【No.1021】変化に混乱する子は作られる

花風社さんの講演会、集まりは、とても心地が良い風が流れています。
きっと、みんなで諦め合うのではなく、慰め合うのでもなく、より良い子育てを、今よりも良い未来を、という前向きな想いで全国から集まってこられるからだといえます。
私も、来週の「質問する会」を楽しみに、募集と同時に飛行機をとって、という具合にしていたのですが、昨日の北海道緊急事態宣言のため、参加を見合わせる結果となりました。


幼い我が子達を残しておくことも、不安な状況にしておくこともできませんでした。
ひと様の発達、生き方に関わらせてもらっている私ですから、何よりもまず我が子の、家族のことを大事にし、それを行動として現せないといけないと思います。
ご挨拶したい人や、お子さんの様子などをお聞きしたい人がいらっしゃいましたが、次の機会を楽しみにしております。
そして、ご依頼くださった関東での出張相談にお応えできず、申し訳ございませんでした。
必ず機会を作り、伺います。


今朝の新聞を読んでいて、「障害を持った子ども達は、日常の変化に混乱する」という専門家のコメントを目にしました。
3月2日から全国の学校が休みに入るということに対してです。
こういった不測の事態が起きると、必ずといっていいほど、専門家が出てきて、障害を持った子ども達への影響をコメントします。
2011年も、同じ文言を多く目にしました。


結論から言えば、「変化に混乱する」というのは、固定された障害特性ではありません。
ひと言で言えば、身体が育っていない、感覚系の未発達です。
未発達ゆえに、視覚的に処理できる部分に頼って生きているだけ。
だから、いつも目にしていたものが崩れると、たちまちわからなくなるのです。


また、変化への混乱は、後天的に作られた場合が多いと感じます。
みんなが背景にある未発達に気づかなかった時代は、スペクトラムという概念がなかった時代は、自閉症のこだわりがあたかも固定された障害特性のように捉えられていました。
今思えば、道順へのこだわり、車を並べるなどの固執は、未発達ゆえに限られた感覚を使い、なんとか対処していた行動であったのに。
パターンを崩されると混乱するのは、周囲の情報、環境からの刺激を得られる機能が制限されていたからでしょう。
私たちから見れば、「たったそれだけ?」と思われるような情報も、限られた機能で世の中を見ざるを得ない人にとっては、見失うと大変な苦痛と混乱になるのだと想像します。


こういった時代が長く続きましたので、いつしか、親御さん、支援者の中にも、「変化が苦手」が染みついてしまいました。
その結果として、不安定にさせたくない親御さん、支援者は、変化のない環境を用意することへと突き進んでしまった。
そうなると、ますます悪循環。
根っこは、身体、感覚の未発達だったのに、つまり、未発達ゆえの刺激の乏しさ、偏りだったのに、周囲の人間までもが「なるべく変化のない環境を」なんてしてしまうもんだから、ますます偏りは加速する。


そうなると、お決まりの支援や療育を受ければ受けるほど、グレーが黒くなる、障害者っぽく育っていくというやつです。
本人がコントロールしたいように、周囲が合わせていく。
こういったら、ああ答える、などのパターンの会話。
最初から混乱させないように、刺激を減らし、本人が望むような環境を先回りして準備しておく。
パターン学習と失敗させない環境づくり、育つよりも本人の安定。
未発達を育てる機会がどんどん減っていき、刺激はますます偏り、当然、脳も、発達全体も偏っていく。
はい、支援によって育てられた障害者のでき上がりです。


100歩譲って、3.11の頃は、まだ神経発達障害と言われていませんでしたので、古い概念で支援が展開されていても仕方がないかもしれません。
でも、そこから9年経ったのです。
その間、進歩はなかったのでしょうか。
ずっと、「変化に混乱する人達」で良いのでしょうか。
というか、そこに対するアイディアは、未だに周囲が理解しましょう、なのでしょうか。
民間企業で、結果を求められる仕事で、10年前と同じことを言っていては、同じサービスしかできなければ、一瞬で倒産です。
つまり、普通だったらあり得ない質のものに対して、税金を払い、そしてあたかも正しいことをしているかのように、専門家たちも、それを受け取る保護者達も、有難いように言い、有難がっていることは異常です。


10年前と同じことを言っている。
やっていることも、周囲への理解。
で、本人の苦しみは何一つ解決せず、親御さんの想いは、満たされないまま。
どうして、そういったものを利用し続けるのか、ちゃんと「NO!」と表明しないのか。
私は常々申していますが、一番悪いのは、向上心のない、古いコピーの使い回しで仕事をした気になっている支援者たちではありますが、利用者である親御さんも悪いと思います。
なぜ、意味がないと分かっているのに、療育に通い続けるのでしょう。
治す気がなく、我が子の将来なんて一ミリも考えていないし、責任を持つわけでもない専門家のところに行き、毎度、暗い気持ちになって帰ってくるのでしょう。


私も、こういった特別支援は潰れるべきだし、潰すべきだと思います。
何故なら、子どもの人生を大きく捻じ曲げることになるから。
ただの発達の遅れ、発達が遅れていますね、というお子さんが、療育に行き、発達の機会が奪われる。
年端もいかないうちから、将来、支援者が支援しやすい、いや、介護しやすいような訓練をさせられる。
未発達を育てる機会を取り上げられる。
同年齢の子ども達が体験するような遊びと学びの時間を取り上げられる。
それは子どもさんだけではなく、親御さんも。
きらめく、一番子供が可愛く、愛おしい時期なのに、そういった家族の時間、思い出まで奪われてしまうのです。


未発達は、障害でしょうか?
発達のヌケは、特性でしょうか?
発達が、同年齢と比べて、ゆっくりなのは異常なのでしょうか?
もう一度、神経発達障害の意味を各々がとらえ直す時期だと思います。


障害者は作られることもあります。
それは無知な支援者と、「NO!」と言えない親御さんによって。
直接喧嘩する必要はありませんが、ちゃんと拒否することが大事だと思います。
だって、大事な我が子だし、我が子の人生も一度きりだから。
10年前と同じことしか言えない人達に、大事な我が子の子ども時代の時間を手渡して良いのでしょうか。
もし、違う、それが嫌だというのなら、行動すること。
未発達、発達のヌケは、家庭で親御さんが育てていけます。
たとえ、そうやって育てられなくても、古い支援者たちのような「介護しやすい子に育てる」なんてことはないはずです。


緊急事態宣言から、私のような対面式で、実践的な発達相談は、しばらくお休みになるでしょう。
しかし、そんなことを嘆いていても、知事や首相をののしっても、何も始まりません。
せっかく、このような機会が得られたので、チャンスに変えなければなりません。
対面式ではないサービス、たとえば、今までの経験、実践をまとめたり、オンラインの相談を始めたり、ブログだけではなく、YouTubeによる情報発信なんていうのも良いかもしれません(笑)
まあ、読みたい本も、たくさんあるので、そちらで自分の腕や知識を磨き、またお仕事をいただけるようになったときに、バージョンアップしたものを提供できるようにしておくのも大事ですね。


この状況も、きっといつか、終わりがやってきます。
その終わりまでに、何をしておくかが、次のステップへつながると思います。
季節の変わり目でもありますので、皆さま、お体ご自愛下さいませ。
なんとかなるさ!ですね。

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