、働き方改革でもないはずです。
一人ひとりに合わせた細やかな教育をするためでしょ。
「私達は、一人ひとりに合わせてプリントを作っているんです」と言ってきた教員がいましたが、作るって言ってるけど、問題集をコピーしているだけじゃん。
プリントを作るって、どこをコピーするか決めることじゃないでしょ。
作るって言ったら、本人の特性、認知に合わせて、学習教材を作り、用意することじゃないの。
せめて、コピーしたプリントに色を付けるとか、コントラストをつけるとか、手を加えなよ、と思います。
教科書を使わないという重大な判断をしたのにもかかわらず、問題集のコピー。
6年間、小学校1年(上)の教科書。
6年間、ひらがな、かたかな、足し算、引き算…終了。
☆本すら使わない、注文しない、卒業式に一般の教科書6年分持ち帰る。
まさかとは思いますが、一人ひとりの実態に合わせて、特別支援学校・知的障害者用教科書を選択し、注文するのがメンドクサイから、「来年度の教科書どうします?」「別に授業で使わないから、一般の教科書に数足しといてください(笑)」みたいなことはないでしょうね。
卒業式、終業式の日に持ち返ってくる、めくられた形跡のない新品の教科書を見て、施設職員だった私も悲しかったですよ。
これが親御さんなら…。
せめて、特別支援学校用の教科書があるのなら、☆が一つのものだとしても、それを渡してほしかったし、使って勉強してほしかったですね。
「教科書がもらえない、使われない」って、支援級、支援学校にいたら、特別なように思えませんが、実は根が深い問題、特別支援教育が歩んできた十数年の課題を象徴するような話なんです。
養護学校時代なら、「あなたは情緒学級じゃなくて、養護学校ね」みたいな子どもも、支援学級を選択することもあります。
だから、学校の体制、環境上、難しいこともあると思います。
でも、そうだとしても、学ぶ権利は大事にしなければなりません。
未だに、重度の子に合わせた授業。
軽度、知的障害がない子が、お世話係ってなくならないでしょ。
この子達が大人になったら、どうなるのか。
普通に受け答えができて、働く力があるのに、「小学校の勉強がわからない!?じゃあ、福祉ね」になるでしょ。
障害や認知機能ゆえの「学力が身についていない」と特別支援教育の中で勉強してこなかった、機会がなかった、時間が足りなかったの「学力が身につていない」は全然違います。
そういった若者たちが、作業所や福祉サービスを利用することになると、ショックを受けて心身を病んでいくんです。
だから、私は「知的障害は作られる」と表現するのです。
メッセージをくださった方、本当にありがとうございました。
SNSのおかげで、一瞬にして全国の心ある方達とつながることができました。
特に、一生懸命子育てをされ、我が子を自立へと大きな後押しをされてきた親御さん達は、しっかり闘ってこられたことがわかります。
我が子の学ぶ権利と成長の機会を守るための闘い。
その一つが、ちゃんと調べ、情報を集めること。
親自体が、支援者、先生、専門家に任せっきりにするのではなく、いろんなことを見聞きし、経験をされてきた。
だからこそ、素晴らしい後押しができたし、いろんな情報をもっていらっしゃる。
ですから、若い世代の親御さん達は知ることが大事です。
教科書には、一般の教科書と、特別支援学校・知的障害者用教科書がある。
しかも、☆の数で難易度が異なる。
親御さん達が情報、知識を持つことが、我が子を守り、より良い教育を作っていくのだと思います。
ブログのアクセス数も多かったですし、SNSやメール等で感想や経験されたこと、各地域の実態などを教えてくださった方たちがいました。
ほとんどの方達の反応は、「あり得ない!」という驚き、怒り、呆れでした。
昨日のブログで、私は意味が通るからと思い、「教科書」と記していました。
でも、よく考えたら、「教科書」という表現だけでは、普通級の一般的な教科書だと捉える方がいると思いました。
