【No.1004】発達を滞らせているストッパーを外す
「教えずに育つ」が理想であり、私の仕事は、そこまで導く、後押しすることだと考えています。
知的障害の有無や障害、症状の重さに関わらず、どの子も、その内側に発達する力を持っている。
その発達する力が発揮できていないから、課題が生じてくるのだと思います。
ですから、私は発達相談において、「ストッパーを外す」という表現をよく使います。
発達障害の子ども達は、なんらかの要因によって、神経発達に滞りが生じています。
その滞りの理由を探し、そこから解放することが、私達支援者の仕事です。
よく相談で多いのが、「発達援助をやっているけれども、なかなか思うように発達していかない」というものです。
実際に訪問し、どのような育みをやっているか、拝見させていただくと、結構、目的とは違った動きをされている場合があります。
一見すると、発達を促すような動きをしているんだけれども、本来、刺激したい部分が刺激されていない。
これは、「どうして、その動きが発達に繋がるか?」という本質を捉えきれていない場合に起きるのだと思います。
また、行っている発達援助自体は問題ないけれども、子どもさんとの間に、ミスマッチが生じていることも。
一生懸命やろうとすればするほど、その動きにばかりに意識が向いてしまい、段々、子どもが見えなくなってしまっている。
発達援助で大事なのは、教わった動き、正しい動きをすることではなく、子どもを良く見ること。
子どもの発達は、とても速く、昨日求めていた刺激が、今日は違う、なんてこともよくあります。
「これは教わった方法だから」と言って、同じ動きを長期間やり続けたり、子どもが受け入れてくれるからといって、同じ動きばかり続けていたり。
「なんで、その動きを続けているんですか?」とお尋ねすると、言葉に詰まる親御さんもいらっしゃいます。
これは、「どのような変化が起きたら、卒業か?」という視点がないまま、始められた場合に起きるように感じます。
このように、やり方がズレていたり、子どものニーズとのズレがあったりすると、「やってはいるけれども、なかなか…」の状態になると思います。
さらに、この“ズレ”以外にも、思うような発達に繋がらない理由があります。
それが、私がよく説明で使う「ストッパー」というやつです。
発達には順序がありますので、その土台となる発達が育っていませんと、うまく積み上がっていきません。
また発達は生き物であり、神経も生きていますので、その育つ材料、条件がないと、伸びていかないのは当たり前です。
タンパク質や鉄、ビタミンなどの栄養を整えることはもちろんのこと、酸素がなければ、発達は生じません。
『からだ指導室あんじん』の栗本さんからは、「外呼吸と内呼吸」のどちらも大切と教わりました。
つまり、私達がイメージする呼吸と、血液⇔細胞間の酸素&二酸化炭素のやりとりです。
ここで、栄養からのアプローチで治す藤川医師と、身体アプローチで治す栗本さんの知見が繋がるのです。
息を吐いたり、吸ったりという呼吸を育てること、息が深く吸える身体に整えること。
血液を作るたんぱく質と鉄を十分に摂取することは、結果的に細胞内に酸素を行きわたらせることになる。
それは、神経発達が生じる条件を準備することになります。
ですから、「呼吸が育つと治っていく、発達のスピードが速くなる」という姿が見られるのだと思います。
あと筋肉も大事。
長くなるので、ここからはパパッと進みますが、脊椎動物ですから、背骨が育っていないのも、ストッパーになります。
もちろん、首の発達も重要です。
他には、恐怖麻痺反射、赤ちゃん時代の原始反射が統合されていないと、これも発達を滞らせます。
生き物としての土台である「快食快眠快便」が整わないと、感覚過敏に翻弄されていると、発達までエネルギーが回らない感じがあります。
運動発達のヌケも、ですね。
細かいところを挙げれば、もう少しありますが、だいたい主なストッパーはこんなところになります。
一人ひとりストッパーのかかり具合は異なりますので、1つずつ確認し、またできるだけ課題の根っこ深くから育てていく必要があります。
上記のような視点で、子どもさんの姿を改めて見てみると、今とは違ったやるべきことが、課題の糸口が掴めてくるかもしれません。
発達を滞らせているストッパーが外れると、その子の内側にある発達する力が躍動していきます。
そこまでくれば、あとは、子どもが何を学び、どう育っていくか、は本人が決めていきます。
「教えずに育つ」というのは、本人の発達する力が発揮できる状態まで育ったあと、主体的に育っていく状態だといえます。
主体的に育っていく子が、将来、自立する子であり、自立した人生を送っていく人になるのだと思います。
ですから、「生涯に渡る支援」では物理的にも、精神的にも、自立しないのは明らかです。
「教えずに育つ」状態は、子どもさんの理想だけではなく、親御さんにとっても理想だと考えています。
私が定期的に訪問し、「これをやってください」「あれをやってください」では、親御さんの自立につながりません。
そして何よりも、親御さんの主体性を奪うことになってしまいかねません。
日々、変化する我が子をしっかり見つめ、そこから我が子オリジナルの子育てを創り上げていく。
そのためには、親御さんも育つ必要がありますし、できれば、支援者から教わらずとも、自分で子どもを見て、試行錯誤しながら子育てをやっていけるくらいになることが望まれます。
