研修で学んだことを形にする前に、することがあるんじゃないの?
うんうん、わかります。
すぐにやりたいですよね、せっかく研修で学んできたんですから。
特に実践を大切にしている人は、研修を目や耳で聴きながら、頭の中ではすでに自分が接している人の支援を思い浮かべてますもん。
私もそうでした。
研修の何が辛いかって言ったら、この連想を制御すること。
「あの人にはこんなことが…」などと、支援の足し算、引き算、掛け算、割り算を始めちゃうと、その間の研修内容がすっぽり落ちることもありましたので。
でもね、このように早く実践したくてウズウズしてても、帰ってからすぐにとか、夏休み中にガッツリ変えちゃってとか、は止めた方が良いと思うんです。
施設で働いていた頃、2学期の始業式が終わって子ども達が帰ってくると、何だかそわそわしてるんですよ。
で、こう思うわけです。
「夏休みの間に、触発されてきたな」って。
いや、新しい知識や技能、アイディアを取り入れて、より良い教育をしてもらうのは大歓迎なんですよ。
だけれど、1学期の支援に足し算、引き算じゃなくて、ポンと「私がどこどこに行って研修してきました系」支援が現れるんです。
まあ、1学期の支援はそのままで、「研修してきました系」が加わるのはいいんですが、最悪なのが1学期の支援を無くしちゃって、替わりに「研修してきました系」にしちゃうやつ。
「おいおい、1学期の支援は何だったのよ」ってツッコミたくなるやつですね。
あの~、学校はシステム上、夏休みという期間を挟みまして、“新”学期なんて言われますが、子ども達には連続性があるんですよ。
1学期に教えてきたことがまだ見える形の成果として出ていないかもしれませんが、子どもの中では学びが積み上がっている途中ってこともありませんかね。
もう少し継続していればできていたかもしれないのに、スパッと変えちゃってモッタイナイ。
成長のタイミングと、研修のタイミングは必ずしも一致しているわけではありませんので。
「1学期で成果が出なくて~」
「こっちの(私が学んできた最新の)支援の方がより良いと思うんで~」
なんて言ってましたが、4ヶ月間もかけて成長の糸口すら感じられないのをやり続けていた人が、夏休み中、ちょっと研修に行ったからって急激にウデが上がるとは思えないですがね~。
どんどん新しい支援を取り入れて変えていく人を「熱心な人」「勉強家」「柔軟な人」なんて言う人もいますが、私には一貫性のない失礼な人にしか見えませんね。
一貫性のないは、そのままの意味で、失礼なっていうのは、子どもと親御さんに対して。
だって、そうでしょ。
夏休み中にガラッと変えるってことは、夏休み中の“成長”が計算に入ってない証拠でしょ。
「夏休みだからできる経験を」と言って頑張っている親御さん、たくさんいますよ。
本人も宿題や勉強を頑張ったり、お手伝いをしたり、たくさん遊んだり、祖父母の家に行ったり、地域のお祭りに参加したりして、たくさん刺激を受けていますよ。
児童デイや学童、習い事、サマーキャンプなどのスタッフさんだって、学校とは違った学び、成長の機会を提供してくれていますね。
夏休み中だからと言って、成長もお休みじゃないんです。
子ども達は成長を続けているのですから、この成長をまず観ようよって思います。
それからでしょ、ガラッと支援を変えるにしても。
研修に行くたびに、子どもの支援が変える人がいました。
その人に言いましたよ、さすがに、「子ども達はモルモットじゃないんだ」って。
支援者の研修結果を確かめるために、子ども達がいるわけじゃないんです。
夏休みが終わったら、子ども達の成長を観るところから始めましょうよ。
そこからでも遅くないはず。
そして、もし夏休み中に変える必要があるのなら、2学期が始まる前に伝えようよ、本人に「ここが変わるよ」って。
2学期が始まったら、コミュニケーションの形態が、教室のルールが変わってたら、そりゃあ、驚きますよ。
昨日も書きましたが、新しいことを学ぶのは大事ですし、人の成長、生活、未来に関わる人間にとって日々、研鑽を積んでいくのは息を吸うようなものです。
ですが、継続性やつながりを絶ったり、離れたりする支援のあり方は良くないと思います。
新しいアイディアは、子どもたちの持つ継続性の中で足したり、引いたり、掛けたりするもの。
今まで積み上げてきたもの、支援してきたもの、本人の成長段階、課題、特性のどこかしらとつながっていなければいけませんし、つながりのない支援はいくら最新の知識、技能であっても、子どもの中に根付いてはいかない“異物”のままでしょう。
