【No.1314】性は育んでいくもの

ここのところ、立て続けに「性」に関する相談がありました。
「これはブログに書けってこと??」と思ったので、綴ります(笑)


性に関する問題は、「誰に相談したらいいの?」と悩みますよね。
学校の先生や支援者に尋ねれば、「子どもから目を離さないで」「一人にしないで」なんていう対症療法ばかり。
裏を返せば、性衝動は抑えられないから監視するしかないだろう、という話。
だったら、性的な欲求が収まるまで、それこそ、息子が50歳、60歳まで監視し続けるの?ってなる。


知的障害を持った青少年の性に関する相談が中心になります。
当然、身体的には成熟しているし、人間も動物なので種を残すために活発になる。
でも一方で、認知の面では幼児さんと同じくらいの発達状態だったりする。
頭(認知)と身体の発達のギャップですね。
「それはいけないことだ」と根気よく教えることも大事だけれども、「廊下を走っちゃいけません」がわからない子に、「知らない人に触れてはいけない」を理解してもらうのは正直、難しい。
幼児さんは「あの人と仲良くなりたい」「触ってみたい」という内的な欲求により抱き付く。
同じように、それが性的な欲求だとしても内的なものに強く動かされ、他人に触れようとするのは一緒。
違うのは、周囲からの見た目。


重い知的障害をもった青少年の性に関する課題、問題にどう取り組んでいくか?
まず最も大事なこととは、被害者を生まないこと。
たとえあとから「あの人には障害があって」などと言われても、被害者の心の傷はなくならない。
むしろさらに深く傷つくだけ。
だって、被害を受けた自分よりも、「障害があるんだから許せ、我慢しろ」という更なるナイフで傷つけられるから。
もしどうにもこうにもならない場合、このままではさらなる被害者を生むだけの状況だとしたら、私は服薬で抑え込むこと、人里離れた施設で生活すること、終始監視される状態も仕方がないと思う。
それくらい何があっても、どんな事情があろうとも、「被害者を生まない」が最優先になる。


そういったことを踏まえつつ、本人にできることとすれば、理想で言うと「発散すること」になると思います。
できれば、マスターベーションなどをして、性的な欲求を発散できればいい。
そうやって16歳から20代、30代くらいまで自分自身で対処できれば理想的だといえます。
しかし現実問題として、「誰が教えるか」「どう教えるか」が出てくる。
さらに認知の面で課題があれば、見えないルール、マナーが理解できるかという問題が出てくるし、中にはそこの課題を考慮しないでマスターベーションの方法を教えたもんだから、どこでもここでも衝動的にしてしまうようになった、なんて場合も少なくない。
学校の授業中、作業所の仕事中、外出先で、急にトイレにこもって…なんて話はよく耳にするでしょ。


こうやって綴っていくと、なんだかどうしようもない気がしてきますよね。
実際、私も数々相談に乗ってきましたが、これといった解決策はもっていません。
そもそも動物であるヒトの性的な欲求を抑えることが良いことなのか、倫理的に第三者がどうのこうのと言って決めていくことが許されるのだろうか、とも思います。
ですから日頃、「根本だ」「根っこだ」なんて言っている私ですが、やっていることは対処療法と同じです。


原理原則として、オスの性衝動は誘導される形で発動します。
つまり、誘惑や魅力的なものがあって、性的な興奮が高まっていく。
それは当然で、私達も遥か昔は、おしりが赤くなったメスを見て性行動を開始していたのですから。
なので、性衝動が誘導されないような状況にしていくことも一つだといえます。
オスは匂いで誘導されることもあるので、女性が集まる場所にはいかないようにする。
学校などでは「男女席を同じうせず」で、別々に学ぶのも良いと思います。
一度誘導されると、抑えるのは難しくなりますので、誘導されるような場面を減らしていくことも必要でしょう。


あとは筋肉に負荷がかかる活動も大事だと思います。
性衝動が高い時期は、体力、エネルギーも溢れ出る時期でもあります。
ですから、男子は特に筋肉を使うような運動、活動を行い、適切にエネルギーを発散していく。
女性に抱き付いてしまうような青少年を見ていると、みなさん、体力、エネルギーをあり余らしていることが共通しています。
放出されないエネルギーが性的な欲求と重なり、強い衝動、行動として現れているようです。
なので、施設で働いていたときも、てらっこ塾での相談の中でも、全身を使った運動、活動をするようになってから落ち着いていった、という方が多くいます。
性行為も、肉体労働も、男性性を象徴するものなので、エネルギーの発散は対処療法の中でも根っこに近いほうになると思います。


