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【No.1215】2021年暮れのご挨拶

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大晦日の函館は、最高気温がマイナス7℃という素敵な数字を叩き出しました。 ジムに行くのも寒いし、帰ってくるのも寒い。 お礼参りも激さむでした そんな中で今、やっと雪かきが終わり、パソコンの前に座っております。 2021年を振り返ると、まさか呼んでくださるとは思わなかった沖縄のご家族からの出張の依頼がありました。 何度も「よろしいんですか?」「私は北海道ですよ」「2000キロくらい離れていますよ」「台湾、中国のほうが近いですよ(笑)」「函館からはロシアのほうが近いですよ(笑)」とお尋ねし、「それでも」というお話でしたので伺いました。 親御さんの想いは、南国の陽射しよりも熱かったですね。 他にも、福岡、広島、関東はほぼ毎月でちょくちょく、今年は道内も結構回りました。 たまたまではありますが、札幌出張とオリンピック競歩の日が重なり、目の前でオリンピアンの競技する姿を見られたことはよい思い出になりました。 18歳のとき、初めて手にした障害系の本が花風社さんの『自閉っ子、こういう風にできています!』でした。 それから20年ほど経ち、花風社さんの25周年記念事業の『医者が教えてくれない発達障害の治り方』の出版に携わらせていただきました。 共同著者としてこの世に本が出たことは私にとって嬉しいことではありましたが、私以上に周りの人達が喜んでいることにびっくりしました。 妻、息子たち、両親はもちろんのこと、てらっこ塾を始めたときに応援してくださった方たち、利用したことがある親御さん達、今利用している親御さん達、そして自分自身で治していき、自分の人生を歩まれている若者たち、お子さん達。 函館蔦屋書店で開催させていただいた出版記念イベントにも、懐かしい方たちも来てくださり、さらに大きく成長した姿を見せてくれました。 また「本、買ったよ!」と連絡をくれた方たちもいました。 出張の依頼と同じように、出版というお仕事も社会に求められた結果だと思っています。 私自身、まだまだ反省ばかりで、もっとアセスメントの力を磨かねば、もっと親御さんが前向きになるような後押しを、もっといろんなアイディアが浮かんでくるようなヒントを、もっと子育てが楽しいと思ってくれるような話を、と思い続ける日々です。 ただ今回、出版のお声がけがあったのは、私のように全国各地に出向き、しかも家庭の中に入っての発達相談をやっている...

【No.1214】『発達障害の壁』

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養老孟司氏の新刊『ヒトの壁』が出たので読もうと思っているものの、なかなかたどり着けないくらい未読の本が積み重なっています。 『バカの壁』から始まり、『死の壁』『超バカの壁』『「自分」の壁』と壁シリーズが続いているのを見て、ふと『発達障害の壁』というものを連想しましたので、その辺りの話をしたいと思います。 のちに強度行動障害と呼ばれる人達、症状や認知の面で重度と言われる人達は、出生後すぐの時点で、その不具合が生じているようです。 共通しているのが、睡眠と情動の乱れ。 赤ちゃんは一日のほとんどの時間を眠るものですが、なかなか寝られない、ちょっとした物音、衝撃ですぐに覚醒してしまう、ということがあります。 これは眠れないから情動が乱れるのか、情動が過敏だから眠れないのか、そのどちらかはわかりませんが、とにかく一日中泣いていた、ぐずってばかりいた、という話もよく聞きます。 赤ちゃんにしては珍しいくらい激しく泣くという話もちょくちょく伺いますので、出生した時点で、既に何らかの神経発達的な不具合が生じていると推測されます。 眠るという動物としての本能行動に困難がある。 これが『新生児の壁』 次に訪れる壁は、『運動発達の壁』です。 腰坐りが遅かった、立位までが遅かった、という"遅れ”と、ハイハイを飛ばした、すぐに立ってしまった、という"ヌケ"があります。 そしてもう一つ留意しなければならないのが、非定型の運動パターンで、寝返りの方向が片方のみ、肩膝立ちのずりばい、後ろにしか進まないハイハイなど、特徴的な動きをする場合もあります。 こういった特徴的な動きは、代々続くことが多く、「お父さんもそうだった」「おばあちゃんも」「従兄弟も」など、引き継いだ運動パターンだといえます。 もちろん、そういった遺伝的な話ではなく、原因があって、そういった偏った動きしかできないからやっちゃう、という場合も多いです。 その原因に関しては、新刊『ポストコロナの発達援助論』に詳しく書きましたので、お読みください(宣伝w)。 こういった運動発達の壁は、現れた時点で定型の動きに戻してあげることが重要で、そのままスルーしてしまうと、あとから育て直しが必要になりますし、時間も倍以上かかることになります。 私の感覚では、動きの偏りは神経発達の偏りとなり、「ああ、言葉が出ないな」と気づいた...

