2019年9月2日月曜日

支援や理解よりも、リハビリという視点

「脳の機能障害と言うよりも、神経の問題だよね」
「神経の発達障害とした方が、実際の人達の状態に合っているよね」
「神経と捉えなおすことで、より良い治療や教育に繋がっていけるね」
といった具合に、発達障害が神経発達障害に変わって6年が経ちます。
自閉症も、ADHDも、LDも、知的障害も、発達性協調運動障害も、神経発達障害になりました。


同じ発達障害でも、どういった機能に課題が生じるかによって、違いが出る。
これが従来の診断名の違い。
同じ自閉症でも、その状態、症状は、一人ひとりで全然異なる。
以上の2点から考えても、脳の機能障害ではザックリし過ぎであり(というか、何も具体的な実態を示していない)、もっと細部の問題であることがわかります。
症状の多様性と、個人の歴史を見ても症状が一定ではないこと。
それこそが、神経の問題、もっといえば、神経同士の繋がりの問題であることを示しているといえます。


しかし、こういった変化、従来の概念では捉えられない人達が多数いるのにもかかわらず、未だに「脳の機能障害」などという言葉が見受けられます。
当初、不勉強、ただ知らないだけ、と思っていたのですが、どうもそうではないようです。
6年も経ったのですから、みんな、知らないわけではないのです。
知らないのではなく、変えたくない、変わるのに時間がかかる、ということ。


親御さん達が、「そうだよね。神経だよね。だったら、やりようがあるよね。育てようがあるよね」という具合に、パッと切り替えられるの対し、専門家と呼ばれる人は、公的な機関、制度というものは、すぐには変わりません。
何故なら、「脳の機能障害」で10年、20年と積み重ねてしまったから。
「脳の機能障害」とは、つまり、治らないということ。
生涯変わらない、だから、「支援の充実」「周囲の努力」「支援を上手に使う」「支援されやすいように育てる」という方向性で、支援者は学び、それを伝えることで、専門家という地位を築いた。
学校も、福祉も、行政も、「治らないから」が出発地点となり、仕組みが作られていった。
だから、突然、「神経だから」「治るから」と言われても、そちらの方に舵を切ることができない。
また、できたとしても、相当な労力(既得権益を守ろうとする抵抗勢力がいるから)と時間がかかる。


近年、発達障害の人達が爆発的に増えています。
韓国、日本、アメリカの順番で増えている。
ヒトの遺伝子は、数十年、数百年単位では大きく変わりっこないので、つまり、遺伝よりも、環境の影響により、発達障害は増えている。
胎児期、いや、精子、卵子の段階から出生後の発達期を通して、様々な環境的な要因によって、神経同士の繋がりに不具合、影響が生じているといえます。


環境要因によって、神経の繋がりに問題が生じたのなら、私達は発達障害に対して、手も足も出ない、ということではありません。
環境によって変わるのなら、環境によって変わればいい。
末端神経を通して、必要な刺激を中枢神経に届け、新しい神経ネットワークを築いていく。
新しい神経ネットワークができれば、脳の機能だって変わってくる。
脳機能の不具合がなくなり、生活に支障がなくなれば、社会に適応できれば、治った以外、言いようがありません。


令和にも残り続けている従来の「脳の機能障害」という概念。
ある意味、移行期間だといえるから、欧米から日本は30年くらい遅れる、とよく言われているから、その概念が残り続けるのは仕方がないことなのかもしれません。
でも、私は即刻、否定する必要があると思います、たとえ、制度や支援、支援者の頭は変えられなくても。
何が一番の問題かと言ったら、支援や援助が、真逆の方向へと進んでしまうから。


神経の発達障害なので、必要なのは末端神経への刺激です。
簡単に言えば、リハビリこそが、支援の中心であるべき。
だけれども、不具合が生じている脳を基準に支援や教育がなされると、「どうしたら、刺激を抑えられるか」「どうしたら、今の状態で働いている脳機能のみを使って、学習できるか」という方向性に進んでしまいます。
そうすると、不具合が不具合のまま。
中には、その不具合が、制限された刺激、環境によって強化されることもある。
これこそが、脳の凸凹をさらに大きくさせ、結局、生きていける環境を狭めることに繋がります。


発達障害を治すためには、新しい神経ネットワークを築いていくしかありません。
ですから、治せる実践家というのは、日頃からリハビリと親和性のある仕事をしている人達なのです。
ガチガチの特別支援専門家ほど、障害を固定化することが上手。
だって、治らない前提で学び、実践し、支援者になった人達だから。
元を辿れば、リハビリを学ぶ機会も、リハビリを取り入れる考えもない人達。


親御さんとお話をすると、「わかりました。発達のヌケがあるのですね。だったら、これから今まで以上に丁寧に育てていこうと思います」と言われる方が多いです。
ゆっくり時間をかけて、ある部分を丁寧に丁寧に育てていく。
何度も何度も繰り返していくような子育ては、リハビリと通ずるところがあると思います。
子どもの様子を見ながら、「これはどう?」「こんな遊びは?やり方は?」というようなやりとりは、育てる主体がはっきりしています。


不具合を起こしている状態の脳に合わせていく環境調整。
今、かろうじて機能している部分に働きかける指導。
いくら大脳皮質に覚え込ませても、大脳皮質内でネットワークを築こうとしても、表面的な理解、マニュアル対応しかできません。
もっと根本的な感覚や運動の神経と繋がらなければ、真の意味で身体の内側から理解し、行動できたとはいえません。


過去に言われたように、欧米と30年の違いがあるのなら、あと24年後に神経発達障害がノーマルになり、OO群が当たり前の話として展開されていくのでしょう。
24年後は、今、就学前の子ども達も30歳くらい。
制度や福祉、教育が変わるのは時間がかかるけれども、自分の頭の中は、今日、この瞬間から変えることができます。
法律改正も、手続きも、「ああ、担任当たった、外れた」も必要なし。


70歳を超えた人の脳内でも、新しい神経ネットワークが作られていくのです。
今の子ども達は、5年前、10年前、影も形もなかった存在。
この前、世に出てきたばかりで、今まさに人生で一番神経発達が盛んな時期を過ごしている。
ご高齢の方が、脳に傷害や病気があった人が、懸命に新しい神経ネットワークを築くためリハビリに励んでいる。
神経ネットワークを築いていくという同じ方向性なのに、「発達障害」という診断名がついたら、たまたま移行期の30年間にいるから、「リハビリじゃなくて、支援を求めます。社会の理解を求めます」でいいのでしょうか。
それに、子ども自身がそれを求めているのでしょうか。


個人で制度や社会を変えるのには限界がありますが、自分自身の神経ネットワークを築くのには許可も、30年というときも、いりません。
動くかどうか、ただそれだけです。

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