その「教わらずに育つ」までのお手伝いも、私達支援者の仕事だと考えています。
知的障害の有無や障害、症状の重さに関わらず、どの子も、その内側に発達する力を持っている。
その発達する力が発揮できていないから、課題が生じてくるのだと思います。
ですから、私は発達相談において、「ストッパーを外す」という表現をよく使います。
発達障害の子ども達は、なんらかの要因によって、神経発達に滞りが生じています。
その滞りの理由を探し、そこから解放することが、私達支援者の仕事です。
よく相談で多いのが、「発達援助をやっているけれども、なかなか思うように発達していかない」というものです。
実際に訪問し、どのような育みをやっているか、拝見させていただくと、結構、目的とは違った動きをされている場合があります。
一見すると、発達を促すような動きをしているんだけれども、本来、刺激したい部分が刺激されていない。
これは、「どうして、その動きが発達に繋がるか?」という本質を捉えきれていない場合に起きるのだと思います。
また、行っている発達援助自体は問題ないけれども、子どもさんとの間に、ミスマッチが生じていることも。
一生懸命やろうとすればするほど、その動きにばかりに意識が向いてしまい、段々、子どもが見えなくなってしまっている。
発達援助で大事なのは、教わった動き、正しい動きをすることではなく、子どもを良く見ること。
子どもの発達は、とても速く、昨日求めていた刺激が、今日は違う、なんてこともよくあります。
「これは教わった方法だから」と言って、同じ動きを長期間やり続けたり、子どもが受け入れてくれるからといって、同じ動きばかり続けていたり。
「なんで、その動きを続けているんですか?」とお尋ねすると、言葉に詰まる親御さんもいらっしゃいます。
これは、「どのような変化が起きたら、卒業か?」という視点がないまま、始められた場合に起きるように感じます。
このように、やり方がズレていたり、子どものニーズとのズレがあったりすると、「やってはいるけれども、なかなか…」の状態になると思います。
さらに、この“ズレ”以外にも、思うような発達に繋がらない理由があります。
それが、私がよく説明で使う「ストッパー」というやつです。
発達には順序がありますので、その土台となる発達が育っていませんと、うまく積み上がっていきません。
また発達は生き物であり、神経も生きていますので、その育つ材料、条件がないと、伸びていかないのは当たり前です。
タンパク質や鉄、ビタミンなどの栄養を整えることはもちろんのこと、酸素がなければ、発達は生じません。
『からだ指導室あんじん』の栗本さんからは、「外呼吸と内呼吸」のどちらも大切と教わりました。
つまり、私達がイメージする呼吸と、血液⇔細胞間の酸素&二酸化炭素のやりとりです。
ここで、栄養からのアプローチで治す藤川医師と、身体アプローチで治す栗本さんの知見が繋がるのです。
息を吐いたり、吸ったりという呼吸を育てること、息が深く吸える身体に整えること。
血液を作るたんぱく質と鉄を十分に摂取することは、結果的に細胞内に酸素を行きわたらせることになる。
それは、神経発達が生じる条件を準備することになります。
ですから、「呼吸が育つと治っていく、発達のスピードが速くなる」という姿が見られるのだと思います。
あと筋肉も大事。
長くなるので、ここからはパパッと進みますが、脊椎動物ですから、背骨が育っていないのも、ストッパーになります。
もちろん、首の発達も重要です。
他には、恐怖麻痺反射、赤ちゃん時代の原始反射が統合されていないと、これも発達を滞らせます。
生き物としての土台である「快食快眠快便」が整わないと、感覚過敏に翻弄されていると、発達までエネルギーが回らない感じがあります。
運動発達のヌケも、ですね。
細かいところを挙げれば、もう少しありますが、だいたい主なストッパーはこんなところになります。
一人ひとりストッパーのかかり具合は異なりますので、1つずつ確認し、またできるだけ課題の根っこ深くから育てていく必要があります。
上記のような視点で、子どもさんの姿を改めて見てみると、今とは違ったやるべきことが、課題の糸口が掴めてくるかもしれません。
発達を滞らせているストッパーが外れると、その子の内側にある発達する力が躍動していきます。
そこまでくれば、あとは、子どもが何を学び、どう育っていくか、は本人が決めていきます。
「教えずに育つ」というのは、本人の発達する力が発揮できる状態まで育ったあと、主体的に育っていく状態だといえます。
主体的に育っていく子が、将来、自立する子であり、自立した人生を送っていく人になるのだと思います。
ですから、「生涯に渡る支援」では物理的にも、精神的にも、自立しないのは明らかです。
「教えずに育つ」状態は、子どもさんの理想だけではなく、親御さんにとっても理想だと考えています。
私が定期的に訪問し、「これをやってください」「あれをやってください」では、親御さんの自立につながりません。
そして何よりも、親御さんの主体性を奪うことになってしまいかねません。
日々、変化する我が子をしっかり見つめ、そこから我が子オリジナルの子育てを創り上げていく。
そのためには、親御さんも育つ必要がありますし、できれば、支援者から教わらずとも、自分で子どもを見て、試行錯誤しながら子育てをやっていけるくらいになることが望まれます。
その「教わらずに育つ」までのお手伝いも、私達支援者の仕事だと考えています。
コメント
コメントを投稿