発達援助と思い出の家族写真

実際にお会いすると、その人の発達のデコボコは想像以上でした。
私は「相当、生きづらかったでしょう」と、感じたままの言葉が出ていました。
本人は生きづらさを抱えたまま、必死に生きてきたことを話してくれました。


「これだけ発達の課題を抱えたまま、どうして頑張ってこれたのだろう」と、私は率直に思いました。
しかし、その人の物語に心を傾けていると、理由がわかりました。
その人には、親から愛されたという実感がある。
そして家族で過ごした楽しい思い出があったのです。


成人した方達と接すると、感じることがあります。
みなさん、生きづらさを抱えたまま生きてこられたのは同じですが、その中でもなんとか自立した生活が送られている人達がいます。
じゃあ、生きづらさを抱えて、仕事ができない、一人で生活できない人と何が違うのか。
そこで感じるのが、子ども時代に家族との楽しい思い出があるかどうかが大きいのではないか、ということなんです。
どんなに今、生きづらかったとしても、最後の最後で踏ん張れるのは、愛された記憶と楽しい思い出だと私は思います。


発達のヌケや遅れを育て直すことは、子どもの人生を考えれば、とても大事なことです。
でも、子ども時代の中心が、「発達のヌケや遅れを育て直すこと」であって良いのだろうか、私は正直思います。
子どもが大人になり、自分の子ども時代を振り返ったとき、一番に思いだす記憶が発達援助というのは、本人にとって悲しいことではないでしょうか。


私は、発達援助とはシンプルな育みだと考えています。
ですから、親御さんにはシンプルな発達援助を提案します。
でも、そうやってシンプルにし、余裕のある発達援助にするのは、親御さんに伸びやかになってほしい、子どもさんに存分に刺激を味わってほしい、という願いからだけではないのです。
私のもう一つの大事な願いは、家族での思い出を作ってほしい、ということ。


発達課題の根っこを掴み、発達援助をシンプルにしたあとは、必ず「あとは家族みんなで、いろんな思い出をたくさん作ってください」と言っています。
それが将来、自分自身を支える杖になるからです。
人生、発達障害があるなしに関わらず、失敗や挫折もすれば、転んで起き上がれないこともあります。
そういったとき、踏ん張れる支えになるのが、起き上がるときの支えになるのが、家族との思い出だと思うのです。
本人が身に付けた技術や知識と同じように、家族との思い出も、生涯、誰にも奪われることはありません。


発達のヌケを育て直すのは、他人にはできません。
そして家族との思い出を作るのも、他人にはできないことなのです。
だからこそ、発達援助はシンプルに、あとは家族での思い出を作ることを心掛けてほしいと願うのです。


発達のヌケや遅れがなくても、生きづらさを抱えている人はいますし、自立した生活を送れない人もいます。
でも、発達のヌケや遅れがあり、生きづらさを抱えたままでも、自立して生活している人がいます。
そう考えると、弱肉強食のサバンナで生きる動物ではなくなったヒトにとって、愛されたという実感の方が生きてく上での支えになるのだと思います。


子どもというのは、自分の映った写真を見るのが大好きです。
何度も、何度も、アルバムを引っ張りだしてきては、同じ写真を一つずつ眺めていきます。
これは施設で働いていたとき、関わっていた子ども達も同じでした。
写真を眺める子ども達を見て、私は思うのです。
子ども達は写真を見ることで、そのときの感情を再び味わっているのではないか、と。
写真は、そのときの感情を呼び起こすための入り口。
実際は、写真を見ることで、愛されていた実感を、家族で伴に過ごした時間を感じ、愛着という土台を育てている。


発達援助を謳っている私が「家族での思い出を」と言うと、おかしなことのように感じられるかもしれません。
でも、成人した方達と関わる中で、家族との思い出のあるなしが大きな違いを生んでいるように感じるのです。
私の仕事は発達援助ですが、願っているのは、その人が自分の人生を伸びやかに、そして自立して生きていってもらうこと。
だから、発達援助と同じように、家族での思い出を作ってもらうことを提案しています。
発達のヌケを育て直すのと、家族での思い出作りは、自立した人生を歩んでいくための両輪だと思っています。


大人になっても、発達のヌケを育て直すことはできます。
でも、家族みんなの思い出を作れるのは、子ども時代という限られた時間であることが圧倒的に多い。
実際、過去には「家族でいっぱい写真を撮ってください」というアドバイスしかしていないご家庭もありました。
愛されている実感を得ると、発達のスピードが安定し、加速するということもあります。


家族みんなで過ごせる時間は、思っているより短いもの。
発達援助も大事ですが、それだけにならないようにしていただければと思います。
家族での思い出作りこそ、どんな有名な専門家にもできないことなのですから。

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