特に、まだ就学前の子ども達の親御さんは。
実は、教科書には、一般の教科書(私達が使い、イメージする教科書)と、特別支援学校・知的障害者用教科書(通称☆本:ホシボン)があるのです。
というか、多くの人は知らないですよね。
私だって、大学の講義で存在は知りましたが、実物は見たことがありません。
学生時代は、支援学校で補助をし、施設職員時代では子ども達を学校に送り、支援学校教員として働き、そして今、家庭支援事業を行っている。
でも、一度たりとも、見たことがないのです。
そして使った、使っているという声も聞かない。
私が実物を見たのは、盲学校の拡大教科書と点字の教科書のみ。
でも、それだって、普通の教科書を拡大したり、点字にしたりしていたものですから。
ですから、私にとっては、ツチノコみたいなもの(←昭和)
ということで、教科書には、普通の教科書を分かりやすくした特別支援学校・知的障害者用教科書があるのです。
しかも、その特別な教科書は、☆の数によって難易度が異なっており、「☆」「☆☆」「☆☆☆」という具合に小学生版は3段階、つまり、3種類の教科書があります。
ちなみに、中学生版は「☆☆☆☆」の1種類。
私も、この事業を始めて、「教科書をくれない、やらない」「自分で買えと言われる」という相談を受けるようになってから調べ、びっくりしたのが正直なところ。
だって、こんなに丁寧に種類を分けて作られている教科書があるのです。
普通級の子は、選択肢がないのに。
だから、初めに思ったのが、どうしてこんなに配慮されて作られた教科書があるのに使わないんだ、しかもその存在すら見えてこないんだ、という疑問と憤りです。
改めて教科書を使わない、渡されもしない、というのは、どういうことなのか考えてみます。
まず、どの子にも教科書が渡されます。
で、違いがあるとすれば、一般の教科書か、特別な教科書かの違い。
だから、教科書自体がないはずはない。
1冊も貰っていないのに、「教科書を買われるなら、ご家庭で」というのはおかしい。
紛失か、転校か、特別な教科書をもらったうえで、一般の教科書も欲しい場合に限る。
そして、教科書を使わない授業、指導には妥当性があります。
でも、その場合、特別な理由が必要(学校教育法附則第9条)。
まずは、一般の教科書を検討。
で、子どもの実態に合わなければ、学年を下げて一般の教科書を使用する。
それも難しいなら、特別な教科書を検討。
しかも、3段階=3種類の中から合うものを探す。
しかし、それでも難しいなら、学校教育法施行規則第139条により、一般図書を教科書として使用できることになります。
でも、一部の内容しか載っていない図書はダメで、たとえば問題集などは認められていません。
つまり、問題集を買ってきて、そのプリントをやらせるだけではダメ、教科書の代わりは認めませんよ、ということ。
さらにさらに、代替にする一般図書だって、文部科学省の教科書課が「一般図書一覧」を提示しているのです。
シンプルに言ってしまえば、教科書を使わないという判断は、「お子さんには、一般の教科書はもちろんのこと、特別支援学校・知的障害者用教科書、しかも3段階、すべて適切ではない、難しい」ということ。
これって、すごく重い判断だと言えませんかね。
しかも、この重大性は、判断した教員も、親御さんも理解しているのでしょうか、説明や検討は十分にされていると言えるのでしょうか。
当地でも、私が疑問を投げかけると、「えっ、支援級は教科書使わないのが普通って言われました」なんて反応が返ってくることがあるのです。
普通って何だよ、と思います。
普通じゃなくて、異常なんです。
学校で、教科書を使わないなら、何をしているのでしょうか。
学校で勉強しているというプリントを見せてもらうと、書店で見かける問題集のコピー。
問題集をやるなら、学校に行く意味はないでしょ。
家で、問題集買ってきてやらせるのと何が違うの?
衝立、スケジュールのあるなし??
