エネルギーのバランスをどうとっていくか?
お子さんの進路、将来について相談を受けました。
軽作業のような仕事と、体力を使うような仕事のどちらが適していると思うか?
グループホームを見学に行く際、選ぶ際、息子の場合、どういったポイントを確認したらよいか?
大きく分けて、この2点が相談の中心となりました。
相談を受けている途中、ふと施設で働いていたときのある成人の利用者さんの顔が思い浮かんだんですね。
私の原点は入所施設の職員ですので、あのときの雰囲気に頭の中が包まれていたのだと思います。
その成人の利用者さんは、周期的と言いますか、定期的と言いますか、職員に向かってくるんです。
パンチとか、キックとか、噛みつきとかじゃなくて、職員を掴んで、とにかく押してくるんですね。
身長も大きいですし、身体もガッシリ系の人だったので、結構、大変でしたよ。
私も何度も対応しました。
で、ここでコツがあって、すぐに押しきられたり、逃げたりしてはいけないんです。
すぐに押しきられたり、逃げたりすると、何度も何度も向かってくるんです。
また職員に向かえなかったら、破壊行為が始めるんですね。
ある程度の時間、しっかり対応すると、スッと落ち着いて、晴れやかな顔をして元の生活に戻るんです。
この利用者さんは、日中、軽作業をしていました。
とっても仕事は丁寧なんですね、最後までペースは乱れませんし。
で、だいたい上記のような行動が起きるのは、寮にいるときなんですね、それも突然スイッチが入ったように。
となると、「仕事での我慢やストレスの爆発?」「寮でやることが明確じゃない?」「直前に注意されたり、制止されたり、要求が通らなかったりして?」「作業と寮の職員の対応が違う?」というようなことが思い浮かびますよね。
当然、ケース会議でも、そのような話は出ました。
でも、私は違うような気がしたんですね。
もっと根本的で、シンプルな理由じゃないのかなって思ったんです。
知的障害がとても重いっていうのもありますし、日頃、寝食を共にしていての雰囲気とでも言いますか…。
そんな風に考えていたら、“定期的”というのと、“対応されると落ち着く”というのと、“晴れやかな顔”っていうのが繋がったんですね。
きっとエネルギーバランスを調整していたんだなって。
つまり、自分の中に溜まっていたエネルギー、行き場のないエネルギー、発散できていないエネルギーを職員を押すことで消費していたのでは。
それで過去の資料を見返したり、運動した前後を確認したりすると、やっぱりねってなったんです。
そりゃそうですよね、同性代の人達はバリバリ働いて、バリバリ遊ぶ時期ですもん。
いくら本人が得意で、わかりやすい構造化がされていたとしても、軽作業くらいじゃ持っているエネルギー使い果たせないでしょ。
仕事が終わって寮に戻っても、ごはんの準備するわけではないですし、どこかに遊びに行くわけでもありませんし。
食事の時間を待って、お風呂に入って、あとは基本的に寝るだけの生活。
こんなんじゃ、きちんとエネルギーを使い切れませんね。
こういった施設職員時代のエピソードが蘇ってきたのは、相談してくださった方の息子さんも、成人後も安定した生活を送るためには、エネルギーについて考える必要がある子だからですね。
グループホームで「エネルギーが余ってるんで、ちょっと発散してきます」と言える子ではありませんし、自分で計画して実行できる子でもありません。
今は学校に行き、勉強、運動、実習、部活、行事などで、エネルギーバランスが保たれていますが、これがグループホームに入れば、同じようにはいきません。
となると、余ったエネルギーが頭の中をグルグルさせるのか、動きとして表に出るのか、ということもあります。
ですから、軽作業をするなら生活の場で発散できる方が良いですし、体力を使う仕事でしたら生活の場は整える重視の方が良いといえます。
現代社会の20代、30代の若者は、バリバリ働き、バリバリ遊ぶ世代です。
もっと遡ると、特に男性、オスは地上を駆け巡り、獲物を捕っていました。
ということは、若者はそれができるくらいの身体、エネルギーを持っているとも言えると思います。
アメリカの支援が羨ましいとは思いませんが、強度行動障害の人達が住むグループホーム(一軒家)を見学したとき、午前中から目一杯、庭のプールで遊んでいる姿を見たら、これは良いなと思いましたね。
精神病棟からどんどん受け入れてるグループホームでした。
代表の方に話を訊くと、とにかく減薬を目指しているそうです。
そのためのアイディアがプール活動ですし、ハイキング、ヨガなどの運動、また芸術活動です。
日本とは労働観が違いますし、もちろん住環境も違います。
私は「プールガー」「住環境ガー」と言うつもりはありません。
ただ自分で生活を設計し、組み立てることが難しい人の場合、エネルギーバランスについても周囲の人間が考え、整え、生活の中に組み込んでいく必要があると思います。
構造化された支援がどうのこうのとか、近くにどんなものがあるかとかも大事だとは思いますが、安定した生活、人生を送る上で、もっと根本的な部分に目を向けて進路を考えられるのが良いと考えています。
軽作業のような仕事と、体力を使うような仕事のどちらが適していると思うか?
