障害者雇用の水増し問題で、まだ頭を下げていない人達がいるのでは?
なにか勘違いをされているのではないでしょうか。
確かに、障害者雇用の水増しはいけないこと。
でも、雇用する側ばかりが責められている論調には納得ができませんね。
水増しは表面の問題。
その下にある問題の根っこは、特別支援でしょ、ギョーカイでしょ。
「雇いたくないな」と思わせるような人ばかりを送り込んできたのは誰なのか。
それ早期発見だ、それ早期療育だ、と言って、発達障害を持った人達を囲いこんできたのは誰なのか。
「障害の特性に合わせた専門的な療育、支援を受ければ、自立するんです。彼らも働けるようになるんです」と言っていたのではないでしょうかね。
でも、実際は一般就労しても仕事が続けられないし、そもそも大学出るような人にまで福祉的就労を勧める始末。
何のため、10年も、20年も、療育や支援、服薬を続けてきたのでしょうか。
みんな、こうやって専門的な支援や教育を受けて頑張れば、きっと自立できる、仕事ができる、と思って歩まれてきたのだと思います。
それなのに、「一般就労?無理ですね。みんな、すぐに離職しますし。それより無理して二次障害になったらどうするんですか??」と言って、はい、終わり。
結局、一般就労して自立していく人達は、支援のおかげじゃなくて、本人と特に親御さんが頑張ってきたご家庭ですね。
知的障害、特性の重い軽い、早期から療育を受けたかどうか、職場の理解があるかどうか、そんなのは、自立や一般就労を左右するような要因にはなりません。
何よりも、本人が自立したいと願い、親御さんもそれに向けて、幼少期からしっかり育み、準備をされてきたかどうかが一番大きな要因です。
普通に考えて、「特別支援にお任せしておけば、将来、就職も、自立もさせてくれる」と思っているような人では無理に決まっています。
働くのは本人ですし、働く土台は、本人の身体だから。
利用してくれることで儲かる仕事の人達が、やすやすと手を離してくれるわけはありません。
それに、もう特別支援が始まって10年以上経つのですから、支援を受け続けてきた人達の中から自立できる人も、一般就労できる人も少ないという事実が明らかになっています。
そもそも特別支援、特別支援教育がうまくいっていたら、このたびのこれ程大きな水増しは起きなかったのではないでしょうか。
ですから、水増しした行為は責められても、公官庁が、雇う側がすべて悪い、みたいなことはおかしいと思うのです。
財源や権限を要求するときには、こぞって出てくるギョーカイがダンマリしています。
誰か、「雇いたくないと思わせるような支援、療育しかできていなくて、ごめんなさい」というような筋の通ったギョーカイ人はいないのでしょうかね。
まあ、いないか。
彼らの主張の根底は、「支援と理解が足りないから」ですから。
根っこがヒトのせい、他人のせい、僕のせいじゃないよ、の人達には、本当の支援はできないでしょうし、他人様の人生と向き合う気概はない。
国や行政、社会にいろんな要求をしてきたギョーカイ達、そして実際に財源や権限を受け取り、本人たちと関わってきた支援者たち。
本当に頭を下げないといけない人達は、この人達だと私は思います。
社会のみんなから預けられたお金や権限を、ギョーカイはこれまでどのように使ってきたのでしょうか。
12年間の特別支援教育は、福祉につなぐための時間をただ埋めるものだったのでしょうか。
結局、支援がなければ働けない、理解がないと働けないと言うのなら、「そもそも自立は無理です」と言っているようなもの。
「自立は無理」と言っている人達に、何を期待するのでしょう。
だったら、特別支援なんか止めてしまって、その分の財源と人材を本人と家族に渡せばよいのです。
ヘンに間に支援者が入るんじゃなくて、本人と家族が人生を設計していけば良いのだと思います。
子育て中の親御さん達に向けて記します。
今、一般就労して働いている人達の多くは、クローズの人達。
つまり、発達障害の特性は持っているし、持っていたかもしれないけれども、子ども時代に課題はクリアし、就職するときには周囲に問題があると認識されないくらいまで治っている人。
就職や自立を左右するのは、子ども時代の過ごし方であり、親御さんの子育てにかかっています。
実際、一般就労している人達の親御さんは、子育てを頑張ってこられた人達。
将来、我が子が働いている姿を思い浮かべ、今の食事ではどうか、生活ではどうか、体力ではどうか、コミュニケーションではどうか、と常に考え、試行錯誤されてきた方達です。
決して、療育熱心だったから、障害、支援に対する知識が豊富だったから、ではなくて、障害の有無に関係なくヒトとして大事な育ちを諦めず、コツコツと積み重ねられた、それだけ。
障害や特性が、我が子の育み方を変えたとしても、ヒトとして自立するために必要なことは、定型の子と一緒。
「障害があるから、ヒトとして自立するために必要なことはやらなくていい。そこは免除ね。そこは特別支援が担ってね」という姿勢では、子が自立できないのは当然です。
自立する力がない人は、自立できない。
働く力がない人は、働くことができない。
これって至極当然のことだとは思いませんか。
療育の中には、神経発達はありません。
神経発達とは、日常生活の中にあり、家族との交流の中に存在するのです。
その子の土台を作るのも、未来を作るのも、家庭が舞台だと思います。
今日できることからやっていく。
自立に必要なことは教え、育てていく。
家庭、子育てという基盤がしっかりしているからこそ、子ども達は上へ上へと大きく育っていけるのだと思います。
子どもの姿を思い浮かべながら、夕食の献立を考えるのも、思いっきり一緒に遊び、心身共に交わることも、発達援助であり、自立への後押し。
何も特別なことはありません。
特別にしたいのは、特別なことのように見せることで儲かる人達なのですから。
