定型発達の子で土台が育っていない子、発達障害の子で土台が育っている子

9月も、5日も過ぎると、不登校の話題がピタッと止まります。
不登校は、通年で生じているわけですから、そういった支援に携わっている人達は、時期を問わず、発信しているのでしょう。
ですが、どうしても一般の人達からしたら、この2学期が始まる前後だけに見えてしまいます。
敢えてアクセスしようとしなければ、目に見えないのは、自閉症、発達障害の啓発活動と一緒。
すでに下火になり、注目度が一気に下がった青いお祭りと、今、注目を集める不登校啓発といったところでしょうか。


個人的な意見としては、不登校を肯定も、否定もしません。
学校という形式の学びが合わない子も当然いるでしょうし、命をかけてまで行くべきところじゃないと思います。
それに、とてもプライベートな話で、個人の選択の話ですので、その子が、その家族が不登校を選択するのなら、それでよいのだと思います。
ですから、他人がとやかく言うべき話ではないわけで、ということは、他者がメディアを通して「学校に行かなくていい」と発信し続けることの意図に疑問を感じるわけです。
「学校に行かなくていい」と言うのなら、「学校に行った方がいい」という意見も並べ、各自で判断してもらうのが自然な形だと思います。


著名人やタレントの人達の発信も目立ちました。
タレントは、まさに個人の資質、才能を活かして身を立てている人達です。
そういった人達は、当然、学校という枠にとらわれない部分で、才能を活かし、磨いてきた人達。
なので、学校に行く、行かない、とは別次元の話も含まれています。
不登校になれば、その分、才能を磨く時間ができ、従来の教育ではできなかった学びができる、という面もあるかもしれません。
しかし、資質は磨いてナンボ。
空から降ってくるものでも、ある日、突然目が覚めたら手に入るものでもありません。


同世代の子ども達が、学校生活を通して学んだこと、身に付けたことは、人生のどこかでやっておく必要があります。
だって、そういった人達がベースで作られた社会だから。
自閉症、発達障害の世界でも同じですが、「そういった社会が間違っているから、社会を変えよう」なんていう人たちもいます。
でも、それには相当な時間がかかる。
今の子ども達は間に合わない。
第一、社会を変えていくには、社会に出て活動できなければなりません。
行動を起こさない限り、自分も変わらないし、他人も、さらに社会なんて、もっと変わるわけがない。


そうとはいえ、社会の方向性は不登校を受け入れるような感じで進んでいくと思います。
働き方だって、在宅ワークや、個人で、個人同士が繋がったビジネスだって増えていますし、こういった働き方が当たり前になる世代の人達が中心になる時代もやってきます。
ですから、一つの場所に通って…という価値観は、今までとは違ったものになるでしょう。


しかし、じゃあ、「一つの場所に通い続けること」「コツコツと続けていくこと」の価値がなくなるか、といったら、そうはならないと思います。
むしろ、そういった人達の姿勢は、今以上に評価される社会になると思います。
何故なら、未来の社会は、海外から様々な人と文化が入ってきて、共生する社会だから。
そして、「コツコツと続けていくこと」を子ども時代に培えず、その価値観に気づかない大人たちが子どもを教え、育てる立場になってくるから。


発達障害は、今後も増え続けるでしょう。
さらに、その中でも、運動面の発達の遅れがある子ども達が増えていくはずです。
それは遺伝と言うよりも、環境の影響をモロに受け、治す機会を失い。
遊びの貧困化、体験の貧困化、刺激の偏り、使う身体機能&感覚の偏り。
文化、科学が豊かになると、一番最初に影響を受けるのは原始的な部分。
つまり、身体から先に貧しくなるのです。


私は、若者たちの相談や援助に携わる際、「これからは、真面目にコツコツ働けること自体が、素晴らしい資質として評価される時代になるよ」という話をします。
まさに、自閉症の人達のまっすぐな姿勢、真面目にコツコツ積み上げていく姿勢が望まれているのです。
その資質を発揮するためにも、治せるところは治しておく。
また親御さんは、土台となる身体を子育てを通して丁寧に育んでいく。


昨年の障害者雇用の問題で、公官庁で大量採用が行われました。
でも、採用された人達が次々に退職しています。
これは障害を持った人に限らず、新卒採用の若者が1,2年で辞めていくのも同じ。
バイトだって、1ヶ月も経たずに、1日や2日行っただけで辞めていく若者が多くて困っている時代です。
みんな、続かない。
価値観が多様になったのもあるけれども、働き続ける、一つのことを続けるだけの身体、土台が育っていないから。


踏ん張る筋肉が育っていなければ、注意されたり、嫌だと思ったりした瞬間、続かない。
一つの場所に通い続けるには、同じ作業を繰り返すには、自然な二足歩行できる段階まで育っていることが必要。
発達のヌケを育てるための発達援助が、学ぶこと、働くことに直結している。


幼稚園、保育園、学校等に伺い子ども達、若者たちの様子を見ていると、定型発達と呼ばれる子達の中にも、土台が育っていない子、育ちきっていない子が大勢いるのがわかります。
ですから、将来、発達障害という診断名があるかどうか、そもそも発達障害か否か、はそれ自体に大きな意味はなくなると思います。


生涯、学び続け、成長し続ける人生を歩めるか。
社会の中で自立し、働き続けるか。
そこに大きくかかわってくるのは、障害の有無、幼少期に発達の遅れがあるかどうか、ではないのです。
きちんと、動物として、生き物として大事な身体という土台が培われているかどうか。
まさに問われるのは、子ども時代の過ごし方と、各家庭での子育てのあり方。


他人様に迷惑をかけるような“こだわり”じゃなければ、問題ない。
多少、空気が読めなくても、うまくしゃべることができなくても、問題ない。
何よりも、真面目にコツコツと続けられる姿勢、その姿が、凹の部分を凌駕する。
そういった人達は、職場から、社会から歓迎されるはずです。
他人から、社会から歓迎される人達が、口先だけではなく、実際に身体を動かし行動する人達が「社会を変えていく」と、私は思うのです。

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