もう一度伝えたい『感覚過敏は治りますか?』(花風社)の意義
当地の書店で並ぶようになったら、再び書こうと思っていました。
みなさま、もうお読みになられたでしょうか。
今月、出版された花風社さんの新刊『感覚過敏は治りますか?』のことです。
新刊を読んですぐに書いたブログには、時計の針を進める本と記しました。
それくらい画期的で、また今いる人だけではなく、これから生まれてくる子ども達も含め、多くの人の苦しみを解決すると同時に、その人達の可能性を広げる本だと感じたからです。
素晴らしい知見をお持ちのプロフェッショナルだと感じた方の場合、その著書だけではなく、必ず参考文献も読むようにしています。
今回の新刊にも、著者の栗本さんが学ばれた参考文献の数々が紹介されていました。
この『感覚過敏は治りますか?』は、幅広い知識と栗本さんの長年積み重ねてこられた経験が合わさり、生まれたものだとわかります。
参考文献を読めば、読むほど、私達読者に分かりやすいようにさらっと述べられている言葉の持つ深みを感じます。
改めて、この本の持つ素晴らしさと、時が経つにつれ、ますますここに記されている知見の価値と意義が高められていく未来を感じています。
私には、この本を読まない理由が見当たりません。
全国どこでも購入することができるのに、ギョーカイのように講習を受けないと手に入れられないような本ではないのに、どうして読まずにいられるでしょうか。
私は、発達援助という仕事を続けている限り、この本を何度も開き、何度も読み続けると思います。
「治る」という言葉に拒否反応がある人もいることはわかります。
また神経発達の障害である発達障害を持つ人が、刺激によってどんどん発達していき、あと一歩で診断基準も満たさなくなるし、本人の感じる困難さが消えていく段階までくると、ピタッと発達が止まる(だから、治らない)と、もはや信仰に近い考えを持っている人がいるのもわかります。
治りたくないし、我が子を治したくないと思うのは個人の自由。
発達するけれども、治る手前に限界があると妄想するのも個人の自由。
でも、治る治らないを抜きにしても、自分の、我が子の神経、感覚を育てたい、神経や感覚が育つと思わない人はいないと思うのです。
花風社さんが私達に届けてくれるものは『育ち』です。
どのようなことを確認し、どのようなことを育てていけば良いのか。
そのアイディアと知見を、全国にいる素晴らしい実践家、ご本人、ご家族の言葉で届けてくれます。
現在の特別支援の世界に溢れている療育のほとんどが対処療法であり、その人を育てるものではないのです。
ただただ知識を与えるだけのもの。
形式的な社会での立ち振る舞い、マニュアルは一つの知識であり、情報です。
人として生きていくために必要なヒトの土台を育てるところまで至らないのです。
刺激に混乱し、苦しむから環境側をコントロールしよう。
失敗したり、うまくいっていなかったりする状況を本人が、または家族がネガティブに思わないように、思われないように啓発し、社会に理解してもらおう。
これらは一時的に必要な状況、場面もありますが、そこに本人の育ちはないのです。
育ちの視点と発達がなければ、生涯苦しみや困難はなくなりません。
それで良いと思っているのは、自分のそばを離れていってもらいたくない人と、支援し続けたい人だけです。
支援者の立場から言えば、たとえ治らないと思っていても、自分の腕を磨く行為を止めてはいけないと思います。
決して「一生涯の支援」などとは考えてはなりません。
何故なら、支援し続ける、それで良しとするとは、腕を上げる努力を放棄することと同じだからです。
発達し続ける先に「治る」があるように、腕を上げ続けた先に「治す」があるはずです。
腕が上がったのに治せない、関わっている人が治っていかないとしたら、それは見せるための支援のバリエーションが増えただけ。
腕が上がれば、本人がラクになる、発達できる後押しが的確にできるようになる。
しかも、その後押しは洗練されていき、よりシンプルなものになるはずです。
ずっと支援し続けるとしたら、そこに腕、専門性への問いは入らなくなります。
うまい、ヘタに関わらず、ずっと関わってくれる人が重宝される世界。
そこには、本人の願いがあるのでしょうか。
関わり続けること自体に価値があるならば、支援者は繋ぎ止めること、また本人のニーズよりも、どう見せるかに意識が向いていくことになる。
以前、私が関わっていた子の親御さんに、はっきり言われたことがあります。
「私は、治るとは思っていない」と。
でも、その子の親御さんは、こう言いました。
「治るとは思わないけれど、少しでも良くなるように育てたい」
私は、意見の違う人に対して、自分の考えを押しつけようとは思っていません。
でも、特に子どもさんと関わる人達には、「育てる」という視点を持ってほしいと願っています。
日々、大変で、落ち着かず、対処、対処の繰り返し、ということもあると思います。
こういう私も、施設で働いていたときは、日々、対処するだけで精一杯でした。
対処と比べたら、育てるという行為はほとんどできなかったのが事実です。
だからこそ、今、私は「育てる」を中心に置く支援者でいたいと思うのです。
そういった私に、多くの学びと刺激を与えてくれるのが、花風社さんの本たちであり、新刊の『感覚過敏は治りますか?』です。
敢えて、治る治らないは抜きにして、多くの人に読んでいただきたいと思います。
そして、一人でも多くの人達の生活、人生の中に「育つ」「育てる」が芽生え、馴染んでいくことを願っています。
それが本人の可能性を広げ、幸せと自由のある人生へとつながっていく近道だから。
