水→泥→砂→土→木…そして本

出張前には、決まって過去の記録を読み返したり、書棚に並ぶ本を思いのままに手に取って読み返したりします。
何度も読んだ本なのに、その時々で新たな気づきがあります。
以前読んだときには、ぼやっとした理解だったのに、今なら手に取るようにわかる、という体験もよくあります。
本というのは、ただ単に文字と情報の集まりではなく、自分自身の成長を確認できるものであり、時間や距離を超え、著者と自分とを結びつけてもらうものだと感じています。


私は本を読む前、その著者の声を調べる癖があります。
ネット等で、実際の声を聞くと、その声で本を読みます。
そうすると、スラスラ読めますし、内容やその言葉の背景への想像が膨らむのです。
私にとって本とは、著者の息づかいを感じることであり、その表現に至った著者の経験、思考を疑似体験することだといえます。
本を通して、著者と対話できなければ、活きた実践へとつながらないからです。


幼いときから本に親しんで生きてきた私は、本が自分を成長させてくれる、という想いがあります。
特に、この仕事に関しては、師匠と呼べる人と出会うことなく、独立まで至ったので、すべての本が私の師匠という感じです。
本は人としても、仕事人としても成長させてくれるものだと考えています。
ですから、日頃、出会う若者たちには、本を読むことを勧めますし、本が読める、また味わえるくらいまで発達、成長することが大事だと考えています。


ある支援学校に通っていた若者は、文字の勉強をし直し、簡単な本が読めるくらいまでになると、自分で本を読むようになり、次々に視野を広げていきました。
ある程度の年齢になると、親が教えられること、また私のような人間が教えられることは薄っぺらくなるものです。
でも、本は地平線に広がる海のように、知識、知恵、考える機会を与えてくれます。


進化の過程を考えると、赤ちゃん、幼児は水と戯れることで魚類の発達段階をクリアするのだと考えています。
この年代の子はもちろんのこと、この発達段階にヌケがある子には、水が大事な発達刺激になります。
また両生類の発達段階の子には、泥が大事な発達刺激になり、爬虫類の発達段階の子には、砂や土、大地が発達刺激になる。
そして、哺乳類の発達段階の子には、草木が大事な発達刺激になる。
最後にヒトの発達段階まできた子には…。
私は、それこそ、絵や文字であり、本だと思っています。


ヒトは、水から泥、泥から砂や土、砂や土から草木、草木から絵や文字へと戯れることを通して、発達していくのだと思います。
人間になるまでの発達の刺激、パートナーは、自然のはずです。
そうやって700万年もの間、進化と発達を繰り返してきたのですから。
私達が行っている発達援助も、自然と共に歩む必要があると思います。


発達障害は現代病とも言えるかもしれません。
ヒトが自然から離れれば離れる程、遠くへ行こうとすればするほど、発達のヌケが埋まる機会は少なくなっていき、そのヌケが際立ってくる。
ヒトとしての土台の部分に、発達の遅れやヌケがあることの多いのが発達障害と呼ばれている方達です。
ですから、どういった環境で、どういった刺激と共に進化、発達してきたかを想像する視点が大事だと思います。


以前、相談に乗っていた方は、近くにある砂浜を素足で歩いているうちに心身共に発達が見られた、ということもありました。
砂浜には、ライセンスも、エビデンスも必要はなく、あるのはただ私達のご先祖様達が歩まれてきた道があるだけです。
発達を促す必要な刺激の中に、こういった自然という視点も入れられると良いかもしれません。

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