新たな一歩は、散歩の一歩から

つい先日、今年の目標にしていたランニング1,000㎞走破しました♪
11月が終わった時点で、まだ870㎞だったので、達成できるか微妙なラインでしたが、今年は暖冬の影響もあり、雪がぜんぜん積もっていなかったので、順調に距離を重ねることができました。
4月から始めたランニング。
高校以来、運動らしい運動をしていなかったので、続くかどうか心配でしたが、目標達成まで続けられました。

時間は作るものですし、他人様の成長をサポートしている人間が、成長できずに途中で辛いからといって諦めてしまうのはおかしなこと。
身体も絞れて調子が良く、一年間、病気をしませんでしたね。
代謝も良くなったので、汗も沢山かくようになり、冬でも薄着で大丈夫。
仕事の面でも、カンが冴えていたように感じますね。
走っている途中に感じる「気持ちいい」を大事にしました。
身体を動かすことは、本当に気持ちが良いものだと再確認できた一年でした。
あと身体を整える大切さも。

今朝の新聞に、スポーツを楽しむ障害者が少ないという記事が載っていましたね。
国の調査では、週に1回以上、スポーツをする成人の割合が、健常者で約4割なのに対し、障害者は2割弱とのこと。
運動は心身の健康と成長につながるのに、それができていないことに残念さを感じました。

今年も多くの成人の方たちと接しましたが、皆さん、定期的なスポーツ、簡単な運動すら行っていない人ばかりでしたね。
ですから、運動の大切さと、効果を伝え、一緒に散歩したりしながら、どうにか日課の中に運動を入れてもらいました。

長年、ひきこもりを続けていた成人の人も、運動するようになって変わっていきましたね。
どうしても、頭重視、視覚重視の生活を送っているので、カウンセリングやSSTのようなことをやっても、あまり効果がないという実感があります。
でも、一緒に散歩しながら、汗をかき、聴こえてくる音に耳を傾け、足で地面を感じているうちに、表情が明るくなっていきますね。
そうやって表情が変わったときに、いろいろな話をすると、本当の気持ちや前向きな希望を話してくれることが多いです。
(しかし、ただ「散歩をしよう」「運動をしよう」と言っても拒否ですので、頭重視の人には頭に知識として運動の効果と意義を伝え、納得してもらうことがミソです)
新たな一歩は、まさに散歩で一歩踏み出すことかもしれないと思っています。

学校生活では体育の時間がありますが、成人後に活きていない。
私が五稜郭公園を走っていると、特別支援学校の高等部生が走っていますが、みんな辛そうに走っていますね。
アスリートを目指しているわかではないだろうから、もっと生徒の中にある「気持ちいい」を大切にしても良いのにね。
高等部生は、就労に耐えうるための体力作りということで、走っているのでしょうけれど、あれじゃあ、就職後、絶対に自分で走ろうとはしないな、と思いますよ。
苦しいことを続けて行うには、相当な気力が必要ですもの。
ましてや、働くこと、生活することで精一杯の若者たちに、走ったり、運動したりする余裕はないですよね。
だから、もっと成人後も楽しめるような運動を教えてあげれれば良いのに、と思いますよ。
学校教育の中にいるうちに。

今の学校の体育は、スポーツの要素が強い。
また、高等部になると、急に就労のための体力作りにシフトされる。
これでは、生涯に渡って運動を楽しめる人間を育むことができませんよね。
一般論では、今朝の新聞のまとめのように「障害者がスポーツを楽しめないのは、環境が整っていないから」という論調になってしまいますが、実際は、運動が楽しくないからなのにね。
もちろん、環境も要因の一つかもしれませんが、それよりも運動を楽しむ経験不足。
対人面の苦手さや、そもそもの身体の動かし方、バランスの悪さを持っている子たちなのに、スポーツの要素が強い体育ばかり。
大事なことは、スポーツができることでも、記録を伸ばすことでも、勝負に勝つことでもなく、身体を動かすことが楽しめること。
身体を通して、「やった、できた」を子どものときから経験させること。
だったら、道具だって、ルールだって、柔軟に変えてしまえばよいのに。
きちんとスポーツ、運動、身体を動かすことの意義と、効果を教えてあげればよいのに・・・。
なんて思いますよ。
体育の先生は、学生時代、スポーツができた人が多いはずだから、そういった観点から取り組んじゃうのかな。
運動が苦手な体育の先生はいないですよね。
だから、運動が苦手、そもそも身体を動かすことに困難な子の指導は・・・以下略

サッカーや野球など、チームスポーツができるようになることで、対人面の成長や喜びが望めるなら、それを活用すれば良いですね。
でも、それとは別に生涯に渡って楽しめるような運動の勉強も大切だと思います。
電車が好きな子は、線路沿いを歩いて駅まで行くような運動だったら、大人になってもやると思いますよ。
車の好きな子は、街中を歩き回っても良いですし、植物や虫が好きな子は、図鑑を持って登山なんていうのもいい。
とにかくこういった「この子が大人になっても、続けられるな」というような運動を子どものときから身に付けて欲しいですね。
そうでなければ、身体を動かすという楽しさ、心地良さのない成人後の日々になりますね。
成人後、運動を始めようとすれば、環境も、精神力も、相当必要になりますよ。
4月に走り始めた頃の心身の辛さは相当ハードでしたから。

4月22日から始め、12月19日達成!


コメント

  1. お久しぶりです。もう20年も前になりますが、小6の男の子が言いました。「僕が行く中学には陸上部がない。僕は走るのが好き。走っている時が、とても気持ちよくて幸せ。なのに、中学にいったら、自由に走る時間も場所もなくなる。」この子は、娘と別の中学に行きました。私はこの子の言葉が忘れられず、娘の中学でPTAの集まりがあったとき、学校側に言ってみました。「記録更新や大会出場にこだわらず、ただ単純にスポーツを楽しみたいと思っている子供達がいます。そういう子供達の気持ちも大切にし、部活動として時間を作れないものでしょうか。」と。学校側からは、「指導者がいないので無理です。」の一言でした。楽しみたい子供達には、「指導者」はいなくても、一緒に楽しんでくれる人がいてくれれば、それでよかったのだと思うのですが。学校側も多忙でしょうし、管理責任など出てくると思ったので、それ以上はいえませんでしたね・・・当時は。

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    1. 白崎の母さんへ

      20年前のエピソードには思えませんね。
      そういう意味では、学校の文化なのかもしれません。
      ただ学校はサービス業ではありませんので、部活動では昔も、今も、今後も、難しいでしょうね。
      ですから、せめて特別支援学級、学校の子ども達には、将来を見据えた体育を行ってほしいと願っています。
      たった週に数回の体育で運動機能の向上や改善が図るとは思えません。
      だからこそ、将来につながる運動の"楽しさ"が感じられる工夫があったら良いと思いますね。
      あとは、家庭生活にどのように還元し、また親御さんも、子どもが運動できる環境を整えるかが大事だと思います。

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