その答えは、特別支援の中にあるのか?

始めた当初は、本人や親御さんの相談のみを想定していたのですが、現役の教員や支援者、相談機関の人達からもメールが届きます。
中には、実際にお会いしてレクチャーしてほしい、といったお話もあります。


支援者側の人達との交流が増えていきますと、私が若いときの悩みと重なることがあります。
自分の支援がしっくりしていない感じがする。
自分がしている支援は、本当に本人たちのためになってるのだろうかという迷いがある。
その答えを必死に探そうとするが、今いる職場にも、特別支援の世界にも見当たらない。
昨日のブログで、『迷子になっている特別支援』と表現しましたが、その中にいる想いのある支援者たちも迷子になっているような気がします。
私も20代の頃は、迷っている自分を打ち消すかのごとく、あらゆる療育方法や研究、新しい知識を得ようと、いろんな人や場所を訪ねていました。


私もたくさん悩み、迷ったからこそ、言えることがあります。
それは特別支援の中に答えはないこと。
こんな言葉を伝えると、みなさんは驚かれます。


多くの人達は、自分がより良い支援ができない理由を「勉強不足」「専門性の未熟さ」と捉えます。
確かに、この仕事は生身の人間と真剣に向き合う仕事ですから、幅広い知識と深い技術が必要です。
でも、いくら特別支援の知識や技能を増やしていったとしても、その人の発達を後押しすることはできません。
何故なら、例えると、発達は木の幹であり、特別支援は枝葉だから。
枝葉だけを育てようとしても難しい。
枝葉に問題があるのなら、その幹から観ていき、治していかないと、より良い枝葉には育っていかないのです。


今の特別支援は、知識偏重型で、ある程度の知能を持った人にしか使えないものばかりです。
見方によっては、支援する側がかっこよく見える作りになっています。
つまり、特別支援をしたい人のための特別支援。
ちゃんと障害を持った人がいてくれて、それを特別支援する俺、みたいな。
これまた私がよく言う言葉ですが、「特別支援がしたい人は、治せない人」ということ。
障害を持った人前提でしか支援していない人が、障害以外にアプローチはできないのです。


発達障害とは、枝葉の違いを指していっている言葉だと思います。
花が咲かない枝があるのなら、それは幹から枝が伸びていく過程を観る必要がありますし、幹がしっかり育っているかを確認する必要があります。
そして枝葉の違いの根っこは、まさしく幹にあり、根にある場合が多い。
ですから、いくら枝葉をいじくりまわしても、その木の持つ花を咲かすことができないのです。


いつから特別支援は、見える部分、見せる部分ばかりに気を取られるようになったのでしょうか。
700万年のヒトの進化の歩みをみれば、たかだか数十年の特別支援、専門知識が根本から逆転させるような何かができるはずもありません。
特別支援があれば、専門性があれば、と求めますが、大前提であるヒトの発達を抜かしては何の効果もありません。
子ども達の発達を後押しし、治している人は、ヒトの発達を大切にしている人です。


自閉症の人達を別の惑星から来た人かのように表現される時期がありました(本人がわかりやすく伝えるための表現で使っている場合ではなく)。
でも、自閉症の人は異星人ではなく、同じヒト。
違いがあるとすれば、発達過程の中にヌケや遅れがあるということ。
どうも支援者の中には、ヒトではなく、障害者の支援がしたい人がいるように感じます。
「私、人好き合いが苦手で」なんて言っている人が、障害者支援を望んでやっていたりする。
この時点で向いてないし、自己治療のために弱者だと捉えている障害を持った人達を使っているのだから辞めた方がいい、と私は思います。


ヒトの発達という視点を抜かしては、支援することも、治すこともできません。
今の特別支援の中で、ヒトの発達を大事にしている方法、支援者はどれくらいいるのでしょうか。
私には、障害好きによる見せるための特別支援ショーに見えることも正直あるのです。
だからこそ、心ある支援者、先生たちには、人を育てるプロになってもらいたいと思うので、特別支援の中だけではない世界に目を向け、ヒトを核に学んでいってほしいと考えています。

コメント

  1. 4月27日にコメントさせてもらった者です(>_<)
    また、お邪魔してすみません。。

    相変わらず、次男の「知的障害の壁」にぶつかっている日々です(´-`)

    知的障害における、木の幹、木の根…とは何なのでしょうか(>_<)?

    知能とはまた別で、、心は成長していくと信じ、日々奮闘する毎日ですが、、なかなか難しいですね〜(^^;)

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    返信
    1. いらっしゃいませ。
      継続してブログを読んでいただいているようで、ありがとうございます。

      知的障害における木の幹、木の根に関するご質問ですね。
      私がイメージしている木の幹、根とは、動物として見たヒトに共通する発達のことです。
      具体的には、身体、内臓、感覚、呼吸、動きなどです。

      息子さんは知的障害をお持ちということですね。
      知的障害にも、大きく分けて2つの成り立ちが考えられます。
      土台である幹の部分、根の部分に問題があり、結果として枝葉が伸びていかない。
      または、土台である幹、根の部分に問題はないが、発達のヌケや遅れが見られるため、結果として枝葉が伸びていかない。
      この2つです。