みなさま、もうお読みになられたでしょうか。
今月、出版された花風社さんの新刊『感覚過敏は治りますか?』のことです。
新刊を読んですぐに書いたブログには、時計の針を進める本と記しました。
それくらい画期的で、また今いる人だけではなく、これから生まれてくる子ども達も含め、多くの人の苦しみを解決すると同時に、その人達の可能性を広げる本だと感じたからです。
素晴らしい知見をお持ちのプロフェッショナルだと感じた方の場合、その著書だけではなく、必ず参考文献も読むようにしています。
今回の新刊にも、著者の栗本さんが学ばれた参考文献の数々が紹介されていました。
この『感覚過敏は治りますか?』は、幅広い知識と栗本さんの長年積み重ねてこられた経験が合わさり、生まれたものだとわかります。
参考文献を読めば、読むほど、私達読者に分かりやすいようにさらっと述べられている言葉の持つ深みを感じます。
改めて、この本の持つ素晴らしさと、時が経つにつれ、ますますここに記されている知見の価値と意義が高められていく未来を感じています。
私には、この本を読まない理由が見当たりません。
全国どこでも購入することができるのに、ギョーカイのように講習を受けないと手に入れられないような本ではないのに、どうして読まずにいられるでしょうか。
私は、発達援助という仕事を続けている限り、この本を何度も開き、何度も読み続けると思います。
「治る」という言葉に拒否反応がある人もいることはわかります。
また神経発達の障害である発達障害を持つ人が、刺激によってどんどん発達していき、あと一歩で診断基準も満たさなくなるし、本人の感じる困難さが消えていく段階までくると、ピタッと発達が止まる(だから、治らない)と、もはや信仰に近い考えを持っている人がいるのもわかります。
治りたくないし、我が子を治したくないと思うのは個人の自由。
発達するけれども、治る手前に限界があると妄想するのも個人の自由。
でも、治る治らないを抜きにしても、自分の、我が子の神経、感覚を育てたい、神経や感覚が育つと思わない人はいないと思うのです。
花風社さんが私達に届けてくれるものは『育ち』です。
どのようなことを確認し、どのようなことを育てていけば良いのか。
そのアイディアと知見を、全国にいる素晴らしい実践家、ご本人、ご家族の言葉で届けてくれます。
現在の特別支援の世界に溢れている療育のほとんどが対処療法であり、その人を育てるものではないのです。
ただただ知識を与えるだけのもの。
形式的な社会での立ち振る舞い、マニュアルは一つの知識であり、情報です。
人として生きていくために必要なヒトの土台を育てるところまで至らないのです。
刺激に混乱し、苦しむから環境側をコントロールしよう。
失敗したり、うまくいっていなかったりする状況を本人が、または家族がネガティブに思わないように、思われないように啓発し、社会に理解してもらおう。
これらは一時的に必要な状況、場面もありますが、そこに本人の育ちはないのです。
育ちの視点と発達がなければ、生涯苦しみや困難はなくなりません。
それで良いと思っているのは、自分のそばを離れていってもらいたくない人と、支援し続けたい人だけです。
支援者の立場から言えば、たとえ治らないと思っていても、自分の腕を磨く行為を止めてはいけないと思います。
決して「一生涯の支援」などとは考えてはなりません。
何故なら、支援し続ける、それで良しとするとは、腕を上げる努力を放棄することと同じだからです。
発達し続ける先に「治る」があるように、腕を上げ続けた先に「治す」があるはずです。
腕が上がったのに治せない、関わっている人が治っていかないとしたら、それは見せるための支援のバリエーションが増えただけ。
腕が上がれば、本人がラクになる、発達できる後押しが的確にできるようになる。
しかも、その後押しは洗練されていき、よりシンプルなものになるはずです。
ずっと支援し続けるとしたら、そこに腕、専門性への問いは入らなくなります。
うまい、ヘタに関わらず、ずっと関わってくれる人が重宝される世界。
そこには、本人の願いがあるのでしょうか。
関わり続けること自体に価値があるならば、支援者は繋ぎ止めること、また本人のニーズよりも、どう見せるかに意識が向いていくことになる。
以前、私が関わっていた子の親御さんに、はっきり言われたことがあります。
「私は、治るとは思っていない」と。
でも、その子の親御さんは、こう言いました。
「治るとは思わないけれど、少しでも良くなるように育てたい」
私は、意見の違う人に対して、自分の考えを押しつけようとは思っていません。
でも、特に子どもさんと関わる人達には、「育てる」という視点を持ってほしいと願っています。
日々、大変で、落ち着かず、対処、対処の繰り返し、ということもあると思います。
こういう私も、施設で働いていたときは、日々、対処するだけで精一杯でした。
対処と比べたら、育てるという行為はほとんどできなかったのが事実です。
だからこそ、今、私は「育てる」を中心に置く支援者でいたいと思うのです。
そういった私に、多くの学びと刺激を与えてくれるのが、花風社さんの本たちであり、新刊の『感覚過敏は治りますか?』です。
敢えて、治る治らないは抜きにして、多くの人に読んでいただきたいと思います。
そして、一人でも多くの人達の生活、人生の中に「育つ」「育てる」が芽生え、馴染んでいくことを願っています。
それが本人の可能性を広げ、幸せと自由のある人生へとつながっていく近道だから。
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