興奮→抑制の順番で育つ

幼児期から、座る練習をしたり、指示通りに動ける練習をしたりするのを見ると、悲しくなります。
だって、子どもは小さな大人ではないのですから。
大人と同じ基準で、大人と同じ視点で、子どもが育てられている。
「小学生になったら、ちゃんと座っていられる子の方が良いから、今のうちに練習しておこう」
「文字は少しでも早く理解している方が、後々、勉強でも有利になる」
そんな風に、早く早くと急かされ、「大人になって必要はことは今のうちに」と先に先にと背中を押される。


こんな雰囲気は、発達障害の子ども達が受けているソーシャルスキルトレーニングでも感じます。
「この子が話を聞けないのは、話を聞くことの大切さ、意図がわかっていないからだ」
「先生が話をしているときは、どのような振る舞い方が良いのか、教えてあげよう」
そんな風に、教える人間が考える望ましい生徒像に近づけようと指導がなされる。


巷のSSTがうまくいかないのは、子どもの視点、発達の視点が抜け落ちていることが大きな理由として考えられます。
でも、もう一つ、「興奮ではなく、抑制ばかり」という育ちも関係していると私は思います。


幼児教育を見てもそうですし、特別支援の中で行われているSSTもそうですが、どうも抑制することばかり求め、教えているような気がします。
自分の本能、欲求、思いよりも、それを律することばかり。
しかし、それは本来の子どもの発達とは逆だと思うのです。


確かに、成長と共に、自分を律する力、コントロールできる力を身に付けていくことは必要なことです。
でも、だからといって、抑制することだけを教え、訓練しても、そういった力は身についていきません。
何故なら、発達の順番から言えば、大いに興奮する体験をやりきることで、思いっきり力を出せるようになったあとで、抑制の力が育っていくからです。


興奮→抑制という流れがあるのに、その流れを切って、抑制ばかり訓練する。
これもある意味、興奮という発達段階のヌケを人工的に作っているということ。
だから、幼少期から抑制ばかり教わり、しっかり興奮がやりきれなかった子どもは、大きくなっても自分を律する力が育っていかない。
お行儀の良い幼稚園に行っていた子が、小学校で暴れる、家ではわがまま放題という話は珍しくありません。
これも、ある意味、発達のヌケを自ら育てようとしている行動ですね。


抑制系のSSTは、発達のヌケを持った子ども達との相性は最悪だといえます。
発達の順番で言えば、自分を律する脳の部位は、最後の最後で育つからです。
つまり、発達のヌケがあるため、脳の前頭葉(自分を律する働き)がまだ十分に育っていない。
それなのに、律すること、抑制することを指導される。
例えるなら、まだジョギングすらままならないのに、マラソンを走れと言っているようなもの。
できないのは当然なのに、それでいて指導者からは、「どうしてできないんだ」「それも障害特性か」「結局、“重い”からね」「家庭での過ごし方に問題でも」なんて言われてしまう。


発達のヌケ、特に言葉以前の段階にそれがある場合、まずそこをしっかり育て直し、埋めていかないと、脳の前頭葉は十分に発達していけません。
ですから、発達にヌケがある子は、同世代の子ども達と比べて「幼い」と言われたり、そういった印象を持たれたり、実際に幼かったりするのです。
抑制は最後に育つ部分で、それよりも先に発達のヌケを育てる必要があるのに、SSTで抑制ばかりが指導される、また学校教育も抑制に重きが置かれる。
だから、いつまで経っても、いくらSSTをやろうとも、自分を律する力が育っていかない。


運動発達だけではなく、興奮→抑制ですとか、数の概念→言葉の概念ですとか、親指の発達→言語の発達ですとか、いろんな順番、繋がり、関連性があるわけです、発達には。
ですから、「これができないから、これをとことん教えよう、訓練しよう」というような考え方では、うまくいかないことが多いのです。
それがうまくいくのは、ある程度、全体的な発達が完了した人の場合。
発達にヌケのある子や、大人の都合で十分に子ども時代、発達課題、遊びをやりきれなかった子、もちろん、小学校低学年くらいの子ども達は、一人ひとりに合った発達、土台作りが何よりも大事です。


子どもは子どもの発達があります。
そして、その発達にも順番があります。
その発達を一つひとつやりきることが、より良い成長、自立への道とつながっていくのです。
子ども達は、小さな大人ではありません。


 

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