【No.1213】発達障害を子育ての領域に取り戻す

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実質、濃厚接触者になった受験生の試験不可が取り消されました。 これは最初から織り込み済みで、「試験不可の通知→世論からの反発→首相の指示で撤回」が一つのストーリーになっていたと推測されます。 日本は共産主義の独裁国家ではありませんので、憲法、法律を超えて、このようなことなどできるわけがありません。 それに大学共通テストまで約三週間前のタイミング、年末で公官庁が休みに入るタイミングで、「じゃあ、そのように試験体制を準備しなきゃ」なんて物理的にもできるわけがありませんね。 ですから、このストーリーで何を得ようとしていたのか、裏の意図を想像することが大切です。 南アフリカはワクチン接種率も26.6%で、すでにピークアウト。 現地の専門機関からの報告では、重症者も、死者もほぼいない。 一方で日本はブースター接種が始まりますが、秋くらいからずっと地を這うような陽性者数。 全国の重症者が38人で(一つの県に一人もいない計算!)、医療崩壊の心配はない状況。 ちなみにイギリスがこの頃、毎日10万人(日本の人口で考えたら20万人)を超えていますが、医療崩壊していませんね。 つまり、濃厚接触者の試験不可の茶番劇は、ターゲットが若者、受験生と家族。 どうして、ここまで接種の流れを作るのかの背景は分かりませんが、デルタよりも症状が軽いものに変異したので喜ばしいことだと思います。 ほとんどの人が無症状で、亡くなる人がいないのなら良いのでは?? そういえば、去年の分までインフルエンザが大流行する設定だったのでは?? 信頼し合える人間同士なら考える必要はないと思いますが、たいていの場合は表の意図と裏の意図があるものです。 ですから、この仕事をしていて医師や専門家、支援者、学校の先生などの話をそのまま受け取ってしまう親御さんが多いことに対して、私は驚くばかりです。 どうしてその日、初めて会った医師の言葉を無条件に信じることができるのでしょうか。 ましてや、他の疾病とは異なり、発達障害の生物的なマーカーは存在していません。 どう頑張っても、その医師の主観が入りますし、人間ですから当然間違うこともあります。 さらに、その日の子どもさんの状態だって、いろんな条件によって変化するものです。 診察室で見える姿は、その子の一部分でしかありませんね。 「生まれつきの障害」と支援者たちが好んで使うのは、そういうと...