こうなってくると、学校は通う練習、思い出作りになります。
実際、教科書貰えず、教科学習なしの学校生活を送った親御さんは、そのように言っていました。
だから、私は腹をくくって、この子が自立できるために必要なことは何でも教えるし、地域の人に協力して育ててもらう、といって、見事、一般就労しました。
小学校4年生の学力の重要性から、私は教科書を改めて見直しました。
本当に大事なこと、基礎基本となることが丁寧に記されています。
だから、教科書を使わないという選択ができる教員というのは、よっぽど腕に自信があるか、よっぽどの怠けものか、でしょう。
特別支援は、どうして教員の数が多いのか、普通級よりも余裕を持たせているのか。
それは教員をラクにするためでも、働き方改革でもないはずです。
一人ひとりに合わせた細やかな教育をするためでしょ。
「私達は、一人ひとりに合わせてプリントを作っているんです」と言ってきた教員がいましたが、作るって言ってるけど、問題集をコピーしているだけじゃん。
プリントを作るって、どこをコピーするか決めることじゃないでしょ。
作るって言ったら、本人の特性、認知に合わせて、学習教材を作り、用意することじゃないの。
せめて、コピーしたプリントに色を付けるとか、コントラストをつけるとか、手を加えなよ、と思います。
教科書を使わないという重大な判断をしたのにもかかわらず、問題集のコピー。
6年間、小学校1年(上)の教科書。
6年間、ひらがな、かたかな、足し算、引き算…終了。
☆本すら使わない、注文しない、卒業式に一般の教科書6年分持ち帰る。
まさかとは思いますが、一人ひとりの実態に合わせて、特別支援学校・知的障害者用教科書を選択し、注文するのがメンドクサイから、「来年度の教科書どうします?」「別に授業で使わないから、一般の教科書に数足しといてください(笑)」みたいなことはないでしょうね。
卒業式、終業式の日に持ち返ってくる、めくられた形跡のない新品の教科書を見て、施設職員だった私も悲しかったですよ。
これが親御さんなら…。
せめて、特別支援学校用の教科書があるのなら、☆が一つのものだとしても、それを渡してほしかったし、使って勉強してほしかったですね。
「教科書がもらえない、使われない」って、支援級、支援学校にいたら、特別なように思えませんが、実は根が深い問題、特別支援教育が歩んできた十数年の課題を象徴するような話なんです。
養護学校時代なら、「あなたは情緒学級じゃなくて、養護学校ね」みたいな子どもも、支援学級を選択することもあります。
だから、学校の体制、環境上、難しいこともあると思います。
でも、そうだとしても、学ぶ権利は大事にしなければなりません。
未だに、重度の子に合わせた授業。
軽度、知的障害がない子が、お世話係ってなくならないでしょ。
この子達が大人になったら、どうなるのか。
普通に受け答えができて、働く力があるのに、「小学校の勉強がわからない!?じゃあ、福祉ね」になるでしょ。
障害や認知機能ゆえの「学力が身についていない」と特別支援教育の中で勉強してこなかった、機会がなかった、時間が足りなかったの「学力が身につていない」は全然違います。
そういった若者たちが、作業所や福祉サービスを利用することになると、ショックを受けて心身を病んでいくんです。
だから、私は「知的障害は作られる」と表現するのです。
メッセージをくださった方、本当にありがとうございました。
SNSのおかげで、一瞬にして全国の心ある方達とつながることができました。
特に、一生懸命子育てをされ、我が子を自立へと大きな後押しをされてきた親御さん達は、しっかり闘ってこられたことがわかります。
我が子の学ぶ権利と成長の機会を守るための闘い。
その一つが、ちゃんと調べ、情報を集めること。
親自体が、支援者、先生、専門家に任せっきりにするのではなく、いろんなことを見聞きし、経験をされてきた。
だからこそ、素晴らしい後押しができたし、いろんな情報をもっていらっしゃる。
ですから、若い世代の親御さん達は知ることが大事です。
教科書には、一般の教科書と、特別支援学校・知的障害者用教科書がある。
しかも、☆の数で難易度が異なる。
親御さん達が情報、知識を持つことが、我が子を守り、より良い教育を作っていくのだと思います。
はじめまして。
返信削除普段浅見さんやこちらのブログで拝見させていただいおります。
特別支援学校・知的障害者用教科書があることに驚きました。
子供が特別支援学校に通っているのにそんなこと知りませんでした。
内容を一度拝見したいと思います。
また色々教えてください。ありがとうございました。
ままみならいさんへ
削除こちらこそ、コメント頂き、ありがとうございます。
先生たちの考え方にもよるのでしょうが、あまり積極的に☆本の存在を伝えていないような気もします。
もっと皆さんが知っていても良い話ですよね。
教科書の話は、憤りを感じるとともに、嬉しい気持ちもありました。
それは、支援学校に通う子や知的障害がある子にも、しっかり教科学習をしてもらいたい、学力をつけてほしい、という願いを感じたからです。
もし最初から障害を持った子に勉強は無理、学力をつける必要はない、それよりも身辺自立となっていれば、こういった教科書は作られていなかったはずです。
でも、実際は☆本があり、しかも、4種類もあるのです。
国も、社会も、子ども達には、みんな勉強してもらいたいし、学力を身に付けてもらいたい。
そして、そのために頑張って教科書を作る民間の会社がある。
ニーズで言えば、圧倒的に一般の教科書の方が多いでしょうが、ちゃんとこうやって工夫された教科書を作ってくれる人達がいて、社会も、本人も、家族も使うことを望んでいるのですから、ちゃんと存在を知らせてほしいですね。
そして、ちゃんと本人と家族に選択させてほしい。
そんなことを、私は思います。