自然な姿への変化は支援の転換期

ふと、「あっ、ナチュラルになったな」と思う瞬間がある。
昨日もそんな感じだった。
1年くらい支援に携わっている学生さんだが、昨日はどこにでもいるフツーの若者に見えた。
1年前は、ガチガチの自閉症の人って感じで、身体の動きもぎこちなかった。
初対面のとき、遠目からパッと見て、すぐに自閉症の人だとわかったくらい。

ちなみに私は姿を一瞬、見るだけで、自閉症の人を見分けるのが得意です。
履歴書の特技の欄に書きたいくらい(笑)
結構の確率で当たる。
こちらも「科学的な根拠はない!」と言われるかもしれないが、自閉度の重さもだいたいわかる。
学生時代から、とにかく一人でも多くの自閉症の人と関わることを目標にし、幅広い世代の人たちに出会ってきた。
あと、「脳が違うのだから、その違いは身体に必ず現れる!」という信念のもと、若いときから姿を見るだけで、どうにかアセスメントできないかと訓練してきたのもある。
私の仕事は、短い時間でより多くの情報を得るのが必須だから、そういった意味では無駄ではない訓練だったと思っている。

話が横道に逸れてしまったが、「ナチュラルになった」というのは、その人にとっての大きな転換期だと捉えている。
硬さが取れるというのは、脳みその硬さが取れるということ。
脳に余裕ができると、どんどん新しいことを吸収できるようになるし、他人の意見や環境からの刺激など受け入れられるものの幅も広がっていく。
こうなれば、支援がなくても、本来その人が持っている成長するパワーが目覚め、勝手に成長していく。
自閉症は発達障害なのだから、発達を阻害しているものを取れば良いでしょっていうのが、私の支援に対するイメージ。
阻害しているものが取れれば、あとは自然に成長していくだけ。

「ナチュラルになった」からと言って、自閉脳でなくなることはないだろう。
でも、自閉脳ゆえの硬さが取れれば、生きやすさと成長につながっていくと思う。
だから、この状態になることを1つ大きな支援の目標とする。
別に「定型発達の人と同じように普通を目指しなさい」という意味ではない。
自閉脳のままで、どう硬さを取るか、また脳を柔らかくし、どのように余裕を作っていくか。

昨日の学生さんも、これからどんどん学び、成長していくだろう。
それは学問だけではなく、社会で生きていく上で必要なことも。
そうしていくうちに、脳自体も変化していき、将来的には社会の中で障害者としてではなく、一人の人間として生きていくのだと思う。
これは支援を転換させるときが来たという合図。
そろそろおじさんの出番はおしまいかな。

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