すぐにやりたいですよね、せっかく研修で学んできたんですから。
特に実践を大切にしている人は、研修を目や耳で聴きながら、頭の中ではすでに自分が接している人の支援を思い浮かべてますもん。
私もそうでした。
研修の何が辛いかって言ったら、この連想を制御すること。
「あの人にはこんなことが…」などと、支援の足し算、引き算、掛け算、割り算を始めちゃうと、その間の研修内容がすっぽり落ちることもありましたので。
でもね、このように早く実践したくてウズウズしてても、帰ってからすぐにとか、夏休み中にガッツリ変えちゃってとか、は止めた方が良いと思うんです。
施設で働いていた頃、2学期の始業式が終わって子ども達が帰ってくると、何だかそわそわしてるんですよ。
で、こう思うわけです。
「夏休みの間に、触発されてきたな」って。
いや、新しい知識や技能、アイディアを取り入れて、より良い教育をしてもらうのは大歓迎なんですよ。
だけれど、1学期の支援に足し算、引き算じゃなくて、ポンと「私がどこどこに行って研修してきました系」支援が現れるんです。
まあ、1学期の支援はそのままで、「研修してきました系」が加わるのはいいんですが、最悪なのが1学期の支援を無くしちゃって、替わりに「研修してきました系」にしちゃうやつ。
「おいおい、1学期の支援は何だったのよ」ってツッコミたくなるやつですね。
あの~、学校はシステム上、夏休みという期間を挟みまして、“新”学期なんて言われますが、子ども達には連続性があるんですよ。
1学期に教えてきたことがまだ見える形の成果として出ていないかもしれませんが、子どもの中では学びが積み上がっている途中ってこともありませんかね。
もう少し継続していればできていたかもしれないのに、スパッと変えちゃってモッタイナイ。
成長のタイミングと、研修のタイミングは必ずしも一致しているわけではありませんので。
「1学期で成果が出なくて~」
「こっちの(私が学んできた最新の)支援の方がより良いと思うんで~」
なんて言ってましたが、4ヶ月間もかけて成長の糸口すら感じられないのをやり続けていた人が、夏休み中、ちょっと研修に行ったからって急激にウデが上がるとは思えないですがね~。
どんどん新しい支援を取り入れて変えていく人を「熱心な人」「勉強家」「柔軟な人」なんて言う人もいますが、私には一貫性のない失礼な人にしか見えませんね。
一貫性のないは、そのままの意味で、失礼なっていうのは、子どもと親御さんに対して。
だって、そうでしょ。
夏休み中にガラッと変えるってことは、夏休み中の“成長”が計算に入ってない証拠でしょ。
「夏休みだからできる経験を」と言って頑張っている親御さん、たくさんいますよ。
本人も宿題や勉強を頑張ったり、お手伝いをしたり、たくさん遊んだり、祖父母の家に行ったり、地域のお祭りに参加したりして、たくさん刺激を受けていますよ。
児童デイや学童、習い事、サマーキャンプなどのスタッフさんだって、学校とは違った学び、成長の機会を提供してくれていますね。
夏休み中だからと言って、成長もお休みじゃないんです。
子ども達は成長を続けているのですから、この成長をまず観ようよって思います。
それからでしょ、ガラッと支援を変えるにしても。
研修に行くたびに、子どもの支援が変える人がいました。
その人に言いましたよ、さすがに、「子ども達はモルモットじゃないんだ」って。
支援者の研修結果を確かめるために、子ども達がいるわけじゃないんです。
夏休みが終わったら、子ども達の成長を観るところから始めましょうよ。
そこからでも遅くないはず。
そして、もし夏休み中に変える必要があるのなら、2学期が始まる前に伝えようよ、本人に「ここが変わるよ」って。
2学期が始まったら、コミュニケーションの形態が、教室のルールが変わってたら、そりゃあ、驚きますよ。
昨日も書きましたが、新しいことを学ぶのは大事ですし、人の成長、生活、未来に関わる人間にとって日々、研鑽を積んでいくのは息を吸うようなものです。
ですが、継続性やつながりを絶ったり、離れたりする支援のあり方は良くないと思います。
新しいアイディアは、子どもたちの持つ継続性の中で足したり、引いたり、掛けたりするもの。
今まで積み上げてきたもの、支援してきたもの、本人の成長段階、課題、特性のどこかしらとつながっていなければいけませんし、つながりのない支援はいくら最新の知識、技能であっても、子どもの中に根付いてはいかない“異物”のままでしょう。
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