子どもの周りにいる大人も自制する力
教習所の教官から「一番おいしいところを味わわないと」と良く言われたものです。
あのクラッチとギアをつなぐ“半クラッチ”の状態を待てずに、すぐにつなげてしまう癖がありましたので、こうやって「じっくり動力が伝わるのを感じなさい」と指導されていました。
免許を取ったあとも、しばらくマニュアル車に乗っていたため、ギアを切り替えるときには、時々「一番おいしいところ」という言葉が聞こえてくるようでした。
この仕事を続けていますと、自分が直接援助するだけではなく、ひと様の支援、援助を拝見させて頂く機会があります。
そんなときもまた、時々ですが、「一番おいしいところ」という言葉が聞こえてくることがあります。
「今、まさに自分で感じようとしている瞬間なのに…」
「あの子は何もしていないように見えるけれども、試行錯誤しているのに…」
「発達課題をクリアしようと、自分で育て直しをしているのに…」
「この年齢で、きちんと失敗しておくことが今後につながるのに…」
そんなとき、周りにいる大人が待てずに、手や口を出してしまう姿。
主体である子どもの学びを待てない理由には、様々なものがあると感じます。
純粋な親心から思わず手や口が出てしまう人もいれば、「失敗経験はさせてはいけない」という思い込みから動いてしまう人もいます。
また自分自身が子の失敗する姿、困る姿を見ていられない、自分が否定されているように感じてしまうため、反射的に手助けして回避させようとする人もいます。
あと個の成長、学びよりも、学級経営を優先させてしまう教員のように、自分がやった方が早いから、あとあとめんどくさくないから、などといって手を出す場合もあります。
いずれの理由にせよ、大人と比べれば、まだ成長途中であり、知らない世界が多い子どもなのですから時間がかかることは当然ですし、たくさん失敗します。
見ていられないなと思うこともありますが、だからといって、大人が常に手や口を出していたら、学ぶ主体を奪いかねることになりかねません。
特に発達障害を持つ子ども達は、実年齢よりも前の段階に戻って、自ら育て直し、発達課題のやり直しをするものですから、周りの大人は待つことと、自制する力が求められます。
でも、いくら待つこと、自制することが必要だと分かっていても、ただただ見守り続けることは親御さんにとって不安だと思いますし、難しいことだと思います。
私だって、発達のプロセスと見通しが持てなければ、待つことは難しいです。
ですから、「もう少し待ってほしいな」と感じる親御さんには、未来の姿を、できればその姿が目の前に浮かんでくるくらいまでお話しするようにしています。
今、子どもさんが行っている言動の意味、失敗すること、試行錯誤する意義をお伝えする。
でも、それだけではなく、どうなったら育て直しが完了したのか、次の発達段階へ進んだのか、また今の学びがいつ頃、どんな形で実を結ぶのか、近い将来、どんな姿になっているのか、そういったこともお伝えする。
今の姿と未来の姿、その両方が掴めるようになると、親御さんに余裕が生まれ、子の学びを待てるようになり、そして味わえるようになります。
しかし、いくら待つことが大事だと言っても、問題行動は見守り続けてはいけません。
すぐに対処する必要があります。
この時期、いろいろなところで、今年度の評価がなされていると思いますが、「次年度への課題」などといって、問題行動が次年度に持ち越されることがあります。
「ちゃんとこの子の課題も見てくれている」と喜んでいる場合ではなく、それは問題の先送り。
時間が解決するんだったら、最初から医師も、支援者も必要ありません。
ちょっと話が逸れてしまいますが、年度が切り変わるから、担任変わるから、卒業するから、とまるでリセットするかのような態度の人を見るたびに憤りを感じます。
学年や学校は変わっても、子ども達の人生はリセットされるわけではないのですから。
仕事として教育、支援をしているのなら、「自分が担当している間に直してみせる」という気概がほしいものです。
前回のブログにも書きましたが、自制する力は大切です。
それは子どもだけではなく、子を見守る大人たちにも。
「ちょっと手を貸したいな」と思うのは自然な気持ち。
だからこそ、我が子の言動の意味、発達過程、未来の姿を知ることで、見通しと余裕が持てることが大事だと思っています。
子ども自身に、「一番おいしいところ」を存分に味わってもらうために。
学びと発達、学びと成長のつながる瞬間をです。