【No.1212】「親バカ」の意味

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『言葉がない子と、明日を探したところ』を読んでいる最中から湧き上がった連想を数日綴ってきましたが、今日のブログを書くための前振りでした。 就学前に治った子ども達と親御さん達がいます。 だからといって、その子が軽かったと一概に言えるわけではなく、親御さんにとっては心配で大変だった事実は変わらないわけです。 長い期間でなかったかもしれませんが、親御さんには重度に見えたり、将来に希望が見えないこともあったはず。 そういった親御さん、子どもさん達を見て、私は心から良かったと思います。 就学までに治らなかった子ども達と親御さん達がいます。 だからといって、その子が重かったと一概に言えるわけではなく、またその子の親御さんの子育て、発達援助のやり方に問題があったともいえません。 もちろん、親御さんにとっては心配な時期はできるだけ短いほうが良いと思いますが、就学時までに治っていないからと言って、その子本人が不幸だと感じているわけではないはずです。 中には、あとから本人が振り返って話してくれることがあるのですが、「僕のために、一生懸命やってくれていたのが分かって、そのとき、嬉しかった」と言う若者たちもいるのです。 こういった若者たちの言葉を聞けば、就学後も親子で治る道を歩むこと自体が、幸せな時間といえるかもしれないと思います。 就学前に治った親子よりも、濃密な親子の時間を過ごせている場合もあるのです。 ですから、他のご家庭で「治った」ということを見聞きしたら、是非、一緒に喜んでほしいと思います。 たとえ、その時点で我が子が治っていなかったとしても、社会に治った子が一人増えたのですから。 その子が治ったことで、他の誰かが支援を受けられるかもしれません。 その子が治ったことで、より良い未来、社会を作ってくれるかもしれません。 そして、その子の親御さんは治った喜びをより感じられるようになります。 治った子の親御さんは、将来、我が子が孫を連れてきたとき、子育ての経験を、治した体験を次の世代に伝えることができます。 それは次の世代をよりよく育てる力になり、次の世代の子ども達を治す後押しにもなります。 これは縦に繋がる「治る」です。 そして今、治ったと喜ぶことは、他の親御さんの希望になります。 子育て世代の親御さん達も、あと5年もすれば、立派な先輩になり、その背中を若い世代の親御さん達が見ること...

【No.1211】「治る」よりも、自立に必要なことは

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昨日のブログに対する反響が多く、何名かの方からご感想のメールを頂戴しました。 たぶん、心に突き刺さるものがあったのだと思います。 まあ、このブログを読んでくださる方は、忖度を望み、いい子いい子してほしくてはやってきていないと思いますので、今日も連想の続きを綴っていきたいと思います(笑) 一言でいえば、よそのおうちの「重度」とか、「治ったとか」に心が乱されるようではいけませんね、ということ。 私から見れば、すべて脳みそ、エネルギーの無駄遣いです。 よそのおうちが治って、うちがまだ治っていないと、なぜ、落ち込むのでしょうか。 我が子とはまったくの別人です。 治る人数が決まっていて、椅子取りゲームをしているのなら、プレッシャーを感じても仕方がないですが、他人と関係なく、治る子は治るし、治らない子は治りませんね。 やることは変わらないわけです。 またご自身で「我が子は重度」と思い込み、勝手にいろいろなことを諦めては、お子さんが可哀想ですし、親が我が子の可能性を狭めてしまう危険性がありますね。 「勝手にぼくのこと、"重い"って決めないでね」 プレッシャーと言えば、「年が明ける」が親御さんにとって大きなプレッシャーになることが多いと感じます。 年長さんのご家庭は、就学先の最終リミットが1月末だったり、2月まで待ってもらったりしていて。 年中さんのご家庭は、来年度から始まる就学相談に、「いよいよか…」という気持ちになるのだと思います。 希望する就学先を考えたら、まだ治っていない、育っていない。 この世代のご家庭の発達相談を行うと、「あと半年あれば」「あと一年あれば」、普通級などの希望の就学先に行けるのになあ、と思うことばかりです。 この調子で発達が進んでいけば、就学の準備ができるのに、その前に就学の日が来てしまう、という感じ。 つまり、就学というリミットが先に決まっていて、子どもの発達とは別の時間軸があるということです。 よく「治る家庭と、治らない家庭の違いはなんですか?」と尋ねられます。 その答えはとてもシンプルで、「治るまで続けるかどうか」のほかにありませんね。 私が関わってきた働く若者たちは、中学まで支援級でそこから通信教育や私立に進学した方もいますし、支援学校卒の方もいます。 卒業後も、福祉的な支援を受けていましたが、そこから変わっていき、少しずつ自立...

