今の時代を全力でやりきることが、次の時代を作る
構造化された支援というものがなければ、施設職員だった私は、彼らを引っ張って誘導する日々であり、禁止や制止することで一日を終えていただろう。
私が施設職員として働きだしたときは、構造化された支援と前時代の支援が混ざった状態だった。
構造化された支援は、情報や刺激に溢れていた世界に秩序を与えた。
激しい行動障害を持った子ども達も、周囲の環境が整理され、見通しが持てるようになると、落ち着きを取り戻し、その子の持つ本来の資質が顔を見せるようになった。
構造化された支援は、当時よく『車いす』に例えられた。
「足の不自由な人にとっての車いすのように、自閉症の人にとっては構造化がそれにあたるんだ」と。
それまでの支援から抜け出したかった私達は、せっせと車いす作りに励んだ。
彼らが少しでも使いやすいと思ってくれる車いすを、彼らの生活の幅が増えるような車いすを。
今考えれば、人権侵害といわれるような前時代の支援は、構造化によって明らかに減った。
彼らは心身共に安定し、生活の中での選択肢、行動の範囲が広がった。
支援する側も、労力的な負担が減り、構造化された支援はお互いを幸せにするもののように感じていた。
しかし、施設にも高機能ブームの波がやってくると、構造化された支援だけでは、彼らのニーズに応えられない現実が突き付けられる。
確かに構造化することにより、知的障害のない彼らの頭の中も整理され、心身の安定をもたらす。
だが、その次がなかったのだ。
周囲の情報や刺激が整理され、心身が安定したあと、何を彼らに教えるのか、どう成長を支援していくのか、それが見えていなかった。
本来、構造化された支援とは、教育的なツールである。
構造化したあと、何を教えるかが重要なのだ。
しかし、福祉リードで導入していた日本では、教えることよりも、安定させること、前時代の人権侵害と言えるような支援からの脱却の方で満足してしまっていた。
「車いすがなかった時代よりは、ずっと良くなった」と彼らが言い、その声を聞いた支援者は、彼らのニーズを満たせた、良い支援をしている、と思った。
だけれども、高機能の人達は、「そうではない」と言った。
「私達は、ずっと車いすに乗って生活したいとは思っていない。もし、自分の足で立てるのなら、その方法があるのなら、教えて欲しい、支援してほしい」と。
各地で、それまで構造化された支援を行ってきた支援者が、それまで気付かれなかった自閉症の人達の支援を行うようになる。
人間関係の悩み、大学生活での悩み、仕事場での悩み、そのすべてを構造化して支援し、解決しようとした。
だが、問題は解決しない。
相談に行った彼らの悩みの根っこは、構造化されていない環境とつながっていたのではなく、未学習と誤学習、そして発達のヌケとつながっていたのだ。
高機能の人達から、こんな言葉をよく聞いた。
「構造化された支援は、知的障害がある人の支援で、私達には合わない」と。
そういった時代の変わり目を生きていた私達に、次の時代がやってきた。
治る時代、治す時代の到来である。
自分で歩ける方法を知りたかった、自分の足で歩きたかったという願いを叶えるべく、それまで「あなたは一生歩けるようにはなりませんよ。だから、車いすが必要なんです。車いすで移動しやすい社会に変える必要があるんです」と言われ続けていた彼らに、発達のヌケや遅れは育て直せるという希望の光が差し込んできたのだ。
自閉症支援は、確実に進歩、前進している。
昨日、構造化された支援を日本に持ってこられた、日本の自閉症支援を次の段階に進められた先生が旅立たれました。
施設で働いていた人間としては、それまでの時代に行っていたような支援を私自身がしなくて済んだこと、そして構造化された支援が広がったおかげで、彼らに人権と選択肢と心身の安定が得られたことは素晴らしい功績だと思います。
もし構造化された支援がなければ、アイディアの広がりが遅れていたら、無秩序な世界の中で混乱し、自分の言いたいことも伝えられず、伝えられたことがわからず、限られた場所で生きていた人達が今もなお、多くいたはずです。
今は、治る時代ですし、支援者には治すことが求められる時代です。
将来、この治る時代よりも、もっと素晴らしい、もっと自閉っ子達を幸せにするアイディア、支援が生まれるかもしれません。
しかし、だからといって、その時代の到来を待っていてはいけないのだと思います。
治る時代の治す支援を全力でやること、やりきること。
それが次の時代の到来を早めるのだと考えています。
「前時代よりも、より良いものを」という真剣な想い、行動が、時代を進める。
構造化された支援が、それまでの支援、彼らを取り巻く環境を一変させたように、治す支援が今を生きる人達、これから生まれてくる子ども達の生活を、人生の歩みを変えることでしょう。
先生、お疲れ様でした。