あのクラッチとギアをつなぐ“半クラッチ”の状態を待てずに、すぐにつなげてしまう癖がありましたので、こうやって「じっくり動力が伝わるのを感じなさい」と指導されていました。
免許を取ったあとも、しばらくマニュアル車に乗っていたため、ギアを切り替えるときには、時々「一番おいしいところ」という言葉が聞こえてくるようでした。
この仕事を続けていますと、自分が直接援助するだけではなく、ひと様の支援、援助を拝見させて頂く機会があります。
そんなときもまた、時々ですが、「一番おいしいところ」という言葉が聞こえてくることがあります。
「今、まさに自分で感じようとしている瞬間なのに…」
「あの子は何もしていないように見えるけれども、試行錯誤しているのに…」
「発達課題をクリアしようと、自分で育て直しをしているのに…」
「この年齢で、きちんと失敗しておくことが今後につながるのに…」
そんなとき、周りにいる大人が待てずに、手や口を出してしまう姿。
主体である子どもの学びを待てない理由には、様々なものがあると感じます。
純粋な親心から思わず手や口が出てしまう人もいれば、「失敗経験はさせてはいけない」という思い込みから動いてしまう人もいます。
また自分自身が子の失敗する姿、困る姿を見ていられない、自分が否定されているように感じてしまうため、反射的に手助けして回避させようとする人もいます。
あと個の成長、学びよりも、学級経営を優先させてしまう教員のように、自分がやった方が早いから、あとあとめんどくさくないから、などといって手を出す場合もあります。
いずれの理由にせよ、大人と比べれば、まだ成長途中であり、知らない世界が多い子どもなのですから時間がかかることは当然ですし、たくさん失敗します。
見ていられないなと思うこともありますが、だからといって、大人が常に手や口を出していたら、学ぶ主体を奪いかねることになりかねません。
特に発達障害を持つ子ども達は、実年齢よりも前の段階に戻って、自ら育て直し、発達課題のやり直しをするものですから、周りの大人は待つことと、自制する力が求められます。
でも、いくら待つこと、自制することが必要だと分かっていても、ただただ見守り続けることは親御さんにとって不安だと思いますし、難しいことだと思います。
私だって、発達のプロセスと見通しが持てなければ、待つことは難しいです。
ですから、「もう少し待ってほしいな」と感じる親御さんには、未来の姿を、できればその姿が目の前に浮かんでくるくらいまでお話しするようにしています。
今、子どもさんが行っている言動の意味、失敗すること、試行錯誤する意義をお伝えする。
でも、それだけではなく、どうなったら育て直しが完了したのか、次の発達段階へ進んだのか、また今の学びがいつ頃、どんな形で実を結ぶのか、近い将来、どんな姿になっているのか、そういったこともお伝えする。
今の姿と未来の姿、その両方が掴めるようになると、親御さんに余裕が生まれ、子の学びを待てるようになり、そして味わえるようになります。
しかし、いくら待つことが大事だと言っても、問題行動は見守り続けてはいけません。
すぐに対処する必要があります。
この時期、いろいろなところで、今年度の評価がなされていると思いますが、「次年度への課題」などといって、問題行動が次年度に持ち越されることがあります。
「ちゃんとこの子の課題も見てくれている」と喜んでいる場合ではなく、それは問題の先送り。
時間が解決するんだったら、最初から医師も、支援者も必要ありません。
ちょっと話が逸れてしまいますが、年度が切り変わるから、担任変わるから、卒業するから、とまるでリセットするかのような態度の人を見るたびに憤りを感じます。
学年や学校は変わっても、子ども達の人生はリセットされるわけではないのですから。
仕事として教育、支援をしているのなら、「自分が担当している間に直してみせる」という気概がほしいものです。
前回のブログにも書きましたが、自制する力は大切です。
それは子どもだけではなく、子を見守る大人たちにも。
「ちょっと手を貸したいな」と思うのは自然な気持ち。
だからこそ、我が子の言動の意味、発達過程、未来の姿を知ることで、見通しと余裕が持てることが大事だと思っています。
子ども自身に、「一番おいしいところ」を存分に味わってもらうために。
学びと発達、学びと成長のつながる瞬間をです。
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