【No.1210】「重度」という言葉

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「重度」という言葉は、本人ではなく、周囲の人のための言葉です。 「重度だから」と使えば、諦める決心ができたり、「自分のせいじゃない」とその瞬間は、自分自身を傷つけなくて済みます。 「重度だったのに」と使えば、今に対する感謝の気持ちを、本人の成長を感じる喜びを、一方で自分自身をアゲルために、想定した誰かをサゲルために発せられることもあるでしょう。 ですから、「重度」という言葉の使い方は難しいと私は感じています。 ところでいろいろな人が使っている「重度」とは、どんな状態を指すのでしょうか。 知的障害が「重度」? 症状が「重度」? 問題行動が多いのが「重度」? ある程度、年齢が上がっても症状が変わらない人が「重度」? 生活面で介護を受けている人が「重度」? たぶん、その人その人で重度が意味していることは違うでしょうし、その重度は上記で言えば知能検査の値しか客観的なものはないので、かなり主観的なものだといえます。 しかも、その主観は発している人が実際に見聞きしてきた発達障害の人の範囲での話になりますので、同じ「重度」でも、ある人には軽度に見え、ある人にはかなり重度に見えることもあると思います。 親御さんがいう「重度」と、医師がいう「重度」と、学校の先生がいう「重度」と、施設職員がいう「重度」は、まったくもって異なるのは無理もないことです。 当然、子どもを中心に見ている人と、大人を中心に見ている人、学習面を中心に、生活面を中心に見ている人でも全然違うはずです。 そういう私も偏りがあるわけで、てらっこ塾を始めてから一度も重度と思うような方とは出会っていないのです。 キャリアの初めが、当然、家で過ごすことができず、それでいてその地域にある入所施設に入っても、そこで生活ができないくらいの人達が全国から集まってくる施設での生活支援でしたから。 知能検査は測定不能、こだわりなどの症状はコントロール不能レベルで、行動障害も強度と判定される入所者たち。 精神科薬の量は、それだけでおなか一杯になるのではないか、というくらいで全国各地からやってきていました。 確かに、このような方達は誰がどう見ても「重度」の人達でしょう。 しかし、この「重度」の人達も、多くは環境を整え、捻じれた糸をほどいていくと、徐々に落ち着き、安定した生活を歩めるようになっていきました。 つまり、こういった人達も、本当に「重...

【No.1209】『言葉のない子と、明日を探したころ』を読んで

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今から16年前の2005年の12月。 私が大学を出て、福祉施設で働き始めた年の暮れにあたります。 新卒一年目はその激務に慣れるだけで精いっぱいで、休日は泥のように眠り続けていました。 ですから、書店に行く回数も少なかったんだと思います。 そのときの私が、この本を読んでいれば、きっと当事者である英司さんが子ども時代を振り返り、コメントするところに意識が向いていたことでしょう。 お母さんからしたら、我が子の言動の意味がわからず、まさに暗中模索、四苦八苦して子育てをされてきた当時の意味を、成長された英司さんがそのときの心のうちを丁寧に解説されています。 たぶん、駆け出しの施設職員だった私は、「自閉症の人はこのように世界を捉えているんだ」という理解を深めるための一冊になっていたと思います。 しかし今は2021年。 しかも、もとになった手記は、1982年に出版されたものです(1982年は私が生まれた年!)。 そのときは既に養護学校の高等部生になっていた英司さん。 ですから実際の子ども時代、行動が落ち着かず大変だった頃はさらに10年以上前になりますので、物語の舞台は1970年代です。 今から50年ほど前に、当然、今のような理解も、知識も、資源もない中、重度の自閉症の子の子育てを懸命に行い、そして働く大人として社会に送り出した親御さんの姿に、私の意識は向けられました。 この本には、お母様の姿勢には「子どもをよく見る」ということがどういうことなのか、気づかせてもらえると思います。 2000年を過ぎた頃より、自閉症、発達障害に関する理解啓発活動が盛んになりましたが、そういったことのほとんどが薄っぺらく、表面的な理解に終始しているのがわかります。 自閉症の特性、三つ組がどうだとか、視覚優位だとか、こだわりがどうだとか、そんなものは理解したことになりません。 英司さんのお母様は、英司さんの内面、内側の世界を知ろうとされていた。 そしてそこに気がついたとき、「じゃあ、そのままやらせてみよう」「別の代替手段を試してみよう」「ここに注目できるのなら、こんな活動をすれば、成長に繋がるのではないか」という子育てのアイディアを生み、実際に行動されました。 確かに自閉症の子のことが書かれているのに、自閉症の特性などの記述は出てきません。 つまり、お母様が自閉症児ではなく、英司さんという我が子として見て...