安らかなる眠りをお祈り致します。
私が施設職員として働きだしたときは、構造化された支援と前時代の支援が混ざった状態だった。
構造化された支援は、情報や刺激に溢れていた世界に秩序を与えた。
激しい行動障害を持った子ども達も、周囲の環境が整理され、見通しが持てるようになると、落ち着きを取り戻し、その子の持つ本来の資質が顔を見せるようになった。
構造化された支援は、当時よく『車いす』に例えられた。
「足の不自由な人にとっての車いすのように、自閉症の人にとっては構造化がそれにあたるんだ」と。
それまでの支援から抜け出したかった私達は、せっせと車いす作りに励んだ。
彼らが少しでも使いやすいと思ってくれる車いすを、彼らの生活の幅が増えるような車いすを。
今考えれば、人権侵害といわれるような前時代の支援は、構造化によって明らかに減った。
彼らは心身共に安定し、生活の中での選択肢、行動の範囲が広がった。
支援する側も、労力的な負担が減り、構造化された支援はお互いを幸せにするもののように感じていた。
しかし、施設にも高機能ブームの波がやってくると、構造化された支援だけでは、彼らのニーズに応えられない現実が突き付けられる。
確かに構造化することにより、知的障害のない彼らの頭の中も整理され、心身の安定をもたらす。
だが、その次がなかったのだ。
周囲の情報や刺激が整理され、心身が安定したあと、何を彼らに教えるのか、どう成長を支援していくのか、それが見えていなかった。
本来、構造化された支援とは、教育的なツールである。
構造化したあと、何を教えるかが重要なのだ。
しかし、福祉リードで導入していた日本では、教えることよりも、安定させること、前時代の人権侵害と言えるような支援からの脱却の方で満足してしまっていた。
「車いすがなかった時代よりは、ずっと良くなった」と彼らが言い、その声を聞いた支援者は、彼らのニーズを満たせた、良い支援をしている、と思った。
だけれども、高機能の人達は、「そうではない」と言った。
「私達は、ずっと車いすに乗って生活したいとは思っていない。もし、自分の足で立てるのなら、その方法があるのなら、教えて欲しい、支援してほしい」と。
各地で、それまで構造化された支援を行ってきた支援者が、それまで気付かれなかった自閉症の人達の支援を行うようになる。
人間関係の悩み、大学生活での悩み、仕事場での悩み、そのすべてを構造化して支援し、解決しようとした。
だが、問題は解決しない。
相談に行った彼らの悩みの根っこは、構造化されていない環境とつながっていたのではなく、未学習と誤学習、そして発達のヌケとつながっていたのだ。
高機能の人達から、こんな言葉をよく聞いた。
「構造化された支援は、知的障害がある人の支援で、私達には合わない」と。
そういった時代の変わり目を生きていた私達に、次の時代がやってきた。
治る時代、治す時代の到来である。
自分で歩ける方法を知りたかった、自分の足で歩きたかったという願いを叶えるべく、それまで「あなたは一生歩けるようにはなりませんよ。だから、車いすが必要なんです。車いすで移動しやすい社会に変える必要があるんです」と言われ続けていた彼らに、発達のヌケや遅れは育て直せるという希望の光が差し込んできたのだ。
自閉症支援は、確実に進歩、前進している。
昨日、構造化された支援を日本に持ってこられた、日本の自閉症支援を次の段階に進められた先生が旅立たれました。
施設で働いていた人間としては、それまでの時代に行っていたような支援を私自身がしなくて済んだこと、そして構造化された支援が広がったおかげで、彼らに人権と選択肢と心身の安定が得られたことは素晴らしい功績だと思います。
もし構造化された支援がなければ、アイディアの広がりが遅れていたら、無秩序な世界の中で混乱し、自分の言いたいことも伝えられず、伝えられたことがわからず、限られた場所で生きていた人達が今もなお、多くいたはずです。
今は、治る時代ですし、支援者には治すことが求められる時代です。
将来、この治る時代よりも、もっと素晴らしい、もっと自閉っ子達を幸せにするアイディア、支援が生まれるかもしれません。
しかし、だからといって、その時代の到来を待っていてはいけないのだと思います。
治る時代の治す支援を全力でやること、やりきること。
それが次の時代の到来を早めるのだと考えています。
「前時代よりも、より良いものを」という真剣な想い、行動が、時代を進める。
構造化された支援が、それまでの支援、彼らを取り巻く環境を一変させたように、治す支援が今を生きる人達、これから生まれてくる子ども達の生活を、人生の歩みを変えることでしょう。
先生、お疲れ様でした。
安らかなる眠りをお祈り致します。
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