支援者の多くは、「今」を切り取っているだけ

「この子は、治りますか?」と、尋ねられることが多いです。
でも、私は未来を視ることができませんので、「治る」とも、「治らない」とも、言い切ることはできません。
ただ、その可能性の大きさ、今後の成長の様子、大人になったときのスタイルは、想像できます。


こういったことを想像するのは、何も難しいことではありません。
言語化できなかったとしても、親御さんの多くは、我が子の未来を直感的に捉えることができています。
違いがあるとすれば、それは、いろんな方たちの人生を見させて頂いたかどうか、です。


支援者の多くは、「今」を切り取ります。
当然、医師や支援者の前にいるのですから、今、何らかの課題を持っているのは確かでしょう。
でも、その課題が、この先もずっと続くとは限らない。
むしろ、今の課題は治る途中経過だったりする。
その流れを掴めない人には、「この子は、高校くらいになれば、普通学校に行きますね」「この子は、将来、働いて自立しますね」「この子は、治る子ですね」という言葉が、戯言にしか聞こえません。


医師も、支援者も、出会った専門家たちも、みんな気づかず、むしろ否定的な見解を述べるばかりだった。
でも、最後の最後まで、我が子の未来、可能性を信じたのは、親御さんだけだった、ということは、よくある話です。
これを「単なる親バカ」「独りよがりの想い」と捉える人もいるでしょう。


しかし、こういった親御さん達には、本当に見えているのです、我が子の未来の姿が。
何故なら、流れの中で、我が子を見ているから。
ちゃんと受精、誕生、現在までの我が子の物語を捉え、描けている親御さんには、今後の流れる先が分かる。
だからこそ、ただ一人になろうとも信じられるし、その流れを見て、上手に軌道修正もできる。


私は、いつも思います。
どうして流れを見て、支援できないのだろうか。
どうして今を切り取っただけで、未来の姿を決め付けることができるのだろうか、と。
支援者と意見がぶつかるのは、いつもここです。


発達のヌケが埋まっての「今」とヌケが埋まっていない「今」では意味合いが違います。
今までの発達のリズムとスピードを見れば、今、重度かどうかは、将来の決定因子にはなりません。
問題行動のある子の今を切り抜けば、自立は不可能かもしれませんが、問題行動が前面に出てきてるために、まだ隠れている資質、本来の姿を見れば、十分、働いて生きていける子だとわかることもあります。


支援者の多くは、「今」を切り取る。
でも、「今」だけを切り取っても、未来は見えない。
大事なのは、その子の流れであり、物語。
その子の持つ流れを掴めさえすれば、行く先が見え、より良い流れを作ることもできます。
その子の物語を感じさえすれば、1年後、5年後、10年後の未来の姿を描くことができます。


「この子は、知的障害もあるし、言葉も出ていないし、将来は福祉と施設です」と、医師からも、支援者からも言われ続けた子が、今、一般就労で働いている。
この子の親御さんと、「専門家なのに、何でわからないんだろうね~。うちの子は、一般就労できると思うもん」と、よく言っていたものです。
流れが分かるから、ここさえ埋まれば、一気に変わることがわかる。
物語が分かるから、大人になった我が子の姿がちゃんと描ける。


案外、知らない親御さんが多いのですが、支援者というのは「今」を切り取って助言や支援をするものです。
彼らの言う「将来はわかりませんよ、お母さん」は、本当に分かっていないということ。
彼らの言う「将来、他人のサポートを受けながら」「将来は福祉で、施設で」「この子はずっと特別支援」という予言は、血液型占いと一緒。


今を切り抜いただけで、未来が分かるのは、神様くらいなもの。
だけれども、その子の流れと物語をしっかり掴めば、未来の姿を見ることができます。
それが一番できるのは、親御さん。
だから、支援者みんなが否定しても、最後まで信じ切れる。
今を切り取って、検査結果の数値だけを見て、助言や支援をする者は二流、三流であり、親御さんには敵わないのです。
支援者の意見に惑わされることなく、親御さんご自身で想像できる我が子の未来の姿を信じて頂ければ、と思います。

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