確かに、障害者雇用の水増しはいけないこと。
でも、雇用する側ばかりが責められている論調には納得ができませんね。
水増しは表面の問題。
その下にある問題の根っこは、特別支援でしょ、ギョーカイでしょ。
「雇いたくないな」と思わせるような人ばかりを送り込んできたのは誰なのか。
それ早期発見だ、それ早期療育だ、と言って、発達障害を持った人達を囲いこんできたのは誰なのか。
「障害の特性に合わせた専門的な療育、支援を受ければ、自立するんです。彼らも働けるようになるんです」と言っていたのではないでしょうかね。
でも、実際は一般就労しても仕事が続けられないし、そもそも大学出るような人にまで福祉的就労を勧める始末。
何のため、10年も、20年も、療育や支援、服薬を続けてきたのでしょうか。
みんな、こうやって専門的な支援や教育を受けて頑張れば、きっと自立できる、仕事ができる、と思って歩まれてきたのだと思います。
それなのに、「一般就労?無理ですね。みんな、すぐに離職しますし。それより無理して二次障害になったらどうするんですか??」と言って、はい、終わり。
結局、一般就労して自立していく人達は、支援のおかげじゃなくて、本人と特に親御さんが頑張ってきたご家庭ですね。
知的障害、特性の重い軽い、早期から療育を受けたかどうか、職場の理解があるかどうか、そんなのは、自立や一般就労を左右するような要因にはなりません。
何よりも、本人が自立したいと願い、親御さんもそれに向けて、幼少期からしっかり育み、準備をされてきたかどうかが一番大きな要因です。
普通に考えて、「特別支援にお任せしておけば、将来、就職も、自立もさせてくれる」と思っているような人では無理に決まっています。
働くのは本人ですし、働く土台は、本人の身体だから。
利用してくれることで儲かる仕事の人達が、やすやすと手を離してくれるわけはありません。
それに、もう特別支援が始まって10年以上経つのですから、支援を受け続けてきた人達の中から自立できる人も、一般就労できる人も少ないという事実が明らかになっています。
そもそも特別支援、特別支援教育がうまくいっていたら、このたびのこれ程大きな水増しは起きなかったのではないでしょうか。
ですから、水増しした行為は責められても、公官庁が、雇う側がすべて悪い、みたいなことはおかしいと思うのです。
財源や権限を要求するときには、こぞって出てくるギョーカイがダンマリしています。
誰か、「雇いたくないと思わせるような支援、療育しかできていなくて、ごめんなさい」というような筋の通ったギョーカイ人はいないのでしょうかね。
まあ、いないか。
彼らの主張の根底は、「支援と理解が足りないから」ですから。
根っこがヒトのせい、他人のせい、僕のせいじゃないよ、の人達には、本当の支援はできないでしょうし、他人様の人生と向き合う気概はない。
国や行政、社会にいろんな要求をしてきたギョーカイ達、そして実際に財源や権限を受け取り、本人たちと関わってきた支援者たち。
本当に頭を下げないといけない人達は、この人達だと私は思います。
社会のみんなから預けられたお金や権限を、ギョーカイはこれまでどのように使ってきたのでしょうか。
12年間の特別支援教育は、福祉につなぐための時間をただ埋めるものだったのでしょうか。
結局、支援がなければ働けない、理解がないと働けないと言うのなら、「そもそも自立は無理です」と言っているようなもの。
「自立は無理」と言っている人達に、何を期待するのでしょう。
だったら、特別支援なんか止めてしまって、その分の財源と人材を本人と家族に渡せばよいのです。
ヘンに間に支援者が入るんじゃなくて、本人と家族が人生を設計していけば良いのだと思います。
子育て中の親御さん達に向けて記します。
今、一般就労して働いている人達の多くは、クローズの人達。
つまり、発達障害の特性は持っているし、持っていたかもしれないけれども、子ども時代に課題はクリアし、就職するときには周囲に問題があると認識されないくらいまで治っている人。
就職や自立を左右するのは、子ども時代の過ごし方であり、親御さんの子育てにかかっています。
実際、一般就労している人達の親御さんは、子育てを頑張ってこられた人達。
将来、我が子が働いている姿を思い浮かべ、今の食事ではどうか、生活ではどうか、体力ではどうか、コミュニケーションではどうか、と常に考え、試行錯誤されてきた方達です。
決して、療育熱心だったから、障害、支援に対する知識が豊富だったから、ではなくて、障害の有無に関係なくヒトとして大事な育ちを諦めず、コツコツと積み重ねられた、それだけ。
障害や特性が、我が子の育み方を変えたとしても、ヒトとして自立するために必要なことは、定型の子と一緒。
「障害があるから、ヒトとして自立するために必要なことはやらなくていい。そこは免除ね。そこは特別支援が担ってね」という姿勢では、子が自立できないのは当然です。
自立する力がない人は、自立できない。
働く力がない人は、働くことができない。
これって至極当然のことだとは思いませんか。
療育の中には、神経発達はありません。
神経発達とは、日常生活の中にあり、家族との交流の中に存在するのです。
その子の土台を作るのも、未来を作るのも、家庭が舞台だと思います。
今日できることからやっていく。
自立に必要なことは教え、育てていく。
家庭、子育てという基盤がしっかりしているからこそ、子ども達は上へ上へと大きく育っていけるのだと思います。
子どもの姿を思い浮かべながら、夕食の献立を考えるのも、思いっきり一緒に遊び、心身共に交わることも、発達援助であり、自立への後押し。
何も特別なことはありません。
特別にしたいのは、特別なことのように見せることで儲かる人達なのですから。
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