何を訊いても、返ってくるのは「それが障害だから」

親御さんの心配事や質問に対し、「それが自閉症だから」「発達障害だから」と言う。
でも、これって答えになっていないと感じます。


「どうして、変更を受け入れられないんでしょうか?」
「それは自閉症だからです」
別に、親御さんは診断基準のクイズをしているのではないですね。


「言葉の発達が遅くて、まだ出ないんですが、どうすれば良いのでしょうか?」
「焦らず、お子さんの発達を温かく見守っていきましょう」
温かく見守るだけで言葉が出るのなら、親御さんも、先生も、社会のみんなも、喜んで温かく見守りますね。
嫌味な見方をすれば、日頃、「エビデンスガー」と言っている人間が温かさを発達要因にするのも矛盾していますし、言葉の遅れは親御さんの温かさが足りないからと言っているようにも聞こえます。
これって冷蔵庫マザーの考え方と同じじゃないですかね。


このような問答は、以前から親御さんと専門家の間で繰り返されており、平成最後の夏にもまだ続いているかと思うと、頭が痛いですし、そのやりとりで仕事がなり立つならおめでたい話だな、と思ってしまいます。
平成が始まった頃からずっと親御さんは、我が子についたラベルを知りたいのではなく、親としての心構え、精神論を聞きたいのではありません。
我が子に、どんな遅れや課題があり、どうすれば改善していくのかを知りたいのです。


自閉症も、発達障害も、遺伝性の障害ではありません。
もちろん、前の世代から遺伝する部分もありますが、それが100%でなければ、決定要因でもありません。
遺伝要因と環境要因の相互作用と言われています。
たとえ遺伝的要因を持っていたとしても、環境要因によって発症しなかったり、重症化しなかったりするということです。


これまたよく言われていることですが、「発達障害は生まれつきの障害だから治らない」というのも、おかしいと思いませんか。
生まれつきの障害だとしたら、遺伝要因100%なのでしょうか。
影響する環境というのは、受精から出産する瞬間までの限定的な環境ということなのでしょうか。
もしこの約10か月間のみの環境が重要だとしたら、「3歳から早期療育!」じゃあ、遅すぎるということになりませんかね。


というか、早期療育の意義すら怪しくなる。
早期療育だって、早くから介入することで、より良い発達と症状の軽度化を目指しているはずです。
というか、「発達障害は生まれつきの障害だから治りません」と言っている人間だって、環境側からの働きかけをすることに意義があると考えているから、療育だ、支援だ、とやるわけです。


「生まれつきの障害だから」と言いつつも、受精から出産までの期間の環境要因、環境的リスク要因については、まるで禁句のように口を閉ざし、否定する支援者たち。
それでいて、生まれる前の母子にはアプローチするわけではなく、生まれたあとになってから「早期療育が大事です」「支援が」「エビデンスのある方法が」とやり始める。
生まれつきの障害で、一生治らないんだったら、ほとんどの支援者はやることも、できることもないでしょうに。
治すのも、軽度化も、目指さないんだったら、何を目指しているの?
生涯にわたる雌鶏化??雌鶏を増やすこと??


「それが障害だから」という言葉は、「これ以上、訊くな」「これ以上、掘り下げるな」という不誠実な空気感が漂っているように感じます。
「それが障害だから」としか返ってこない相手に、これ以上、何も訊けなくなりますよね。
だから、親御さん達は専門家と呼ばれる人に相談するとモヤモヤする。
診断受けたあとに相談に行って、「それが自閉症です」って何にも答えていない。
「自閉症はわかったから、どうすれば発達、成長していくかを教えて」って訊いているのですから。


平成の次はまだわかりませんが、次の年号の時代は、支援者たちの言動の矛盾、論理が破綻している事実を多くの人に気づいていただき、こういった実生活に、明日につながらない問答がなくなることを願っています。
「どうして山に登るんですか?」に対し、「そこに山があるから」という答えにはロマンがありますが、「どうして、こちらの話が伝わらないんでしょうか?」に対し、「それが自閉症だから」という答えには不満しか出てきませんね。

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