「全員、治らない」と、どうして言えるのだろう
もう過去の話になりますが、自閉症、発達障害の人たちは、「脳の機能障害」と言われている時代がありました。
2013年5月に「神経発達の障害」と改訂されたのですから、もう5年以上前のお話になります。
でも、いまだに「脳の機能障害」と言い続けている人がいます。
しかも、発達障害が治らない根拠として、それを用いているのです。
まあ、100歩譲って、「脳の機能障害」でもいいです。
しかし、じゃあ、なんで「脳の機能障害」なら、治らないといえるのでしょうか?
機能障害とは、損傷とか、機能不全の状態のことを表しています。
発達障害は、脳に損傷ができたためになる障害ではありませんので(だって、先天的な障害なんでしょ)、脳に機能不全の状態の箇所があるということ。
脳に機能不全の箇所があるのなら、その状態を回復させればよいのです。
というか、専門家なら、医師なら、その方法を研究し、目指すのが当たり前。
欠損した脳を回復させるのは難しいでしょうが、機能不全の状態を回復させるのは不可能ではないはずです。
だって、脳の素晴らしい性質である「可塑性」があり、病気や交通事故で脳に損傷した人たちには、当たり前のように昔からリハビリが行われているのですから。
必要な刺激を与えることで、脳の機能不全を改善しようとするのは自然なことで、可能性のないことだとは思えません。
現に、発達障害の子ども達も、ずっと赤ちゃんのような発達段階のままということはなく、定型ではなくとも発達し、成長するのですから。
排せつや身辺処理、勉強や運動など、成長とともにできるようになっている姿は、ただ単に適応や暗記しているだけではなく、発達している、発達する可能性があることを示しています。
だったら、脳の機能不全の部位だって、その状態のレベルだって、発達のスピードだって、一人ひとり同じなわけはないのですから、「発達障害」というラベルが同じでも、みんながみんな、治らない、治る可能性がないとは言えないのです。
「脳の機能障害」だから発達障害は治らない、というのは答えになっていません。
それは発達障害が治らないんじゃなくて、脳の機能不全の状態を回復させるアイディアを持っていない、という意味。
むしろ、発達障害、本人の問題というよりは、専門家の方の問題ではないでしょうか。
そもそも誰が最初に「脳の機能障害だから、発達障害は治らない」と言い出したんでしょうかね。
というか、脳の機能障害と言われ始めたのは、もう何十年も前のことですから、いつまでその当時の知識をひっぱるのか、と思います。
「脳の機能障害」は、冷蔵庫マザーを否定するという意義は十分果たしたのですから。
「神経発達の障害」と言われてから、もう5年以上が経ちました。
どう見ても、知的障害の重い軽いに関わらず、発達障害の子ども達はみんな、神経発達が起きています。
決して、神経発達が起きる可能性がない人たちではありません。
発達障害のあるなしに関わらず、神経発達の仕方は多様ですし、受精後の環境と刺激の影響を受けて変わっていきます。
定型発達の子との違いがあるとすれば、発達の順序。
発達の順序が違ったり、段階を抜かしたりすることが、「治らない」という証明にはなりません。
この5年間の間にも、神経発達を促すための知見や情報、実際、子ども達で見られた素晴らしい結果が集まってきました。
神経発達の仕方は、一人ひとり違う。
そして、その子にあった促し方、育み方も、一人ひとり違う。
だからこそ、こういった知見や実践で得られたものは、本人、親御さん、支援者にとって貴重な着想となります。
発達障害全体を一色単にしたような概念的な知識は、目の前の子のより良い発達の仕方には役に立ちません。
発達障害を概念、文字、知識として捉えている人の前には、治る人も、治った人も現れないでしょう。
学問の発達障害は固定されたものになるが、目の前の人に固定など存在しません。
神経発達の仕方も多様。
神経発達のヌケや遅れている箇所の多様。
その人自身を見ても、今と次の瞬間には、異なる神経発達が起きている。
ですから、常に変化し、神経発達が起きているヒトに対して、「全員治らない」とは言えないのです。
確かに治らない人はいるかもしれない。
でも、確実に治る人はいるし、全部が治らなくても、部分的に治る人はいる。
だって、みんな発達する力、可能性を持っているし、生まれた後の環境と刺激の影響を受けて発達の仕方が変わっていくから。
発達の可能性があるのなら、その可能性にかけ、できることは何でもしようとするのが親心。
その親心が向かう先は、学問としての言葉、概念ではなく、全国で積み重なってきた知見と実践の成果だと思います。
そうして試行錯誤し、得られた結果が、また誰かの神経発達を後押しすることになるのです。
2013年5月に「神経発達の障害」と改訂されたのですから、もう5年以上前のお話になります。
でも、いまだに「脳の機能障害」と言い続けている人がいます。
しかも、発達障害が治らない根拠として、それを用いているのです。
まあ、100歩譲って、「脳の機能障害」でもいいです。
しかし、じゃあ、なんで「脳の機能障害」なら、治らないといえるのでしょうか?
