指示通りに動く人を育てているのは誰か?

昨日、訪問したお宅でおばあちゃんがこんなことをおっしゃっていました。
「若い子たちを見ていると、言われたことはちゃんとできるんだけど、それ以上がないよね」
「私が小さい頃は、“同じ仕事だとしても、どうしたらより早くできるようになるか考えなさい”って親から厳しく言われたもんだよ」


そういえば、私も子どもの頃は同じことを言われて育ちました。
だから当たり前のように、仕事でも、趣味でも、生活面でも、「どうすれば、より効率的にできるか」「どうすれば、もっと上達できるか」を考える癖がついているのだと思います。
と言いますか、昨日お話しするまで意識することはありませんでしたし、社会人は、仕事人は当たり前の姿勢だと思っていました。


ですから、我が子にも、発達援助で関わっている子ども達、若者たちにも、「どうすれば、もっと早くできるようになるだろうか?」「どうすれば、もっと上手にできるようになるだろうか?」と考えてもらうようにしています。
また少しでも上達しようとする姿勢が他人から魅力的な姿に見えること、そして、そういう姿勢が自分自身を成長させ、同じ場にいる人達の良い刺激になることも伝えるようにしています。


親御さんからの相談の中に、「言われたことしかできない」というものが少なくありません。
中には、「自閉症の特性だから仕方がないかもしれないんですが…」と言われる方もいます。
でも、自閉症だから言われたことしかできない、わけではないと思いますね。
上記のように、よりうまくできるようになるために考えることを学んだ子達は、きちんと自分で考えるようになるし、試行錯誤だってするようになります。
なので、できないのではなく、知らないというのが真実だと思います。


「言われたことしかできない」という親御さんに、私はいつもこう返しています。
「言われた通りに動くことを教わってきたのではないですか?」
「言われたこと以外をしないように教わってきたのではないですか?」
「だとしたら、彼は大人たちが求めるように成長されたんじゃないでしょうか」


「曖昧な表現や指示が、自閉症の人達を混乱させる」
私もそう感じることがあります。
だからこそ、多くの人は曖昧な言葉を使わないようにし、混乱が生じないような支援グッズへと進んでいったのだと思います。
自閉症支援とは、曖昧さとの決別によって発展していった。
しかし、その弊害が、子ども達の試行錯誤の機会を奪うこととして、若者たちが指示通りにしか動けないこととして、生じたのだといえます。


さらに、指示通りに動く姿はウケが良いこともあります。
それは特定の集団内において、周りで見ている大人たちにとって。
学校内では「指導が行き届いた姿」となり、福祉施設内では「扱いやすい姿」となります。
ですから、特別支援の道を歩き続けていると、「おかしいな」「まずいぞ」と言ってくれる人が少ないのです。
でも、一旦外に出れば、社会の中に出れば、「指示通りにしか動けない人」となり、特に職場では評価を得ることが難しくなる。


曖昧な表現に混乱することと、試行錯誤の機会を奪うこと、は違うと思います。
秩序だった世界を好むことと、指示通りに動くことが幸せ、は違うと思います。
指示通りに動くよう育てるのは、教える側の知識不足と怠慢であり、自閉症の人達を過小評価している証です。


支援者は指示を出してくれますが、社会は指示を出してくれません。
自分自身で考え、試行錯誤していくことが必要です。
社会の中でより良く生きるためには、自分の人生を豊かにするためには、「どうしたらもっとうまくできるだろうか」と考える習慣が大事だと思います。
自閉症の人達も、その重要さに自然と気づくことが難しいかもしれませんが、自分自身で考えて工夫していけるのです。


指示から飛びだすことは、主体的に自分の人生を生きることにつながります。
ですから私は、子ども達に「より上手になるようには?」と考える大切さを伝えています。
頑張るというのは一生懸命行うことだけではなく、より早く、より効率的に、より高い質でできることを目指す姿勢も言うのだと思っています。

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