スケベ読者

当地には、スケベ読者がいるようですね。
私が言ったこと、書いたことを、そのまま言ったり、実践したりしている人達がいるそうです。
「大久保さんが書いたまんま、言っていましたよ」
なんて話も聞きます。
でも、私は気にも留めません。
別に、特別な情報を載せているわけでもありませんし、私しか知り得ない情報でもありませんから。
書いてある情報をどのように料理するかは、個人にかかっていますので。


私が「スケベ読者」というのは、言葉をそのまま持っていくからではありません。
本当は実際の発達援助が気になるし、「治る」をもっと知りたいのに、個人的にアプローチしてこないからです。
「なんかおいしい情報がないかな」と、陰からこそっと覗き見て帰っていくその姿からの連想です。
しかも、覗き見だけで止めてしまう理由が、地元の支援者に目を付けられないためって、オイ。
たとえ利用回数を減らされたとしても、嫌味の一つ二つ言われたとしても、治ってしまえばこっちのものなのにね。


いろんな方から、「ブログに情報を載せ過ぎじゃないか」と言われることがあります。
まあ、考えてみれば、匂わす程度に情報を抑え、「ご利用はこちら」とすれば、商売としては利益につながるのかもしれません。
でも、私の仕事は、本人や家族の間で治っていくための後押しですし、腕の見せ所は、発達の物語を描くことと、発達のヌケと育て方を見抜くこと。
ですから、私がいくらブログに情報を載せようとも、仕事のニーズに変化はないと思います。


それに時々、ブログを読んでくださった方からメールを頂くことがあります。
ブログからヒントを得て、発達援助を行ったら、治っていった、と。
こういった方たちのように、私がブログを書く意図を見抜き、書かれている情報から着想を得て、治していける人たちもいます。
事業としては利益を出すことが大事ですが、それよりもより良い社会になる方がずっと大事。
私が情報を小出しにして小銭を稼ぐよりも、ブログを読んだ方の中から治っていく人が一人でも出る方がはるかに社会のためになると思います。
事業を起ち上げたのも、ブログを書くのも、必要があるからこそ、やっているのです。


そういった意味では、いくらスケベ読者が増えようとも構いません。
どんどん情報を持っていけば良いのです。
だからといって、治るかどうかは別の話ですから。
というか、情報を得ただけでは治りません。
その情報からキモを読み解き、自分や我が子に作り変えなければ無理です。
私のブログは、マニュアルではなく、日々の子育てに活かすアイディアの欠片。


笑った話が、私が花風社さんの本を皆さんにお勧めしていたら、当地で5本指ソックスを履く人が増えたこと。
「お腹の中の育ちが」といえば、プールに通い始めた人がいて、身体を育てるといえば、体操教室に通い始めた人がいる。
どこまで素直なんだか、ものを考えていないのか分かりませんが、得た情報を目の前の子に落とし込まないとダメでしょ。


私が書いたブログや他から得た情報をそのままやっていたら、一週間、いくら時間があっても足りません。
私は「刺激の幅」「バリエーション」などとも言いますので、ありとあらゆる良いと思うものをどんどんやらせようとする親御さんがいます。
で、実際に私と接点があった方はお分かりでしょうが、やることを増やす方向性ではなく、削っていきますよね。
そして、本当に今、その子の発達で必要なものだけを残していく。
発達援助とは、ヒトを育てるとは、シンプルなんです。


さあ、ここからが当地在住のスケベ読者さんのお待ちかね、今日のおいしい情報。
私達は、子どもの発達のヌケを育てたいわけです。
発達援助がシンプルになるのは、ヒトの育ちをみればわかります。
たとえば、お腹の中の発達をやりなおそうとしたら、胎児の姿を連想する必要があります。
胎児は羊水の中で、たくさん動いていますね、その中にいる間中。
つまり、お腹の中をやり直す=プールや海で遊ぶ、までは良いのですが、プール教室に週に1回2回、1時間や2時間通っても足りないということ。
発達に必要な時期には、それをやりつくさなければならないのです。


ハイハイする赤ちゃんは、一日中、ハイハイしています。
ハイハイして疲れては休み、またハイハイをする。
それを眠る直前まで繰り返すのが赤ちゃん。
「今日の午前中は、ハイハイを頑張って、午後からはつかまり立ちをやろう。明日は、ズリバイの復習」などとはしないのです。
必要な時期に、とことんそれだけをやりつくすのがヒトの発達。
ハイハイをやり切ったあと、次の発達課題へと移っていくのです。
それが自然な発達の姿です。


不安や焦る気持ちから、いろんなことを目一杯に詰め込む親御さんは少なくありませんし、その気持ちもわかります。
でも、詰め込んで、いろんな経験をさせようとするのは、親御さん自身の焦りから目を背けているだけ。
親御さんが疲れて、こなしている活動に、子どもはその活動を楽しみ、育ちを味わうことができているといえるでしょうか。
大人が疲れるのですから、子どもはもっと疲れているはずです。


今、必要な刺激、今、必要な発達を、とことんやりつくす。
それこそが、発達することであり、ヒトを育てること。
週に数回、プール教室に行くよりも、毎日、ちょっとの時間でも、一緒に水で戯れる。
バリエーションをつけるとは、水での遊び方を変えたり、プール、お風呂、海など、環境を変えたりすること。
やみくもに、いろんな刺激を与えているだけでは、子ども自身が楽しめませんし、タスクのようにこなすだけになってしまいます。


赤ちゃんを見れば、発達がわかります。
赤ちゃんは、その時期、その時期でとことんやり続ける。
しかも、自ら楽しんで行っています。
ですから、情報を集めるだけではダメなのです。
その情報から着想しなければ。
「今、我が子は、何を育てたいのだろうか」と想像することが大事なのです。
そのためのアイディアの欠片です、このブログに書かれていることは。

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