      発達障害の方の中で、知的障害も併せ持っている人もいますが、特に言語獲得する前の発達段階を育てなおすと、知的の面でも伸びていかれることも多々あります。
      これは、もともと認知の面の問題ではなく、発達過程の中でヌケや遅れがあったため、うまく知的活動ができるくらいまで準備が整っていなかった、3段構造(①爬虫類の脳→②哺乳類の脳→③人間の脳)になっている脳の①②に課題があり、③がうまく育たなかった、といえます。

      一方で、重い知的障害をお持ちの方は、①②の脳が発達すること自体に課題や困難があることもあります。
      たとえば、目と手を協調させて動かすことが困難であったり、人間特有の指の動きができなかったり、そもそも大きな身体の動き、身体の器官の育ちに困難性があったりします。
      こうなると、知的活動を行い、習得していくことが難しくなります。

      では、知的障害を持っていて、木の幹、木の根自体に問題や困難がある人は、何もできることはないのか、といったら、そうではないと思います。
      木の幹、木の根の育ちに課題があるのなら、人一番丁寧に水をやり、土を耕していくことだと思います。
      脳内にも余裕がない場合がありますから、身体をラクにし、しっかり育てるような状態に整えていくことも大事です。
      そして、ヒトとして土台となる部分の課題を一つずつクリアしていく、育てていきます。
      先ほど述べた身体、内臓、感覚、呼吸、動きなどにある課題です。

      知的な遅れ、認知面での遅れには、土台である幹が十分に育っていないからか、そもそも幹の育ち自体に課題、困難性があるか、が背景として考えられると思います。

      ちなみに、私が関わらせてもらった方の中に、知的障害を持っていますが、一般就労している人がいます。
      この方は、小学校入学時に重度判定でした。
      しかし、学校を卒業するまでの間、土台となる部分を育てることもやりましたし、小学校4年生くらいの学力をつけることも行いました。

      知的障害があると、何か先がみえない感じもしますが、「小学校4年生の学力をつけるには?」という目標にすると、やれることが見えてくることもあるかと思います。
      私は、知的障害をお持ちのお子さんの親御さんには、いつも『小学校4年生の学力』を目標に、とお伝えています。

      削除
    2. ありがとうございます‼️
      原始反射的なことへの、丁寧な働きかけ…といったことでしょうか。。
      次男は知的障害オンリーの診断ですし、親から見ても、そう感じますので、、やはり幹、根の部分なんだと思います。

      次男は認知は中度(部分によっては重度)ですが、知能のわりによく喋ります 笑
      もちろん、一方的な会話を投げかけてくる事も多いですが、、人が大好きな可愛い子です。次男をみていると、、この子の知能を伸ばしたい…というのが親のエゴのような気もして、、(>_<) 親というのは、複雑なものですね。

      四年生ですかぁ(>_<) 頑張はなければてす、、。
      いつも、丁寧にお返事くださり、ありがとうございます‼️

      削除
    3. 息子さんの「知能を伸ばしたい」というのは、親御さんのエゴだと思いません。
      少しでも理解できること、一人でできることが増え、成長していってほしいと願うのは、自然な親心だと思います。
      知能面で発達できれば、息子さん自身もより良く学べ、生活しやすくなりますので。
      「他人からよく見られたい」「知能検査の結果が上がるのを見たい」などの想いからでしたら親御さんのエゴと捉えられても仕方ないと思いますが、文面からはそのような雰囲気を感じません。

      「障害を持った人を頑張らせてはならない」
      「障害を持った人はありのままでいい」
      「障害を持った人に多くを望んではならない」
      そんな言葉、雰囲気に溢れている特別支援の世界ですが、純粋に我が子の成長を願い、認知、知能の面で伸びて欲しいと願うのは自然な感情だと思いますし、その気持ちがなければ、子ども達の伸びる機会はどんどん失われていくと思います。
      ですから、親のエゴではなく、大事な発達援助の一歩だと思います。

      息子さんは「よくしゃべる」ということでしたので、伸びていく可能性、教科学習ができる可能性があると思いました。
      しゃべるのは、人間特有の行動であり、人間脳が働いている証拠でもあります。
      もし本当に、脳の機能的に重大な問題があるのでしたら、人間の脳が司る言語発達がまったくみられないはずです。
      つまり、息子さんには人間脳が育つ可能性があるということです。

      原始反射もそうですが、たとえば、息子さんが小学校4年生の教室で勉強している姿を思い浮かべ、必要な部分を伸ばしていくようにされると良いと思います。
      一定の時間、持続して席に座っている力。
      黒板を見たり、ノートを見たりする力。
      先生の話に注目する力。
      話を理解する力。
      ノートに字を書く力。
      黒板の字を写す力。
      など、見る、聴く、手足を動かす、姿勢を保つ力を養っていくことが重要です。

      また勉強に必要な人間脳の部分を育てる方法としては、模倣や推測、共感の要素が入った遊びや活動をされると良いと思います。
      すべて学習、人間関係を築く土台になります。
      他の動物には見られないヒト特有の活動には、人間脳を刺激し、育てる作用がありますので、そういった視点で息子さんを見られると、何か気づかれることもあるかと思います。

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    1. ありがとうございます。
      涙がでます(>_<)(>_<)

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