グループホームを見学に行く際、選ぶ際、息子の場合、どういったポイントを確認したらよいか?
大きく分けて、この2点が相談の中心となりました。
相談を受けている途中、ふと施設で働いていたときのある成人の利用者さんの顔が思い浮かんだんですね。
私の原点は入所施設の職員ですので、あのときの雰囲気に頭の中が包まれていたのだと思います。
その成人の利用者さんは、周期的と言いますか、定期的と言いますか、職員に向かってくるんです。
パンチとか、キックとか、噛みつきとかじゃなくて、職員を掴んで、とにかく押してくるんですね。
身長も大きいですし、身体もガッシリ系の人だったので、結構、大変でしたよ。
私も何度も対応しました。
で、ここでコツがあって、すぐに押しきられたり、逃げたりしてはいけないんです。
すぐに押しきられたり、逃げたりすると、何度も何度も向かってくるんです。
また職員に向かえなかったら、破壊行為が始めるんですね。
ある程度の時間、しっかり対応すると、スッと落ち着いて、晴れやかな顔をして元の生活に戻るんです。
この利用者さんは、日中、軽作業をしていました。
とっても仕事は丁寧なんですね、最後までペースは乱れませんし。
で、だいたい上記のような行動が起きるのは、寮にいるときなんですね、それも突然スイッチが入ったように。
となると、「仕事での我慢やストレスの爆発?」「寮でやることが明確じゃない?」「直前に注意されたり、制止されたり、要求が通らなかったりして?」「作業と寮の職員の対応が違う?」というようなことが思い浮かびますよね。
当然、ケース会議でも、そのような話は出ました。
でも、私は違うような気がしたんですね。
もっと根本的で、シンプルな理由じゃないのかなって思ったんです。
知的障害がとても重いっていうのもありますし、日頃、寝食を共にしていての雰囲気とでも言いますか…。
そんな風に考えていたら、“定期的”というのと、“対応されると落ち着く”というのと、“晴れやかな顔”っていうのが繋がったんですね。
きっとエネルギーバランスを調整していたんだなって。
つまり、自分の中に溜まっていたエネルギー、行き場のないエネルギー、発散できていないエネルギーを職員を押すことで消費していたのでは。
それで過去の資料を見返したり、運動した前後を確認したりすると、やっぱりねってなったんです。
そりゃそうですよね、同性代の人達はバリバリ働いて、バリバリ遊ぶ時期ですもん。
いくら本人が得意で、わかりやすい構造化がされていたとしても、軽作業くらいじゃ持っているエネルギー使い果たせないでしょ。
仕事が終わって寮に戻っても、ごはんの準備するわけではないですし、どこかに遊びに行くわけでもありませんし。
食事の時間を待って、お風呂に入って、あとは基本的に寝るだけの生活。
こんなんじゃ、きちんとエネルギーを使い切れませんね。
こういった施設職員時代のエピソードが蘇ってきたのは、相談してくださった方の息子さんも、成人後も安定した生活を送るためには、エネルギーについて考える必要がある子だからですね。
グループホームで「エネルギーが余ってるんで、ちょっと発散してきます」と言える子ではありませんし、自分で計画して実行できる子でもありません。
今は学校に行き、勉強、運動、実習、部活、行事などで、エネルギーバランスが保たれていますが、これがグループホームに入れば、同じようにはいきません。
となると、余ったエネルギーが頭の中をグルグルさせるのか、動きとして表に出るのか、ということもあります。
ですから、軽作業をするなら生活の場で発散できる方が良いですし、体力を使う仕事でしたら生活の場は整える重視の方が良いといえます。
現代社会の20代、30代の若者は、バリバリ働き、バリバリ遊ぶ世代です。
もっと遡ると、特に男性、オスは地上を駆け巡り、獲物を捕っていました。
ということは、若者はそれができるくらいの身体、エネルギーを持っているとも言えると思います。
アメリカの支援が羨ましいとは思いませんが、強度行動障害の人達が住むグループホーム(一軒家)を見学したとき、午前中から目一杯、庭のプールで遊んでいる姿を見たら、これは良いなと思いましたね。
精神病棟からどんどん受け入れてるグループホームでした。
代表の方に話を訊くと、とにかく減薬を目指しているそうです。
そのためのアイディアがプール活動ですし、ハイキング、ヨガなどの運動、また芸術活動です。
日本とは労働観が違いますし、もちろん住環境も違います。
私は「プールガー」「住環境ガー」と言うつもりはありません。
ただ自分で生活を設計し、組み立てることが難しい人の場合、エネルギーバランスについても周囲の人間が考え、整え、生活の中に組み込んでいく必要があると思います。
構造化された支援がどうのこうのとか、近くにどんなものがあるかとかも大事だとは思いますが、安定した生活、人生を送る上で、もっと根本的な部分に目を向けて進路を考えられるのが良いと考えています。
コメント
コメントを投稿