支援者間に溢れる動きを止めようとする言葉

今朝のNHKあさイチは、どちらの方の言葉に熱があり、心を動かす力があったかといえば、一目瞭然でしたね。
質問されたことに対して、ギョーカイの論理を述べるだけしかできず、まったく噛みあっていなかった方と、目の前にいる一人ひとりに語り掛けるように真摯に答えていた方。
私は南雲さんの講演会に一度行ったことがあるのですが、やはり南雲さんの言葉はLIVEで感じるのが良いと思いました。
全国を飛び回り、講演をされている方ですので、是非、皆さまもお話を聞きに行かれたらよろしいかと思います。


南雲さんのように、子ども達や親御さん達を励まし、勇気づけ、次の一歩へと動き出すのを後押しする支援者が、どの地域にもいて欲しいと思います。
しかし、聞こえてくる話では、子ども達、親御さん達の自発的な動きを止める支援者ばかりです。


支援者に相談しに行ったら…
「心配し過ぎですよ、お母さん」
「成長していけば、きっと良くなりますよ」
「今は温かく見守ってあげることが大事です」
「頑張りすぎるのも、よくありませんよ」
などと言われた、というのはよく聞く話です。
こういった話を聞くたびに、私は「どうして親御さんを信じないのか、親御さんの力を活かさないのか」と疑問に、いや、憤りを感じるのです。


昨日のブログのように、私は親御さんの直感を信じ、頼っています。
共に暮らし、共に歩んできた親御さんが「気になる」ということは、そこに重要な何かがあるのだと思います。
支援者はよく根拠のない「大丈夫」を発しますが、親御さんが直感的に大丈夫ではないと感じるから、相談に来るのです。
支援者の目には見えなくても、親御さんの目には、「このままいけば、まずいぞ」と感じる将来の我が子の姿が見えているといったこともあるのです。


焦る親御さんを見て、せせら笑う支援者の姿を腐るほど、私は見てきました。
「心配しなくても大丈夫ですよ~」
「頑張るお母さんの姿に、私達の方が頭が下がる思いですぅ~」
などと、親御さんに寄り添っているような“セリフ”を言う支援者。
しかし、親御さんが焦るのは、自然な親心があるからであり、直感が働いている証拠。
親として「このままではまずい」と感じるけれども、どうやって我が子を援助していけばよいかわからず、もがいている姿。
その姿が、周囲から焦っている親御さんとして見られるのだと思います。
同じように、支援者がよく言う「暴走している親御さん(笑)」というのも、内側から溢れ出るエネルギーを止められず、とにかく動き出してしまった親御さんの姿だと思います。


私は、焦る親御さんに「どういったところに焦りを感じますか?」とお尋ねします。
そこには親御さんの感覚を通して伝えてきた子どもさん自身のメッセージがあるからです。
そのメッセージをきちんと受け取り、その課題とつながっている根っこを言語化し、具体的な発達援助のアイディアをお返しするのが、私の役割だと考えています。


焦るのは、それだけ深くお子さんのことを想い、考えているから。
周囲の声が聞こえないくらい脇目も振らずに動かれているのは、我が子のために動きたいというエネルギーがたくさんあるから。
焦る親御さんには、どんなことに焦っているのか、具体的に捉えながら焦ってもらう。
暴走しているように見える親御さんには、お子さんが求めている発達援助の方向へ導き、その道でしっかり走ってもらう。


親御さんの動きを感じ、その動きを良い方向へと活かしてもらう。
迷うことだって、試行錯誤することだって、子育てには必要な動きです。
親御さんの揺らぎや動きを止めるような言葉や態度をする支援者が多過ぎですね。
ですから、意図的、意図的ではないに関わらず、子どもと親御さんの自立を阻む結果になるのです。
「親御さんの方が支援必要じゃねw」ではなく、必要なのは自発的な動きの後押し!


自分の足で一歩踏み出す、子どもも、親御さんも。
それを支援するのが、本当の意味で支援者だといえます。
特別支援なんとか士を増やすのは、支援する側に向けられた支援ですね(ブ)


コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題