あと共通することとして、幼児期から排泄に課題があった、自立が遅かった子に思春期以降の性衝動の課題が多く出るような印象があります。
男性の場合、おしっこと精液が出るところが同じなので、「おしっこが出て気持ちがいい」という感覚が養われていることが大事なのでしょう。
ずっと「なんだかちゃんとおしっこが出ないな」「出切った感がないよな」「残尿感がある」みたいな人は、性に関してもスッキリ感が持てないんだと思います。
おしっこが出切らないとなんだか気持ち悪くて、ずっと気になるのと同じなのかもしれませんね。


どんなにかわいい子でも、どんなに知的障害が重い子でも、16歳を過ぎれば性的な欲求は高まっていきます。
嫌だと思っても、めんどくさいなと思っても、日々精巣の中では無数の精子が作られる。
だって私達は、有性生殖を選択したヒトという動物だから。
性の問題を障害と結びつけられて話されることがあるけれども、子孫を残そうと性行為、性衝動に走るのは障害とは関係なく、人類みな共通していること。
だけれども、知的障害のない人達は、とくに現代人は多くくなった前頭葉で抑制しているだけ。
じゃあ、知的に遅れのある人は、その前頭葉の発達に課題がある人は?


根本治癒で言えば、その前頭葉を発達させ、見えないルール、マナーが理解できるくらいまで目指すことになると思います。
でも現実問題として、高校年代のときに、もっとも性的な欲求が高まる間に、そのくらいまで認知機能が育っているとは限らない。
むしろ、その時期には間に合っていないことのほうが多い。
そうなると、誰かが彼らの前頭葉の代理をする必要がある。
それが支援者なのか、家族なのか。
必要な部分で援助や支援、環境調整を行うことは大事だと思う。


一方で幼少期から準備をすることはできます。
自分の身体地図が描けていない子、自分のボディイメージが未発達の子は、他人のテリトリー、それこそプライベートゾーンに侵入しやすい。
そこの背景には、重力との付き合い方があり、それは内耳の発達であり、島皮質の発達がある。
自分の身体がわかるには、当然、母子間のスキンシップが土台になる。
乳幼児期から継続したスキンシップが、肌感覚を育て、自分と空間との境目を作ります。
知的障害があっても、ボディイメージがはっきりしている子は、他人と自分の違いが明確な分、性衝動が他人に向かうことが少ないと感じます。
適切な触れ合い、心地良い触れ合いの体験が、一方的な接触、乱暴な接触を選択しないことにもなる。
もちろん、自分の感覚を通して他者の感覚を察するので、感覚系の未発達を一つずつ育てておくことも大事です。


そして排泄面の自立、なによりもスッキリ出る感覚、排泄が「気持ちいい」と感じることを大切にしながら腰と腎臓を育てていく。
また思春期にしっかり体力を使い切れるように、エネルギーを発散できるように、身体が使い切れるくらまで育てておくことも大事です。
あとは愛着形成も、他人に向かう性衝動に至らないためにも重要だと思います。
自分の身体をないがしろにされた子、そう思っている子は、他人の身体をも同様に扱おうとする。
かなしいかな、性に関するトラブルで相談があった若者たちを見ると、ほぼ愛着形成の問題を抱えている。


年相応に身長や体重が大きくなるように、性機能も年相応に成熟していきます。
発達に遅れがあっても、身体は同年齢と同じように成長する。
その準備ができていなければ、薬や支援者、環境によって自由が奪われても仕方がない状況になってしまいます。
知的障害をもった子ども達は特に、認知と身体の成長のギャップが大きくなることが多いので、性に関しても時間をかけて準備をし、必要な部分は支援、援助を行うことが大切だと思うのです。
性衝動だけをターゲットにした根本治癒がないものですから。
性は育んでいくもの。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』をどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷になりましたm(__)m


コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題