いくつになっても、専門家に頼らずとも、今この瞬間からできることはある
私のキャリアは、自閉症児施設、入所施設が始まりです。
たった7年間ではありましたが、濃密で、強烈な時間を過ごさせてもらったといえます。
ですから、当時、関わっていた子ども達、若者たちの姿。
そして、私が感じ、考えたことは、常に頭の中にあります。
「あのとき、今の知識と経験があれば、彼らにどんなことができただろうか」
時々、私はその当時に呼び戻させることがあるのです。
もし、今の私が当時に戻り、彼らの支援をしたとしたら、同じように治す後押しができるだろうか、と想像します。
できることは多々あるだろうし、中には薬を飲まなくてよくなる子も、入所施設のような24時間型のサポートが必要なくなり、家庭やグループホームなどに移行できる子もいたと思います。
でも、正直、私が今、関わっている子ども達、大人たちのように、ドカンと発達したり、就職、自立までいけたりするような子は、ほとんどいないとも思います。
中には、同じような姿を思い描くことができる子ども達もいますが、施設にいた大部分の子は、若者、成人した人達は描くことができません。
何故なら、彼らは、今、生きているだけで精一杯で、苦しみや混乱の世界を歩いているから。
成人した人もいましたが、とても重い症状と知的障害を持った方達がほとんどでした。
いま、自分が何者であり、どこを生きているのかすら、わからないと感じる人達がいたのも事実です。
彼らに、発達する力がまったくないということではなく、その力は限定されているし、伸ばす方へエネルギーが向けられない、それよりも今、生きるだけで大変だということ。
長年の投薬、誤学習、恵まれない環境…。
生きる上で基本となる食べる、寝る、排泄する。
それすら、ままならない、それを保つことで精一杯。
支援や発達援助を受け入れる余地がない子ども達、そういった人生を何十年と歩んできた大人たちを想像すると、当時に私が戻ったとして、今、関わっている人たちのような姿は望めないと思うのが正直なところです。
なので、私は思うのです。
知的障害を持つ子も、発達障害に気づかず、また生きづらいままの人生を送ってきた大人たちも、やれることはたくさんあるし、いつからでも、自分一人の力でも、発達のヌケは埋められるし、育んでいける、ということを。
知的障害の有無や年齢が、治ることを諦める理由にはなりません。
あらゆるものが治り、みんながみんな、一般就労して自立するとまでは思いませんが、当時、私が施設で関わっていた子ども達、若者たち、大人たちよりは、ずっと可能性はあると思います。
早い段階から、幼いうちから親御さんが我が子の発達のヌケに注目し、そこを育て直しているじゃないですか。
長年生きづらさを抱えていたとしても、普通級で学んできたじゃないですか、途中で辞めたりたり、転職したりしたとしても、仕事だってできたじゃないですか。
何よりも、家で生活できている。
24時間のサポートがなければ、生きることができないわけじゃない。
ある若者から、相談を受けていました。
その若者のメールは、電話での声は、絶対に変わってみせる、これから幸せになってみせる、という想いで溢れていました。
ですから、実際にお会いもした。
発達のヌケの育て方、自分一人でできる自分自身を育む方法をお伝えしました。
この若者は涙を流し、「今まで〇年間、ずっと辛くて、消えたいと思っていたけれども、人生で始めて希望が持てた」と言ってくれました。
実際、取り組みを始めてから、心身共に変化が見られ、改めて今まで自分自身がどれほど大変な身体だったのか、そうじゃない人はどれほど楽だったのか、というのに気づかされたとも言っていました。
いくつになっても、支援者や専門家に頼らずとも、今日から自分の力でできることはある。
一つ良くなれば、発達すれば、芋づる式に変わっていくのは、子どもも、大人も、みんな同じ。
違いがあるとすれば、やるか、やらないか、のただ一点のみ。
私が仕事で関わった方の最年長の人は、50代の方。
年齢は関係ありません。
住んでいる地域も関係ありません。
できない理由を探すより、発達のヌケ、生きづらさの根っこの育み方を探す方が、ずっとハッピーになれる。
さあ、やらない理由を探す暇があるのなら、手と足を動かしましょう!
