【No.1317】「知的に重いから」ではなく、「知的に重くても」

花風社の浅見さんがこのような文章を書いてくださいました。
確かに私は「治らない人も治したい」と思っています。
だって、いろんな知見が集まり、実際に治っている子ども達、若者たちが大勢いる時代になったんですから!
発達のヌケや未発達、本来の発達の流れからずれてしまった人達は、いつからでも育てなおしていけますね。


一方で重い知的障害があったり、どうしても「治りづらい」「同年齢の人のようには治っていかないだろうな」と思う人達がいるのも事実。
ここ数年は、どんどん低年齢化が進み、ゼロ歳代の発達障害児(?)の相談も増えているので、そちらの話が多くなってしまうのですが、やはり10件の相談につき、1件、2件くらいは知的障害のある人、知的に重い人からの依頼があります。


そういった方達の発達相談を通して、最近はこのようなことを思っています。
表現が難しいのですが、「いかに充足している機能を見つけ、そこを活かし、刺激していくか」。
イメージで言えば、充足・正常な機能を入り口に、バイパスの基点にして発達を後押ししていく感じになります。


充足している機能は、それこそ、一人ひとり異なりますので、例を挙げてお話しするのは難しいのですが、多くの人に共通して見られるアプローチの糸口としましては、やはりスキンシップ、肌を通したコミュニケーションだと思います。
動物にとっての危険は外敵だけではありません。
生まれ出たあと、最初に出くわす生命の危機は寒さです。
哺乳類など、変温動物は生まれたあと、すぐに母親の身体で温められます。
人間の赤ちゃんも、体温管理は必須で、体温が下がり、免疫機能が低下しないように気を付けます。
出生直後、赤ちゃんの肌と自分の肌をくっつけるのは、生命維持としての保温の意味と、女性の脳や身体、神経が母親へと変わっていくための意味があるのだといえます。


つまり、何が言いたいかと申しますと、「身体を温める」も発達援助になるのではないか、ということです。
ヒトは身体が温められると、身体で「温かさ」を感じると、心地良さを感じ、安心感を感じ、そして温めてくれた存在に対して愛情と信頼感を感じるのだと思います。
重い知的障害を持つ人は、身体の使い方、運動発達の仕方に課題や歪みがあるため、手足が冷たいことが多く、体温調節がうまくいっていないことも少なくないと感じます。
そうすると、認知的なハンディキャップにより、世の中の仕組みや周りの環境の意味、他人からの発信の意味がわからないことによる心細さだけではなく、身体自体が冷え切り、不安を強く感じている状態だと推測されます。


皮膚過敏や触覚過敏を持っている知的に重い人も多いですが、温泉やお風呂などは好んで入る人ばかりです。
これは施設職員時代に感じていたことで、どんなに重い知的障害や行動障害がある人も、お風呂の時間は大好きで、リラックスできていました。
今から振り返ると、お風呂上がりはみなさん、部屋でゆったりして落ち着いていたのは、お風呂のリラックス効果もですが、身体が温まり、安心感を得られていたからかもしれませんね。
今もいろんなご家庭に訪問しますが、お風呂が好きな子どもさんが多いです。


どんなに感覚過敏がある人でも、変温動物である限り、外気温の影響を受けるものです。
それは皮膚からのとくに温かさに関するアプローチは、どの人も正常だということではないでしょうか。
皮膚を通して温かさを感じ、できれば信頼できる親御さん、ご家族から触れてもらって温かさを感じることは、まさに心身を弛め、脳に余裕を作ることになるのだと思います。


発語がなく、知的障害もある子どもさんで、私が訪問してもぜんぜん目も合わないし、意識も向けようとしない子がいます。
でも、手をつなぐなどの身体接触をすると、ふと意識が私に向き、手を温めるなど十分な関わりをすると、「もっとやって」と意識と発信が出てくることがあります。
あるご家庭では、身体アプローチをする前に、「とにかく身体接触を多くしてみてください」「手足が冷たいので温めてみてください」とお願いしたところ、そこから覚醒状態が明らかに向上し、取り組みにも応じられるようになったとおっしゃっていました。
「そもそも知的障害が重くて、身体アプローチができない」と言われる方がいますが、私達も手足が冷たいと動きたくないですよね。
寒いところに行くと、自分の身体が冷えると、動きたくない、というか自分の体温を挙げる方にエネルギーが向かうのは自然の道理。


施設職員時代からそうですが、幾度となく、枕詞のように「知的に重いから」という言葉を聞いてきました。
知的に重いから、「〇〇ができない」「〇〇は望めない」という言い訳の呪文。
でも、本当にそうかな、と20年以上思い続けてきました。
確かに100個中99個は不可能なこともある。
だけれども、支援者はその可能な1つまでをも「知的に重いから」といって切り捨てていないだろうか、と思います。


依頼される親御さんの中には、いろんな先生や支援者、機関から「無理だね」と言われ、私のところに藁をもつかむ気持ちでいらっしゃる方がいます。
だからこそ、私は気づくことができたのかもしれません。
身体を温める、皮膚から温めるアプローチを。
目が合わない子も、両手を握り、しっかり温かさを伝えれば、ふと目を合わせてくれることもある。
体温の伝えあいも、原始的なコミュニケーションになるのではないでしょうか。
触れ方一つで、自分に対する相手の気持ちがわかるのは、みなさん、感じられることでしょう。


知的に重い人に対しては、充足している機能、正常な機能を見つけ、そこからアプローチしていくことも一つのアイデアになると思います。
そして多くの人に共通するのは、温かさを感じる機能。
変温動物である限り、生きている限り、その機能はどんな人でも働き続けている。
だから、そこから始めよう。
そんなことをこの頃は考えています。


もどうぞ。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』をどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷になりましたm(__)m



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