義務教育が終わった瞬間

義務教育が終わった瞬間、普通学級から支援学校へと進んでいく子ども達。
このような話を耳にするたびに、彼らにとっての9年間は、成長するための良い時間となったのか、と感じてしまう。


親御さんとしたら、できることなら普通学級で学んでほしい、地域の子達と共に成長してほしい、と願うのは自然な気持ちだといえる。
だが、本当に純粋な親心だけなのだろうか、と疑問に思うこともある。
そこに見栄やエゴが見え隠れする。
心からそれを願っていたのなら、苦手な部分、治さないといけない部分をそのままにはしていないはずだから。


支援者は、親の意向に賛辞を送り、「私も普通学級で学ぶ方が良いと思う」と言う。
そして学校に対し、配慮と支援を求める、学年や学校が変わるたびに。
でも、配慮や支援を求めること、認めさせることで、支援者の仕事は終わりなのだろうか。


義務教育の間は、学校の方も「うんうん」と聞くかもしれないが、受験や進路に関してそうはいかない。
当然、合理的な配慮は認められる。
しかし、義務教育が終わった瞬間、支援学校に行くということは、学校に求めていたのが配慮だったのか怪しくなる。
もし配慮があることで、普通学級で学べていたとしたら、受験や高校に対し配慮を求めればいい。
普通学級で学べるくらいの力があり、そこが本人にとってより良く成長できる場なら、そのまま普通校へ進めばいい。


本人が普通校ではしんどそうだから、親が不安で心配だから、といって支援学校を選択する場合もあるのはわかる。
でも、普通高校ではなく、支援学校へ進む人の大部分は、9年間でしっかりとした学びができなかった子と感じる。
もともと本人にとってベストな学び場が普通学級だったのか。
支援や配慮があったから、普通学級で学び続けられたのか。
学校に求めていた正体が、障害に対する配慮ではなく、本人、親に対する忖度ではなかったのか。


「できれば普通学級で」という親心もわかる。
普通学級に在籍していることで周囲からどう見られるか、どう見てほしいか、見てほしくないかという想い、また「もしかしたら、同級生と同じように変わってくれるかも」という期待があるのもわかる。
だからこそ、そばにいる支援者は、そんな親心を汲みつつも、客観的な評価をし、その子にとってより良い選択へ導くのが役割のはずだ。
あれだけ9年間、学校に支援だ、配慮だ、と言っていたのに、特別支援学校進学が決まった途端、蜘蛛の子を散らすかのように去っていく支援者たち。
そしてまた別の子を見つけ、学校に対し支援だ、配慮だとやる。
あれだけ学校に支援と配慮を求め、親御さんと共に「普通学級で学ぶのが良い」と推し進めていた責任は感じないのだろうか。


厳しいことを言うようだが、9年間、普通学級で学んでいたのに、義務教育が終わった瞬間、支援学校へ行くというのは、本人に力がなかったということであり、周囲の大人に本人にとってより良く成長できる場を提供できなかったという落ち度がある。
普通学級が良くて、支援学級、支援学校が悪いということではない。
本人に合った学ぶ環境で、より良く成長することが大事なのである。
支援や配慮も同様で、本人がより良く成長するためのものであり、そのために要求するものである。
しかし、高校に進学するだけの力がつかなかったとしたら、求めていた支援、配慮が障害に対してだったのか、いや、普通学級に在籍し続けることに対しての支援や配慮ではなかったのかと思えてくる。


自分が支援している子が、普通学級に在籍している事実は、支援者にとって一つの成果として評価される。
だが実状は、本人がより良く学ぶための支援、配慮ではなく、「合理的配慮」という名を利用した忖度である。
障害に対しては配慮と言うが、実力に対しての配慮は忖度であり、接待の要求である。
それは、その子の成長、将来のためになることなのだろうか。
支援の中心にその子がいるのだろうか。


毎年、この時期に感じることだが、支援と配慮だけでは進学できない。
やはり本人の発達と成長が不可欠である。
「だって、普通高校では中学校までと違って支援、配慮してくれないもんね」という言葉は負け惜しみに、そして「支援」「配慮」が「忖度」「接待」にも聞こえる。


極端な見方であり、厳しい意見かもしれないが、敢えて文章にした。
それは支援学校へ進むことになった子ども達の中に、入学式の日を迎え、ショックを受ける子がいるからだ。
9年間、学んできた環境との違い、そして大人たちからずっと言われ、信じてきた「あなたは普通学級で学ぶ子」という言葉に。
同世代の若者たちが新しい学び舎に心を躍らせる4月に、ショックを受ける姿は見ていてとても辛い。

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