たった7年間ではありましたが、濃密で、強烈な時間を過ごさせてもらったといえます。
ですから、当時、関わっていた子ども達、若者たちの姿。
そして、私が感じ、考えたことは、常に頭の中にあります。
「あのとき、今の知識と経験があれば、彼らにどんなことができただろうか」
時々、私はその当時に呼び戻させることがあるのです。
もし、今の私が当時に戻り、彼らの支援をしたとしたら、同じように治す後押しができるだろうか、と想像します。
できることは多々あるだろうし、中には薬を飲まなくてよくなる子も、入所施設のような24時間型のサポートが必要なくなり、家庭やグループホームなどに移行できる子もいたと思います。
でも、正直、私が今、関わっている子ども達、大人たちのように、ドカンと発達したり、就職、自立までいけたりするような子は、ほとんどいないとも思います。
中には、同じような姿を思い描くことができる子ども達もいますが、施設にいた大部分の子は、若者、成人した人達は描くことができません。
何故なら、彼らは、今、生きているだけで精一杯で、苦しみや混乱の世界を歩いているから。
成人した人もいましたが、とても重い症状と知的障害を持った方達がほとんどでした。
いま、自分が何者であり、どこを生きているのかすら、わからないと感じる人達がいたのも事実です。
彼らに、発達する力がまったくないということではなく、その力は限定されているし、伸ばす方へエネルギーが向けられない、それよりも今、生きるだけで大変だということ。
長年の投薬、誤学習、恵まれない環境…。
生きる上で基本となる食べる、寝る、排泄する。
それすら、ままならない、それを保つことで精一杯。
支援や発達援助を受け入れる余地がない子ども達、そういった人生を何十年と歩んできた大人たちを想像すると、当時に私が戻ったとして、今、関わっている人たちのような姿は望めないと思うのが正直なところです。
なので、私は思うのです。
知的障害を持つ子も、発達障害に気づかず、また生きづらいままの人生を送ってきた大人たちも、やれることはたくさんあるし、いつからでも、自分一人の力でも、発達のヌケは埋められるし、育んでいける、ということを。
知的障害の有無や年齢が、治ることを諦める理由にはなりません。
あらゆるものが治り、みんながみんな、一般就労して自立するとまでは思いませんが、当時、私が施設で関わっていた子ども達、若者たち、大人たちよりは、ずっと可能性はあると思います。
早い段階から、幼いうちから親御さんが我が子の発達のヌケに注目し、そこを育て直しているじゃないですか。
長年生きづらさを抱えていたとしても、普通級で学んできたじゃないですか、途中で辞めたりたり、転職したりしたとしても、仕事だってできたじゃないですか。
何よりも、家で生活できている。
24時間のサポートがなければ、生きることができないわけじゃない。
ある若者から、相談を受けていました。
その若者のメールは、電話での声は、絶対に変わってみせる、これから幸せになってみせる、という想いで溢れていました。
ですから、実際にお会いもした。
発達のヌケの育て方、自分一人でできる自分自身を育む方法をお伝えしました。
この若者は涙を流し、「今まで〇年間、ずっと辛くて、消えたいと思っていたけれども、人生で始めて希望が持てた」と言ってくれました。
実際、取り組みを始めてから、心身共に変化が見られ、改めて今まで自分自身がどれほど大変な身体だったのか、そうじゃない人はどれほど楽だったのか、というのに気づかされたとも言っていました。
いくつになっても、支援者や専門家に頼らずとも、今日から自分の力でできることはある。
一つ良くなれば、発達すれば、芋づる式に変わっていくのは、子どもも、大人も、みんな同じ。
違いがあるとすれば、やるか、やらないか、のただ一点のみ。
私が仕事で関わった方の最年長の人は、50代の方。
年齢は関係ありません。
住んでいる地域も関係ありません。
できない理由を探すより、発達のヌケ、生きづらさの根っこの育み方を探す方が、ずっとハッピーになれる。
さあ、やらない理由を探す暇があるのなら、手と足を動かしましょう!
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