2018年10月15日月曜日

疑い尽くした先に、その子の本質がある

「うちの子、睡眠障害があるんです」と、相談がある。
それで、詳細にお話を聞いていくと、寝る前にゲームをやっていることがわかる。
「じゃあ、そのゲームの刺激が眠りを遠ざける可能性もあるので、寝る前は止めるようにしたり、時間をずらしたりするのは、どうですか?」と提案すると、「ゲームは本人のこだわりだから」「禁止すると、怒るから」と返ってくる。
この子は、本当に睡眠障害があるのかもしれません。
でも、その結論を出す前に、やるべきことがあるのではないか、と思います。


他にも似たケースがあって、「授業中、ボーとして、注意散漫だ」という子の相談がありました。
ADDの診断を受けていましたが、話を聞くと、朝食を食べずに学校に行っているという。
脳を動かすエネルギーが足りなければ、頭が働かず、ボーとするのは当たり前だと思います。
発達障害の前に、ヒトであり、動物なんですから。
水分摂って、陽にあたっていれば生きていける植物とは違う。
衝動的に手が出てしまう子の話を聞けば、甘いお菓子ばかりを食べている。
何年も引きこもっている人の相談に伺えば、カップ麺とコンビニ弁当しか食べていないという。


快食、快眠、快便は、基本中の基本。
発達障害とか、知的障害が重いとか、まったく関係がありません。
施設に子どもが入所してきたとき、まず最初に整えていくのが、この快食、快眠、快便です。
ここがクリアされない限り、特に強度行動障害の人達の支援は始めることができません。
だから、上記のようなケースの相談があるたびに、本人ではなく、周囲が障害、困難さ、生きづらさを決めてしまっている、と感じます。


本来なら、やれることがあれば、それをすべてやってから、受診なり、支援なり、相談を受けるべきだと思います。
上記のようなケースの中には、そのまま、つまり、やれるべきことをやりつくす前に、医療、支援者と繋がったばっかりに、その子の本質的な問題として投薬、治療、支援が行われてしまった人がいます。
寝る前に何時間もゲームをしたり、布団に入ってからもテレビをつけ続けていたりしているのを伝えず、ただ「眠れない」「睡眠が乱れている」だけが伝わる。
そうすると、睡眠薬が処方される、「9時になったら寝ます」という絵カードが提示される、9時までに布団に入れたら、ボーロが貰えるという異質なルールが誕生する…。
こうやって、本質からどんどんズレていき、これが何年も続けば、作られた生きづらさの完成です。


私は、発達援助をする上で、必ず疑いから入ります。
「睡眠導入剤を飲んでいるけれども、本当に薬が必要なのだろうか?本当に睡眠障害なのだろうか?」
「検査結果では、重度の知的障害となっているが、本当に重度なのか?これ以上、伸びていかないのだろうか?」
そんな風に、一旦、必ず疑問を持つようにしています。


この姿勢は、施設職員時代に形成されたのだと思います。
強度行動障害の人の支援をする際、その人のことを「強度行動障害」と見た瞬間、何も支援ができなくなるのです。
いろんな施設を渡り歩き、辿りついた人もいる。
実際の行動、日々は激しいもの。
そんなとき、疑うことをしなければ、向かう先は抑制、抑圧。
物理的に制限を加えるか、薬の力を使って行動を起こせないようにするか。


疑うことは、着想を生みます。
「こだわり」と言われているけれども、それ以外、知らないからかもしれない。
傍を通る人に手を出してしまうのは、周囲の空気を感じる感覚が育っていないのかもしれない。
身体をつねってくるのは、相手を呼ぶための手段を持ち併せていないからかもしれない。
疑問から着想が生まれ、実際にやってみる。
そうやって繰り返していく中で、直ることも多々あります。


睡眠障害、一つとっても、本当にやり尽くして、最後に残ったのがその症状なのか、と思うことがあります。
寝やすい環境を整えること、睡眠に入りやすいリズムを作ること、眠れる身体を育てること…。
それらをやり尽くす前に、「はい、睡眠障害だ」「はい、不登校になった」では、その子の本質を見誤ることになる。
そして何よりも、その子の未来の選択肢を、周囲の頭の中で狭めてしまうことにもなる。
このように不幸になってしまう子ども達は、少なくないように感じます。


人と関わる仕事、ヒトを育む営みに、100%はありません。
だからこそ、疑う視点が大事なのです。
脳画像を見せられ、「この子の言語野は白くなっていますから、一生しゃべることはないでしょう」と告げられた子が、今、普通にしゃべっている。
就学時に言葉がなく、知的障害も重度だった子が、今、普通の人として一般就労している。
こういった若者たちの陰には、専門家から言われたことに対しても、ちゃんと疑う視点を持てた親御さん達がいます。
治す親御さんと言うのは、みなさん、こういうのです。
「あのとき、そう言われたけれども、私は違うと思ったんだ」
「具体的な方法はわからなかったけれども、別のところに解決する方法があると思ったんだ」と。


「発達障害は治りません」
「この子は、一生支援を受けて生きていく子です」
そんな専門家の言葉を聞いて、「はい、そうですか」と思う人が治るわけないのです。
人が人の人生をどうやって見通すことができるでしょうか。
医学免許を持っていたら、ナントカ療法の免許を持っていたら、その子の神経発達の仕方が見えるというのでしょうか。


神経発達の仕方がわからないのだったら、必要なのは神経発達を促すアイディアです。
治る治らないという結果ではなく、プロセスが重要なのです。
プロセスを豊かにしていくには、試行錯誤。
その試行錯誤の源は、疑問に思うことです。
睡眠障害という結果からは何も生みません。
でも、睡眠障害を疑うことで、解決の糸口が見えてくる。
そして、その子の本質を見ることに繋がります。


症状で診断される発達障害。
ということは、見える部分だけでレッテルがついてしまうということ。
疑問という視点がなければ、生きづらく見えることが本質になってしまう危険性があります。
全国から相談をお受けしていますが、まるで流れ作業のようにレッテルがついているように感じます。
「本当に、発達障害なのだろうか?」という疑問が削ぎ落されている雰囲気の中、元気な子まで発達障害になっている姿を連想します。


「治らない」に疑問を投げかけることで、治る部分と治る道が見えてくる。
だから、専門家の言う「治らない」は罪なのです。
疑う姿勢を否定し、プロセスを排除するから。
「治る」は結果。
神経発達を促すはプロセス。
そのプロセスとは、子育てそのもの。
つまり、「治らない」というのは、専門家からの子育ての否定なのです。
子育てを奪おうとする専門家に対して、親御さんは疑問に思うことで対抗してもらいたいと願っています。

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