「自閉症は視覚優位」という常識(?)を疑え!

「自閉症は視覚優位」という言葉は、かなりクセモノ。
だって、自閉症の人、全員が視覚優位に思えてしまうから。
だって、視覚優位ってことは、聴覚がダメっぽく感じちゃうから(聴覚過敏の人もいるしね)。
だって、理解すること、記憶すること、表現すること、すべてが視覚を使った方が良いと思っちゃうから。
そして、一番の問題は、視覚優位が前提で始めちゃうから、ちゃんとアセスメントしなくなっちゃうから(視覚優位が念頭にあるだけで、視覚優位になるように、その人を見てしまう危険性があるよね)。

よく考えたら分かるはずだけど、自閉症スペクトラム症の診断基準に、「視覚優位であること」って書いていない。
つまり、「自閉症≠視覚優位」ってことだし、自閉症の人の中には、聴覚優位の人も、視覚と聴覚に優位さがない人もいるってこと。
テンプル・グランディン博士が「絵で考える」という言葉を使って、自閉症の認知、思考について説明されているけれど、すべての自閉症の人がテンプルさんであるわけはない。

もちろん、いろいろな研究からも、日々の実践からも、「視覚」がキーワードになるとは思います。
でも、だからといって、私はアセスメントするとき、「視覚優位」という先入観を持ちません。
ましてや、すぐに視覚的支援を行おうなんてナンセンスなことはしませんね。

視覚も、聴覚も、また他の感覚と同様、どのような受け取り方をするか、どのようなメリット、デメリットがあるかを細かく観ていきます。
例えば、物事を理解するときは、どんな感覚を使うのが有効か。
そして、有効な感覚の場合、どうしてそれを使うことが本人にとって有効なのか(エネルギーを節約できる、自分のペースで噛み砕くことができる、単純に慣れているから、など)。
つい先日も、「視覚優位です」「視覚的支援が有効です」と事前に情報を貰っていた子のアセスメントを行いましたが、記憶に関しては視覚よりも、聴覚からの方が得意でした。
また、理解に関しては視覚からの方が有効だと言えましたが、なんでもかんでも視覚化すれば理解できるということではなく、あまり情報が多くなってしまうと難しい、そして残像が残りやすく疲れやすくもある、というデメリットもみられました。

常識ほど、疑わなくてはいけませんね。
だから、私は「自閉症は視覚優位」という言葉を疑いますし、より丁寧に、細かく観ていく必要があると考えています。
このブログを書きながら思いだしてしまいましたが、検査結果で「視覚、聴覚の有意差なし」と出たのに、「これは間違っている」「この検査のときは、調子が悪かったはずだ」と言って、とにかく視覚支援ばかりしていた特別支援の学校の先生がいましたね。
あの先生は、良いだけ視覚支援をしまくり、別の学校へと行ってしまいました・・・。
視覚支援と自閉症を表裏一体のようにくっつけてはいけません。

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