2021年6月30日水曜日

【No.1175】人間の脳は強い不安と出くわすと、考えることができなくなる

河野大臣はブログ内で、ワクチンデマを流す目的を4つ挙げていましたね。
①ワクチンを批判して、自分の出版物やオリジナル商品に注目を引きよせて、お金を稼ぐ
②科学よりも自分の信奉するイデオロギーに基づいて主張する
③過去に誤ったことを発言したために抜け出せなくなっている
④自分に注目を集めたい
簡単に言えば、「お金」「主義主張」「保身」「愛着障害」のために、ということになるでしょう。


私はこのブログ、そして前後で行われたメディアでの発言を見て思ったのは、相当困っているんだな、危機感を感じているのだな、ということです。
大規模な集団接種会場を作ったのに接種する人が少ない。
また高齢者の接種が思うように進んでいかない。
若い世代の中には、接種するメリットがほとんどなく、リスクのほうが大きいことに気づいている人たちが少なくない。
つまり、それはワクチン接種における大臣の責任問題につながる。
①のお金を政治家生命、またゆくゆくは総理大臣に、という言葉で置き換えると、そのまま4つともご自身に当てはまってしまうわけです。


「イデオロギー」「主義主張」で発言することは何ら問題はありませんし、ある程度、大人になって、社会人としての年数が経って、なんの主義主張もないほうが問題です。
よって、人が何かを発信しているときは、上記の4つに分類しようと思えばすることができる。
ということは、この発言において私達が注視しなければならないのは、「デマ」といったところだと思います。
「デマ」というのはレッテル貼りで、それ以上、議論しないし、考えないという意思表明でもあります。
本格的な接種が始まって1年も経っていないのですから、常識的に考えれば中長期的な影響は「わからない」というのが正しい。
大臣も、取り巻きの医師も神様ではないので、「わからない」というのがわからないわけではないのですから、彼らなりのイデオロギーがあり、お金と愛着障害、保身のためにそうさせているのでしょう。


特別支援の世界に「標準療法」というものがあると仮定しますと、それ以外のアプローチはすべて標準から外れた方法になります。
しかし、どの世界にもそれまで標準であり、それが有効だと考えられていたものが、新たな発見によってひっくり返ってしまうことは珍しくはありません。
むしろ、科学の発展、人間の知恵の進歩のためには、それまで常識を疑うこと、否定することからしか始まりません。
それまでの標準とは違ったものが生まれたとき、生まれようとしたとき、そこに興味を示し、またその可能性を信じ、掘り下げていこうとする者が発展の力になるのです。


だけれども、そういった人達に対して、「トンデモ」「エビデンスがない」「デマ」という言葉を掛けてくる人間がある一定数います。
それは先ほど述べた通り、レッテル貼りであり、「もう考えたくない」という意思表明であります。
じゃあ、なぜ、「考えたくない」というのでしょうか?
もしかしたら、別の可能性があるかもしれないのに、もしかしたら、現状の不満足を解決してくれるかもしれないのに。
特別支援で言えば、どうせ自立しない支援なのですから、ゼロと一緒、何もしていないのと一緒、いや、むしろマイナスでもあるのに。


私達人間は、大脳皮質で考えます。
現状と比べたり、未来を想像したり、情報を分析したり。
一方でレッテル貼りをする人間というのは、大脳皮質に情報が伝わっていないのです。
どういうことかと言いますと、古い脳、大脳辺縁系を中心に感情で処理してしまっているということです。
動物は強い不安や緊張、身に及ぶであろう危機感と直面すると、通常とは異なる情報処理の仕方を行うことがわかっています。
現代とは異なり、自然の中で生きてきた私達の祖先は、天敵の動物と出くわしたとき、いちいち考えて行動していてはすぐに食べられてしまいます。
だから、考えることを敢えてせず、感情や原始的な反射で対応していたのです。
その名残が我々の中にも当然残っていて、サバンナでの肉食動物が、現代の社会的な危機に替わり、ある意味、サバイバルしているのだといえます。


函館も連日20℃を超え、顎マスクの人たちが増えてきました。
私は潔癖症ではありませんが、あの汗ばんだ顎マスクをまた口に持っていくかと思うと、それだけでゾッとします。
しかし、彼らからすれば、最初に怖いものとして反応してしまったコロナ、また多数派から外れることで感じる危機感に対して、原始的な脳で処理してしまっているのだと思います。
ですから、夏は熱中症のリスクがある、コロナは日本人の0.04%しか陽性になっていないし、その8割が軽症または無症状者、20歳以下は誰も死んでいない、といっても、聴く耳を持たないのです。
そもそもが大脳皮質に伝わっていないのですから。


サバンナの大地で生活していた私達の祖先は、集団になることが獲物を得る手段であり、肉食動物からのリスクを分散する方法だったのだと思います。
そのように考えると、治験の終わっていないワクチンを勧める人達、副反応で亡くなる確率は云々と言っている人達は、ワクチン接種という集団を形成し、リスク分散、自身の生き延びる確率を上げようとしている人たちなのかもしれません。
同じように標準療法(?)を辞めよう、特別支援ではなく普通の園、学校を目指そうとする人達は、彼らにとっては集団から出ていく人間であり、自分たちのリスクを高める要因になります。
万が一でも、出ていった人間が自分たちの知らない豊富な食べ物、安全な土地を見つけたりすれば…。
特別支援の世界から出ていった人たちが課題をクリアし、より良く成長し、自立していったら、身の危険が及ぶのは集団に残った人たちになります。


限られた食べ物を集団で分け合いながら細々と生きていく集団は、やがて小さくなり、消滅していきます。
一方で集団を飛びだし、新たな環境を手に入れた集団は生き延び、また次の世代を残すことができる。
特別支援の世界を出ていった親御さん達が、集団から指を指されていたように、集団から離れていったご先祖様も、後ろ指を指されていたかもしれません。
しかし、その一歩がなければ、現状を変えることはできないのです。


特別支援の結果は、もう十分すぎる程出たでしょう。
小学校から高校までだとして12年間、早期診断・療育をつかったとしたら、15年以上。
そんだけ税金と時間、家族のかけがえのない時間を使って、「やっぱり卒後は福祉でしたね、テヘッ」でどうするんです。
その場所にそれ以上いても、得られる食べ物はありません。
むしろ、誤診連発で、じゃんじゃん「発達障害」というレッテル貼りが行われている結果、食べ物が喰い尽くされた場所に、どんどん新しい人たちが入ってきているのです。


コロナ騒動で経済はボロボロ。
子どもの数は減る一方でしょう。
でも、特別支援という集団には、次々と人がやってきている。
そんなんで限られた資源、支援が、全員の手に渡るとお思いでしょうか。
考えれば、0.5秒くらいでわかることです。
しかし考えられない人がいて、考えようとしない人がいる。
その人達は大脳皮質ではなく、感情で反応している人達。
たった一度の出来事でも、強烈な不安とぶつかると、ヒトは考えることができなくなってしまうのです。


ですから私は特別支援に入る前、診断を受けに行く前が勝負だと考えています。
一度足を踏み入れてしまえば、霊感療法と同じで、ネガティブな情報ばかりです。
「もしかしたら、うちの子、発達が遅れているかも」
そんなときにポジティブな情報、アイディアを提供していきたいと考えています。
そのときなら、ヒトはまだ冷静に考えることができますので。
考えた上で、特別支援の世界に入るのは自由。
だけれども、考える間もなく入ってしまうのは、親御さんにとっても、子どもさんにとっても、マイナスなことが多いと思っています。




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