2018年9月18日火曜日

感情の伴わない発達援助は、存在しない

まず前回のブログの補足からです。
ブログを読んでくださった方から率直な感想をいただいたことで、浮かんできた内容です(気づきをを頂戴し、ありがとうございます!)。


家族での思い出は、特別なイベントに限ることはありません。
遊園地や旅行に出かけなくても、また出かけられなくても、一緒に誕生日を祝ったことでも、近くの公園に家族で遊びに行ったことでも良いと思います。
自分の両親ではなくても、おじいちゃんやおばあちゃんとの思い出でも良いでしょうし、生まれたとき、祖父母の腕の中で抱かれた写真が心の支え、愛されたことを実感するものになる場合もあると思います。
大事なのは、そこに温かい感情があるかどうか。


子どもは、自分の赤ちゃんのときの写真もよく見ますし、大人になってからも、自分が幼い頃の写真を見て、心が温かくなることがあると思います。
みんな頭の中ではそのときのことを覚えていないのに、です。
きっと記憶として残っていなかったとしても、身体はそのときの感情、周囲の空気感を覚えているのだと思います。
思い出の写真は、そのときの感情、心地良さを呼び起こすきっかけ。


ですから、子育て中のご家庭やおじいちゃん、おばあちゃんには、みんなで共に過ごした時間を写真として残しておいてほしいと思います。
また、そういった写真が残っていない、そういった思い出が残るような子ども時代ではなかったという方は、これから思い出を作っていけば良いのだと思います。
友だちと一緒に撮った写真が、10年後、20年後の自分へのメッセージになるかもしれません。


思い出の写真のように、感情の伴う活動こそが発達につながると私は考えています。
もし、感情がないまま活動をしていたとしたら、刺激は身体を通して脳に送られると思いますが、ただ脳内に刺激の通り道ができるだけだと思います。
その新しくできた通り道は、同じ活動を行う際、スムーズな動作をもたらすでしょう。
でも、動作を身に付けること、その動作をスムーズに、効率よくできるようになることが発達だとは思いません。
脳内全体で、同時に電気が走るような、脳の奥底から連動し合うような、そんな変化が発達と言えるのではないか、と私は思うのです。


発達を促すために、いろいろな遊び、活動を行います。
でも、発達とは、動作の獲得ではないと思います。
その動作を通して、脳全体を刺激し、奥底から脳全体を育てているといったイメージです。
そこが学習や技能獲得とは違うのだと思います。
新しい神経回路を作るのと、脳全体を育てていくのとの違い。
発達障害の子ども達が困っているのは、新しい神経回路を作っていけないからではなく、脳全体の育ちに課題があるからではないでしょうか。
だからこそ、私達は、上辺だけのテクニック獲得ではなく、発達のヌケの育て直し、土台から育てていこうとしています。


活動を発達に繋げる方法は、動作に感情をプラスすることだと思います。
感情を伴う動作、行動にこそ、発達を促す力があるのだと思います。
感情が司る部位は、脳の表面ではなく、中心部、土台に存在します。
だからこそ、脳全体的な発火が起き、刺激が駆け巡っていく。


感情を伴う活動は、脳全体を刺激し、育てていくと思います。
でも、その感情は、本人だけではなく、発達の後押しに関わっている人達も大事な要素になるはずです。
発達の後押しをしているものが、感情を伴っていないと、本人と感情を共有できていないと、活動自体が「動作をこなす」と意味になってしまうから。
本人の感情の動きに意識が向いていなければ、動作しか目に入ってこなくなります。
そうなると、いかにその動作をやらせようか、たくさん、しかも上手にやらせようか、になってしまうのです。


「言われた通りにやってみたんですが…」と言われる方は、子どもさんの感情に意識が向いていませんし、その感情と共有できるだけの気持ちを持っていないことが多いといえます。
ただ「発達を促そう」「とにかく今日の分は、ここまでやらせよう」
そんな一方的な感情しか持っていないこともあるように感じます。
それでは発達は起きません。
やっているのは、新しい神経回路を作っているだけ。
巷の療育が場面限定、応用が利かないのは、支援者が決めた行動を脳に刻んでいるだけだから。
そういった療育、支援、子育ての仕方が嫌だからこそ、発達援助、発達のヌケを育て治す道を選択されたのではないでしょうか。


私は、施設で働いていたとき、感情を伴っての支援していませんでした。
一つひとつ感情を持っていたら、一日として仕事ができなかったでしょう。
限られた人数で、大勢の利用者さんを見なければならない、また守らなければならない、しかも24時間連続勤務の中で。
そうなったとき、感情を捨て、淡々とこなすしかなかった。
支援する側がこなしている支援の中で、発達は起きません。
あるのは、支援者が管理しやすい行動を身に付けていくこと。
これは、支援者が描いた神経回路を脳内に刻んでいく作業ともいえます。


こういった過去を経験してきた私だからこそ、特に親御さん達にじっくり子どもと向き合うこと、発達を育んでいくことを願うのです。
そのためには、親御さん自体が忙しく、感情を伴わない私のような施設職員みたいな接し方をしてほしくないのです。
悲しいことに、まるで施設職員を見ているような親御さんがいます。
忙しくて、忙しくて、今日一日を終えるだけで精一杯。
そうなると、いつしか感情を伴わない関わりになる。
感情を伴わない時間では、思い出の写真も、発達も残っていかない。


子どもの発達を一番促すのが遊びなのは、そこに感情が伴っているからです。
また親御さんが、一緒になって楽しんで遊ぶと、発達がより進んでいくのは、感情を共有することで、より大きな感情を生み、そして親御さん自身も、その感情の動きに注目できるようになるからです。
発達援助がうまくいかないのは、やり方が間違っているわけではありません。
それよりも、親御さん自身の感情が伸びやかではないことの方が問題の場合があります。


感情を伴うからこそ、その動作は脳全体を育てることになる。
脳全体が育っていけば、新しい神経回路を作るのも、どんどんできるようになる。
私達は、新しい神経回路をその子の脳内にどんどん作っていきたいのでしょうか。
それとも、新しい神経回路を自分自身でどんどん作っていけるような脳を育てていきたいのでしょうか。
感情の伴わない発達援助は、存在しないはずです。

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