発達が子育ての中に存在するからこそ

一般的なお父さんよりは、ヒトの発達について知っていると思います。
発達のヌケを見つける眼も、育て直すアイディアも、少しは多く持っていると思います。
でも、じゃあ、自分の息子たちに良い子育てができているか、自信を持って父親をやれているか、と言ったら、ぜんぜんそんなことはなく、みなさんと同じように、悩み、考え、試行錯誤し、一喜一憂する親の一人です。


自分の中の父親像のベースは、私の父でしょう。
だって、私は、自分の父以外に育てられたことも、一緒に暮らしたこともないから。
でも、私と父の関係と、私と息子の関係はまた違いますし、育つ環境、時代、社会も異なっています。
ですから、私自身も学び、試行錯誤しながら、同時に、主に仕事を通して関わったご家族、お父さんの姿から学ばせてもらっています。
私がいくら教員免許を持ち、発達に関わる仕事をしていたとしても、父親になるのは初めてのこと。
子どもが生まれてから成長を続けているように、私自身も成長しなければなりません。


私の仕事は、直接的な発達援助というよりも、親御さんがより良い子育て、育みができることを目指す後方支援になります。
ですから、話題の中心は、子育てです。
子育ての話になると、どうしても後悔の感情に触れてしまうことになります。
「より良い子育て」について話せば話すほど、「もう少し早く、それが分かっていれば、もっと良い育みをしてあげられたのに」という後悔。
でも、この後悔は、我が子を愛するが故。
自然な親心がもたらす後悔です。


相談の最中、涙を流される親御さんは少なくありません。
でも、涙を流すことは、決して悪いことではないと思います。
むしろ涙は、身体を弛ませ、心を弛ませる。
涙を流された親御さんは、その瞬間からずっと背負っていた緊張を解かれていく。
完璧な親がないように、完璧な子育てなどありません。
弛んだ身体は、完璧な親を演じていた自分自身を気づかせてくれる。
弛んだ心は、完璧な親から、より良い子育てへと、視点を変えさせてくれる。


より良い子育てなら、いつからでも、我が子がいくつになっても、大丈夫。
子どもが自立するまでが子育て。
「もっと良いものを」と、親自身が歩み続けるからこそ、子どもも成長し続けられる。
「子どもが変わらない」「子どもが成長しない」と嘆いている親ほど、親自身が変化を拒んでいる。


「発達のヌケを育てる」というのは、特別支援でなければ、療育でも、支援でもありません。
自然な親子の子育ての中に、それがあるのです。
ですから、支援者や専門的な知識、技法、施設などは必要ありません。
必要なのは、子どもと共に、子どもの成長と共に、自らが動くこと。


「発達障害が治るなんてインチキだ」
そうやって信じない、拒否するのは、問題ありません。
でも、それに替わるアイディアを持っているのか、より良い子育てを目指し、歩み続けているのか。
ただ批判し、拒否しているだけでは、子どもは変わっていきません。
大人が固く、視野が狭いと、それだけで子の可能性は狭まっていきます。
何故なら、親も、子どもが育つための大事な要因、環境の一つだからです。


一方で、「少しでも子どものためになるのなら」と思い、いろんな情報、人を尋ねる親御さん達がいます。
こういった親御さん達は柔軟であり、常に子育てがアップデートされています。
親御さん自身が、子どもの成長と一緒に歩み、変化するからこそ、子ども自身が自立まで歩み続けることができているのだと感じます。


子どもが発達、成長するために、なにをしているのか。
より良い子育てのために、なにをしているのか。
支援や配慮、理解や啓発は、直接的な発達、成長の後押しにはなりません。
それは子育てではありません。
子どもが求めているのは、自分自身の発達、成長の後押しです。


「発達のヌケは、いつからでも育て直していける」
「より良い子育ては、いつからでも目指していける」
発達が子育ての中に存在するからこそ、どちらの言葉も同じ雰囲気が漂っています。


「発達障害の子どもに対して、親ができることといえば、支援と環境調整、社会の理解を促すこと」
そんなはずはありません。
より良い子育てのために行動することができます。
子どもの横に立って、一緒に成長することができます。
そこには、専門家の了解なんて必要はない。
必要なのは、自分自身の心ひとつ。
さあ、今日も、より良い子育てを目指して、手と足を動かしましょう!

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