情報のヌケやズレが独自の世界観を生む

自分の文章を読み直すと、「相変わらずクドイ文章だな」と思います。
どちらかというと、性格はさっぱりしている方だと思いますし、学生時代までクドクド書くのも、クドクドしい文章を読むのも嫌いでした。
そんな自分の文章がクドイ。
自分自身で胸焼けすることもある。
もっとシンプルに、さらっと書けば、文章の量は半分くらいに減らせるだろう、と思いながら、ブログやメール、レポート等を書いています。


この仕事を続けるにつれて、どんどん文章が脂ぎってきたような気がします。
それは「こんなところまで詳しく書かなくて良いよな、わかるよな」という感覚のものが、相手によっては抜け落ちていたり、別の想像で埋めてしまったりする可能性があるからです。


私が若手の頃、トレーニングを受けた専門家たちがこういっていました。
「10歳の子がわかるような文章にしなければならない」
アメリカの人達でしたので、いろんな人種、文化の人達がいるアメリカだからこそ、10歳というレベルの表現にしなさい、と言っているんだろうと、そのときは思っていました。
しかし、この仕事を続けていると、というか、自閉症、発達障害の人達と接する機会が増えていくと、この「10歳レベル」は知的なレベル、読解力のレベルを指しているのではなく、ある程度の年齢の人ならすぐにわかることでも、わかない部分がある、基本的な知識、情報の部分で抜け落ちがある、ということを意味しているのだとわかりました。


「10歳の子どもでもわかる」というのは、子どもニュースのようなイメージです。
大人なら当然、わかっているだろうと思う部分も、子どもは知らないことがある。
もちろん、自閉症、発達障害の人達は、みんな子どもでなければ、10歳程度の知識しかないということではありません。
それくらい「当然、わかっているだろう」と思うところが抜け落ち、そのまま年齢を重ねていることもあるという意味です。
こういった方達が大人になっていくと、コミュニケーションですれ違いが落ちたり、また独自の切り取り方、想像の仕方で、その穴を埋めようとすることもあります。
だから、自然と言葉が長くなってしまいます。


例えば、「炎上商法」という言葉がありますね。
意味とすれば、『意図的に刺激的な表現を使って注目を集め、商売に繋げること』といったところでしょうか。
私も「治る」という言葉を使うから、「炎上商法」と言われることもありますが…。


実際、炎上商法というものが存在するのでしょうが、自分の仕事に注目を集めることは悪いことではありませんし、どの商売も基本です。
表現方法は違えど、自分の事業、仕事を知ってもらわなければ、お客さんはきませんから。
正当な(?)宣伝、普通の宣伝と、炎上商法の宣伝の仕方の違いは、私にははっきりとわかりませんが、とにかく宣伝するのは商売の基本。
だから、騙すような宣伝をしなければ、問題ないと思います。
それに一度、注目を集めたとしても、そのあとも商売が続いている、お客さんがいる、増え続けるのなら、その商売自体に魅力があり、ニーズを掴んだ本物を売っているということであります。
炎上くらいで、商売がうまくいったら、こんなラクなことはありません。


「炎上商法」と叫ぶ人の多くは、上記のような仕組みの理解はあります。
だから、「炎上商法」とわざわざ言うのは、その相手に何か一言いいたいだけの人です。
ただ気に食わないだけ。
感情的な問題です。
たとえば、私の仕事に対して「炎上商法」と言ってきたとしても、それで利用している人が「やめよう」とはなりません。
と言いますか、自分ではなく、我が子の生活と未来を真剣に考えているのが親御さん達ですから、自分自身で納得しなければ利用などしません。
まあ、悪評も含め、そんなことで商売が潰れると思ってしまうのは、その人がお客さんが自動的に流れてくる仕事しかしていない人か、そもそも仕事をしたことがない人、字面の表面だけで想像し、理解した気になっている人でしょう。


またまたクドク書いてしまいましたが、それは「炎上商法」という意味を誤って使っている当事者の人がいたからです。
「炎上商法」という字面から、字面だけで、なんか悪いことをしているような気になっていたのです。
まあ、上記のような情報が抜け落ちていれば、なんか悪いことをしているような想像だけが膨らむのも無理がないかもしれません。
「悪いことをして人を集め、商売を続けている人」みたいな解釈、というか偏った独自の想像ですね。
世の中に、わざと炎上させて商売している人がいるのかはわかりませんが、基本的に普通の商売は、普通に宣伝しますし、「私、炎上商法しています」なんて言いません。
言うのは、その相手が感情的に嫌いな周りにいる人です。


大学に通ったり、働いたりしている発達障害の人達でも、「こういったことも情報が抜け落ちているんだ」と思うことが多々あります。
ということは、会話や説明するときにも、お互いが持ち併せている情報量に差があるかもしれない、ということです。
そういった差を前提に、またそこを読みとりながらコミュニケーションをしていくと、どうしても言語化する部分が増えていきます。


周囲も、本人も、情報の抜け落ちに気づかず、年齢を重ねていくと、知らず知らずのうちにその穴を想像で埋めようとすることがあるように感じます。
その想像が、周囲の情報と併せてなら問題ないのでしょうが、どんどん自分の頭の中だけで膨らんでいってしまうと、トラブルの元になる場合もあります。
先の「炎上商法」の例でも、「何か悪いことをしているんじゃないだろうか」という偏った想像が、その相手を執拗に責めることになり、また後から「あなたはいけないことをしている」と指摘されても、「いいや、違う。私は悪いことをして商売している人を注意しているだけだ。お客さんは騙されているから、それを救っているんだ」など、最悪なパターンが出来上がることもあります。


トラブルを起こしたり、世の中を恨んだりしているような人の中には、自分の頭だけの想像の世界で生きている人が少なくないと感じます。
こういった人の多くは、子ども時代からの小さな抜け落ちが積み重なっていき、それを想像で埋めていった結果、独自の世界観が出来上がったと思われます。
だからこそ、「こんなことは当然、知っているだろう、気が付いているだろう」ではなく、子ども一人ひとりをしっかり見て、「どこかに情報のヌケやズレがあるかもしれない」などという視点を持つのが良いと思います。

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