親御さんの直感に勝るアセスメントはない

近頃は、「本業よりも、メール相談の方が多いんじゃないかw」と思うくらい毎日、せっせと返信の文章を書いています。
我が子のために、自分自身が担当している子のために、「利用できるものは利用しよう!」
そんな主体的で、積極的な姿勢、想いに対し、私は一番の喜びを感じますし、本気で応援しよう、後押ししようという気持ちが湧いてくるのです。


時々、「どうして会ったこともないのに、息子のことがわかるんですか!?」「まるで実際に見たかのようですね!」と驚かれることがあります。
キャリアの始まりであり、土台が、特性的にも、知的にも重い方達の支援であったことも関係しているかもしれません。
認知の面で、環境の面で、コミュニケーションが難しい方が多かったので、言語以外の雰囲気等で読みとる力は、仕事の中で養われていったのだと思います。
また特に行動上の困難を抱えている方は、その生きてきた流れ、ストーリーを感じとることができなければ、支援することはできませんでしたので、そういったことも私の今の仕事につながっているのかもしれません。
まあ、「見えないものを見る力がある」というある程度の自信がなければ、起業もしませんでしたし、「相談もお受けしています」とHPに載せていないですね。


限られた情報から雰囲気を感じるというのは、このように仕事を通して培ったものだと思います。
でも、メールの文面から子どもさんの様子が見えるのは、違う理由が大きいと考えています。
それは「親御さんの直感に勝るアセスメントはない」という信念があるからだと思います。


子どもと過ごす時間が長いのは、過ごした時間が長かったのは、親御さんです。
また寝食を共にしているのも、親御さんです。
過ごしてきた時間が長いというのと同じくらい、寝食を共にするというのは、とても大きなことだと思います。
それは入所施設の職員として寝食を共にした経験から言えることです。
我が子の生きてきた流れ、生命の営みを一番傍で見ていて、一番知っているのは親御さんをおいて他にはいません。
どう頑張っても、他人である支援者が親御さんより鼓動を感じるくらい素晴らしいアセスメントなどできっこないのです。
ですから、親御さんの内側からパッと飛びだしてくる直感に、どんな高度で専門的なアセスメントも勝てません。
アセスメントシートは一部分の切り取りであり、そこに生命の息吹は存在しないのです。


私には、このような考えがあり、信念がありますので、メールの文面から子どもさんを想像するという感覚ではなく、親御さんの目を通して子どもさんを見ている感覚です。
親御さんからどう見えているかが、一番リアルに、そして活き活きとした姿を教えてくれていると思っています。
メールの文章にお子さんのすべてを書き記していないと思いますので、いろんな姿があるのにも関わらず、文面に書いたということは、親御さんにはその姿が鮮明に映っており、そこには直感が働いているはずですので、一番生命を感じられる姿だといえます。
その生き生きした感じが伝わってくれば、お会いしなくても姿が見えてくるのです。


時間とお金をかけて、他人にアセスメントを行ってもらい、それをあたかも有難いもののように見せる支援者も、「ありがたや~、ありがたや~」と言って受け取る親御さんも、間違っていると思います。
「お子さんと寝食を共にし、一番傍で見て、生きてきた歩みを知っているのは、親御さんですよ」
「だから、お母さんの目に映る姿が等身大のアセスメントであり、“こんなことが必要かも”と感じることが援助すべきところです」
それを伝えるのが、本当は支援者の役目だと思うのです。


親御さんの目を信じられない支援者というのは、自分の仕事に酔っている勘違い野郎ですね。
自分の目と直感を信じられない、また発揮できない親御さんというのは、不健全な状態であり、環境や自分自身の課題に邪魔されている状態だといえます。
親御さんの目、直感、感覚を活かすことこそが、発達援助の一歩だと考えています。
私は今日も、親御さんの目を通して、子どもの姿を見ています。

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