機能障害とは、損傷とか、機能不全の状態のことを表しています。
発達障害は、脳に損傷ができたためになる障害ではありませんので(だって、先天的な障害なんでしょ)、脳に機能不全の状態の箇所があるということ。
脳に機能不全の箇所があるのなら、その状態を回復させればよいのです。
というか、専門家なら、医師なら、その方法を研究し、目指すのが当たり前。
欠損した脳を回復させるのは難しいでしょうが、機能不全の状態を回復させるのは不可能ではないはずです。
だって、脳の素晴らしい性質である「可塑性」があり、病気や交通事故で脳に損傷した人たちには、当たり前のように昔からリハビリが行われているのですから。
必要な刺激を与えることで、脳の機能不全を改善しようとするのは自然なことで、可能性のないことだとは思えません。
現に、発達障害の子ども達も、ずっと赤ちゃんのような発達段階のままということはなく、定型ではなくとも発達し、成長するのですから。
排せつや身辺処理、勉強や運動など、成長とともにできるようになっている姿は、ただ単に適応や暗記しているだけではなく、発達している、発達する可能性があることを示しています。
だったら、脳の機能不全の部位だって、その状態のレベルだって、発達のスピードだって、一人ひとり同じなわけはないのですから、「発達障害」というラベルが同じでも、みんながみんな、治らない、治る可能性がないとは言えないのです。
「脳の機能障害」だから発達障害は治らない、というのは答えになっていません。
それは発達障害が治らないんじゃなくて、脳の機能不全の状態を回復させるアイディアを持っていない、という意味。
むしろ、発達障害、本人の問題というよりは、専門家の方の問題ではないでしょうか。
そもそも誰が最初に「脳の機能障害だから、発達障害は治らない」と言い出したんでしょうかね。
というか、脳の機能障害と言われ始めたのは、もう何十年も前のことですから、いつまでその当時の知識をひっぱるのか、と思います。
「脳の機能障害」は、冷蔵庫マザーを否定するという意義は十分果たしたのですから。
「神経発達の障害」と言われてから、もう5年以上が経ちました。
どう見ても、知的障害の重い軽いに関わらず、発達障害の子ども達はみんな、神経発達が起きています。
決して、神経発達が起きる可能性がない人たちではありません。
発達障害のあるなしに関わらず、神経発達の仕方は多様ですし、受精後の環境と刺激の影響を受けて変わっていきます。
定型発達の子との違いがあるとすれば、発達の順序。
発達の順序が違ったり、段階を抜かしたりすることが、「治らない」という証明にはなりません。
この5年間の間にも、神経発達を促すための知見や情報、実際、子ども達で見られた素晴らしい結果が集まってきました。
神経発達の仕方は、一人ひとり違う。
そして、その子にあった促し方、育み方も、一人ひとり違う。
だからこそ、こういった知見や実践で得られたものは、本人、親御さん、支援者にとって貴重な着想となります。
発達障害全体を一色単にしたような概念的な知識は、目の前の子のより良い発達の仕方には役に立ちません。
発達障害を概念、文字、知識として捉えている人の前には、治る人も、治った人も現れないでしょう。
学問の発達障害は固定されたものになるが、目の前の人に固定など存在しません。
神経発達の仕方も多様。
神経発達のヌケや遅れている箇所の多様。
その人自身を見ても、今と次の瞬間には、異なる神経発達が起きている。
ですから、常に変化し、神経発達が起きているヒトに対して、「全員治らない」とは言えないのです。
確かに治らない人はいるかもしれない。
でも、確実に治る人はいるし、全部が治らなくても、部分的に治る人はいる。
だって、みんな発達する力、可能性を持っているし、生まれた後の環境と刺激の影響を受けて発達の仕方が変わっていくから。
発達の可能性があるのなら、その可能性にかけ、できることは何でもしようとするのが親心。
その親心が向かう先は、学問としての言葉、概念ではなく、全国で積み重なってきた知見と実践の成果だと思います。
そうして試行錯誤し、得られた結果が、また誰かの神経発達を後押しすることになるのです。
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