【No.1096】代替という視点

「自閉症=視覚支援」というのは、「自閉症の人達は視覚優位だから」という話から来ています。
海外の当事者の人が「私達はビジュアルラーナー(視覚的に学ぶ人)」と著書の中で述べたことも影響していたでしょうし、自閉症支援の歴史を辿れば、初期は言葉の遅れ、知的障害がある子が中心で、その子達に言葉を主とした検査では本当の能力が発揮できない、だから、音声言語を用いない検査を、彼らには言葉ではなく、絵や文字で伝えよう、という具合に、自然と「自閉症=視覚支援」になっていったといえます。
私も学生時代から施設職員時代にかけて、一貫してそのように教わりました。


もう10年以上前になりますが、ある親御さんからこんな相談を受けました。
「うちの子、検査したら、視覚優位じゃなくて、聴覚優位って出たんだけど、このまま視覚支援をしたほうが良いの?」と。
その子は、何年も前に「自閉症」という診断を受けていました。
ですから、検査者は困ったそうです。
「自閉症なのに、視覚優位って結果が出ない…」
親御さんは、その辺りを検査者に尋ねたのですが、検査者はごにょごにょ。
他の支援者に尋ねたら、「それは検査者のやり方が悪かっただけ」「もしかしたら、自閉症じゃないんじゃない(笑)」などと言われたとのことでした。
それで私のところに相談があったわけです。


基本的に私は、形式的な検査自体、ほとんど信用していませんが(笑)、実際にお子さんを見たところ、やっぱり聴覚からの情報処理が優れていました。
ですから、視覚支援にこだわることなく、本人がわかりやすくて、学びやすい方法である聴覚からの情報提供、いわば、普通の子に教えるように言葉を中心にしていった方が良いとアドバイスしました。
その後、あまり得意ではない視覚支援、スケジュールとか、視覚的な教示とか、その子にとってはメンドクサイ手数が減り、勉強がはかどっていったそうです。
まあ、今から考えれば、宗教に近い、いや、伝説のような「自閉症=視覚優位・支援」という時代があったわけです。


最初に視覚支援云々と言われたのが、1970年代です。
そこから半世紀が経ちました。
未だに「自閉症=視覚優位・支援」と言っていたら、笑われてしまいます。
2020年を生きる私達は、視覚優位に見えていたのは、聴覚の発達の遅れの裏返しであり、その聴覚の遅れは三半規管の未発達と繋がっていることもわかっています。
視覚優位も、神経発達の表れ方のバリエーションの一つ。


アセスメントとは、固定化された自閉症像に子どもを合わせるのではなく、神経発達の表れ方を確認することを言います。
その表れ方は、ぴょんと突然変異的に現れるのではなく、受精した瞬間からの発達の流れの中で生じるのです。
ですから、どことどこが繋がっているか、どういった流れで生じているかを掴むことが重要になります。
視覚を優位に働かせた裏側には、周囲の環境の中からの情報を得るために必要なもう一つの感覚である聴覚が働かない、という理由があるように。
耳から情報を得られないからこそ、視覚に頼らざるを得ない。


子ども達の言動を見ていますと、"だましだまし"が見えてきます。
ハイハイを飛ばした子が、頭の中で「右・左・右・左」と言って走っている。
前庭覚が育っていない子が、目に頼って、不安定な道を歩いている。
嗅覚が育っていな子が、口周辺の感覚を過敏にさせ、危険の察知をしようとしている。
このように別の感覚を鋭くさせたり、無意識でやるところを意識させてやったりして、だましだまし行動している姿がみられます。


子ども達の"だましだまし"には、動物としての原形と美しさが表れていると思います。
ある機能が働かないのなら、別の機能で補おう。
そこに神経発達のたくましさと意思を、そして生き抜くための代替手段を編み出す生命力を感じます。


子どもたち自身で、動く機能を使って、どうにか活動しよう、課題をクリアしようとする姿。
その姿に気が付くことが、周囲の大人、特に発達に関わる者に求められます。
昔は、「過敏性は自閉症の特性」「ぎこちない動きは自閉症だから」と言われていました。
でも、今は違います。
ある感覚を鋭敏にする裏には、本来機能しているはずのものが機能できていない状態があるのです。
もし彼らがぎこちない動きを選択しなければ、家から一歩も出ることができないかもしれません、机に座って学ぶことを始められないかもしれません。
彼らは、どうにか未発達の動きを別の動きでカバーしながら、学校に行き、学ぼうとしているのです、社会の中で生きようとしているのです。
その意味を感じとれなければ、発達援助に携わる資格はないのです。


子ども達の感覚の偏り、ぎこちない動きには、必ずトレードオフの関係になっている感覚・機能・動きがあるはずです。
そしてそこが育て直しの必要な箇所。
子ども達の姿、言動を見るとき、代替という視点と、手持ちの札で乗り越えようとする力強さを感じてほしいと思います。
これもまたアセスメントの幅を広げるコツの一つです。




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