支援者なんてクソくらい!

内から変えることができた先輩たちは、早々と天国へ旅立ってしまった。
外から変えると言っていた先輩たちは、この地を去っていってしまった。
もうみんな、いない。

外では勇ましいことを言っていたのに、顔を合わせると、持っていた刀をスッと鞘に収め、何事もなかったように握手を交わす。
そして最後まで戦う姿を見ることはなかった。

「俺たちを見ていろ。後についてこい。だから、若いうちにたくさん勉強しろ」
気が付いたら、そう言っていた先輩たちは、いなくなっていた。
こういったこともあってか、私は支援者という人間を心から信じることはできない。

私は、若い人達にこんな話をすることがある。
「障害がある人だって、ない人だって、金持ちの人だって、貧乏の人だって、高学歴の人だって、中卒の人だって、100年後には、みんな灰」
「傲慢な医者、上から目線の支援者、何でも分かっているような態度の相談員だって同じこと」
「どうせ灰になるんだったら、見事な灰になってやろうと私は思っている」
「一度、この世に生を受けたんだから、その命をしっかり燃やし尽くそうじゃないか」と。

今、やっている仕事も、いつ辞めてもいいと思っている。
今日が最後の日になろうとも、後悔がないように1つ1つに全力を注いでいる。
開業当初より、早々と潰されるだろうと思っていたから。
4年目も約半分までこれたのだから、今日一日も儲けもん。

「何故、潰されると分かっていても、この地で起業するのか?」と、先輩支援者たちに裏切られた思いのあった親御さんが、私に尋ねてくれた。
私の答えは、とてもシンプルなもの。
「戦わずして逃げるのが嫌だったから」

どうせ負けるのなら、しっかり燃えて、しっかり灰になろうと思う。
その灰が、土に還り、いずれその土の上に新しい芽が出てくるかもしれないから。
もしその可能性があるのなら、喜んで灰になる。

各地で活躍し、移り住んだ土地に住む子ども達、親御さん達の希望、支えとなっている先輩たちの活動に尊敬の念を抱く。
だけれども、私は支援者としては1ミリも尊敬していないし、信じていない。
時計を止めたどころか、後戻りしているこの地の現状に無関係とは言わせない。
にらまれたって、悪口を言われたって、妨害されたって、あらぬ噂を立てられたって、別に命が取られるわけではないでしょ。

支援者という仕事ができなくなったとしても、人生が終わるわけではない。
自分の資質を活かす方法、社会貢献の方法は、支援者という仕事を通さなくたって道はある。
結局、先輩たちは支援者という立場を守ったのだと私は思っている。
本当に守るべきものは、この地に住む、この地に生まれてくる子ども達の未来だったはず。

「支援者なんてクソくらい!」
こう思いながら、今日一日も、一人の人の成長、未来に関わらせてもらっていることを感謝する。

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