療育を選ぶ権利

子どもは「夏休み」と言いますが、ギョーカイ的には「書き入れ時」と言います(ブ)
研修費を持った人がお客さんの中心ですから。
フツーの週末とは違って、数日間で、しかも高額設定ができます。

受講する側も、ナントカ療法を教わるだけなので、高額の方が良いんですね。
えっ、意味が分からない?
つまり、ナントカ療法を教わっただけでは自己満足にすぎないんですね。
自分が関わっている人の問題が解決したり、ポジティブな変化が見られたりしたら、ナントカ療法の研修を受けた価値が出ます。
ということは、自分が受ける研修が意味のあるものか、効果があるものかは、自分の場所に戻ってから、しかも実際の結果が見えてからしか分かりようがありません。
だから、高額の方が「自分はすごい研修を受けている」感がより味わえて良いんですね。

本当に価値のあるもの、本物って、研修を受けなければできない療法のことを言うんじゃないと思うんですね、私は。
しかも、数年に渡って高額な研修費を、で、ライセンスが認められたあとも更新し続けないといけないなんて…。
これって欧米的だし、「知的財産権」とか言いながら、ただの儲ける仕組みでしょ。
本当に当事者の人達のことを考えて、本当に自分たちの療法がすばらしいと胸を張って言えるのなら、どんどんアイディアや方法を開放していくべきだと思いますね。
誰でもやりやすくて、知ったその日からできて、どんどん自分のアイディアで変えていける。
こんな療法こそが、当事者の人達を中心にした本物だと言えるのでは。
日本の伝統工芸じゃないけれど、師匠の姿を見て盗み、自分の味が出せる余白がある学び方、伝承の仕方、こっちの方が日本人には合ってると思いますし、私は好きですね。

夏休みは、連日、全国のどこかで研修が行われています。
もちろん、学ぶことは大切なこと。
でも、研修を受けることが目的でも、ゴールでもないんですね、当然、ライセンスを貰うことも。
「ABAが優れている」
「いや、てぃーちが優れている」
なんていう言い争いは、ホント下らないこと。
こういうのは、実践する人には関係ない話(ブ)
これに乗っかって、自分が受けてきた研修のナントカ療法が「優れている」とか声高々に言ったり、とにかく2学期が始まったらやろうとかしたりしてはいけません。

あのね、ナントカ療法を選ぶ権利は、ライセンスを持っている人でも、研修を受けてきた人でもないんです。
ナントカ療法を選ぶ権利があるのは、当事者の人達です。
当事者の人達が「ラクだな」「いいな」「成長できるな」と感じられる療法をやるんです、支援者は。
それが仕事なんですから。
自分たちが常日頃言ってるでしょ、「当事者中心」って。
当事者の人が「なんか違うな」というときに、「こんな方法もあるよ」って、スッと出せるのが支援者が学ぶ意味。
ライセンスというものが、支援者の柔軟性、応用力、そして当事者の人達の療育を選ぶ権利を奪っていないのか?
こんなことを私は思うのです。


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