年齢軸の支援者、ただダメ出しするだけの支援者(?)

各地から届く相談メールを拝見していると、発達障害を持つ子ども達と相性の悪い支援者というのは、どこも似たり寄ったりなんだなと思います。
ずばり「年齢軸で支援、指導を行う支援者」ですね。


支援するかどうか、指導するかどうかの判断が、その子の年齢を軸に決めている。
そんな支援者というのは、発達障害を持つ子どもたちにとって、ただの迷惑な人、ただのおせっかいな人。
「この年齢なんだから、これくらいできなきゃダメ」
反対に「この年齢なら、目をつぶろう、やらなくていい、できなくていい」
自分自身の発達過程、状態が中心ではなく、年齢によって指導内容も、言っていることも変わっていくなんて、子ども達からしたら「勘弁してくれよ」ですね。
発達、そのプロセスが凸凹しているから発達障害と呼ばれるのであって、年齢や学年が1つ上がれば、同世代と同じように1つ発達、成長するのなら、それは定型発達でしょ。


こういった支援者を一言で言えば、「向いていない人」
もっと優しい言葉で言えば、ヒトとしての発達、人間としての成長が分からない人だと思います。
だからこそ、なんとなく想像できる年齢という軸を使って、仕事をしているのでしょう。
年齢軸はインスタントですからね。


滑り台を下から上る子を見て、「そんな年齢になっても、ルールが分からない子」と見るか、「小さいとき、ハイハイを飛ばしたのかな」「ずりばいを育てているのかな」と見るかは、大きな違いがあるといえます。
年齢軸の支援者が、下から上る子を注意し、WHATとHOWの支援者が「下からはバッテンです」と絵カードを見せて教えようとする。
でも、子ども自身は、自分の発達のヌケを育て直そうとしているのですから、発達を軸にした支援、指導、療育をしてくれる人を望みますね。


年齢軸の支援者の話の次に多いのが、ただダメ出しだけする支援者。
もうそれは「支援者」と呼ぶのもどうかなと思います。
ただダメ出しするだけだったら、誰でもできますね。
「〇〇ちゃん、こんなことができなかったんですよ~」
「〇〇くん、園で友だちに手をあげてしまったんです。すぐに手を出すのは直りませんね~」
これって一般の人の言葉です。
じゃあ、どうするか。
じゃあ、どうやって育てていくか。
どんなところに発達の遅れやヌケがあるのか。
そういった話ができなければ、支援者とはいえないでしょう。


「ダメなところは指摘されるんですが、どうしたら良いか、具体的な話はなくて終わるんです…」
そういった支援者の話は、とにかく多いです。
こういった人が、各地で支援者として仕事していると思ったら、ぞっとしますし、改めて「やっぱり親御さんが自分の直感を信じ、知識を得て、発達援助していくのが一番だ」と思わせてくれます。


結局、年齢軸の支援者も、ただダメ出ししかしない、できない支援者も、同じなんですね。
発達という軸がないのです。
あるのは、年齢の軸だったり、自分の倫理観だったり、自分の経験やその集団の論理だったり…。
「私は子どもを中心に支援しています、教育しています」という人に限って、その「子ども」というのが「同世代の子ども」「同じ集団にいる多数派の子ども」「過去の自分である子ども」であることが多いですね。


発達障害を持つ人達と関わる人間が、ヒトの発達、人の成長を知らずしてどうするんだと思います。
もちろん、同世代の子の発達を押さえておくことは重要ですが、それは指導の基準という意味ではなく、どのくらい発達の遅れ、ズレがあるのかを確認するため。
遅れ具合が分かるからこそ、発達の凸凹、ヌケが見えてきます。
それもすべて発達を援助するための支援者としての土台だといえますね。

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